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新月2
「お前さ。なんか前よりちょっと強くなったな」
思わず口からもれた独り言のような呟きに、雅紀は一瞬きょとんとしてから、恥ずかしそうに目を逸らし
「だって。俺もう独りじゃないから。ピンチを2回も救ってくれた格好いい恋人がいるでしょ」
照れくさそうな言葉にも、以前の雅紀にはない変化を感じて、暁は目を見張った。
「俺ね、もっともっと強くなりたい。暁さんに甘えて心配かけるだけの存在じゃなくて、俺も暁さんの支えになりたい。そう思ってるんです」
「そっか……。んじゃ俺がピンチの時には、お前が颯爽と現れて助けてくれるんだな」
暁が嬉しそうに微笑むと、雅紀は赤くなった顔を誤魔化すように、急いで箸を取り両手を合わせて
「食べましょうよ、暁さん。せっかくの焼きたてが、冷めたらもったいないです」
暁が箸を取るのを待って、いそいそと魚に箸を伸ばした。
食後に近くのカフェで一服してから、暁は雅紀を事務所に連れて行った。
あれだけ念を押していたのに、雅紀は探偵事務所と聞いて、案の定ドラマや小説のイメージを思い描いていたらしい。古い雑居ビルのワンフロアを使っている、一見ごく普通のオフィスに、ちょっと拍子抜けしている。
「あ。田澤探偵事務所って書いてある。……でも、なんか普通に会社っぽいですね」
「だろ?見た目はごく普通な。変なのは中身」
暁はニヤリとすると、ドアを開けて中に入り
「おはようございます」
雅紀は暁の後ろに隠れるようにして、おずおずと後に続いた。
一瞬の沈黙の後 、パンパンパンっと派手な音が鳴り響き
「ようこそ~篠宮雅紀くんっ」
唖然とする2人の前に、妖艶に微笑む美女が立っていた。
雅紀は暁の背中にしがみつきながら、恐る恐る顔だけ出して彼女を見つめる。暁はため息をつき
「何やってんすか。桜さん」
クラッカー片手に桜さんがムスッとした顔をして
「あら。何その冷めた反応。せっかく歓迎してるのに」
「あのね。ここはオフィス。クラッカーなんか鳴らしたら、他のフロアーから、また苦情入りますから」
「大丈夫よ~。この階には今うちしかないんだから。それより早瀬くん、そのデカイ図体どけて」
桜さんはずいっと歩みよると、暁の身体を押し退けて
「こんにちは。篠宮君。貴方が来るって社長に聞いて、朝からずっと待ってたのよ」
びっくりした顔のまま固まっている雅紀に、桜さんはバッチリメイクの顔を近づけて
「わっ。ちょっと何キミっ。や~ん。ものすごいイケメンくんじゃな~い」
暁に対する声とは全く違う黄色い声をあげ 、雅紀の全身を上から下まで眺めまわした。
今にも飛びかかりそうな勢いの桜さんと、怯えて後ずさる雅紀の間に、暁はすいっと割り込んで
「はい、ストップ、桜さん。雅紀が機能停止してるから」
「もうっ邪魔しないでっ。社長が綺麗な子だって言ってたけど、想像を超えてたわっ」
桜さんは鼻息も荒く、暁の身体をもう一度押し退けると、雅紀の両手を掴んで握りしめ
「初めまして。私、桜南海希。桜さんでも南海希さんでも、どっちでも好きな方で呼んでね。君のことは雅紀くんでいいかしら」
「あ。あの。並木さん?えと。え?桜並木さん...??」
桜さんは艶然と微笑んで、
「あら~。嬉しいわ。そんなに名前呼んで貰えて。君、思ったよりハスキーなのね。ますます私好み~」
...…いや。雅紀が貴女の名前連呼してんのは、多分漢字間違えてるだけだから.…..。
暁は内心突っ込みを入れつつ、ますます怯えて後ずさってる雅紀の肩に手を回し
「桜さん、雅紀になんか飲み物出してやってもらえますか?あ。ちなみに俺はコーヒーで」
途端に桜さんは険しい表情になり、
「こら。どさくさに紛れて自分の分まで言わない。うちは社員の飲み物は各自で入れるって決まってるでしょ。ねえ、雅紀くんは何飲みたい~?あ。桜特製のみっくすじゅーす作ったげるわねぇ」
「え...…。みっくすじゅーす?」
桜さんはまた蕩けるような笑顔を雅紀に向けてうなづくと
「11種類の果物野菜の特製ブレンドなの。美味しくって栄養たっぷり。雅紀くんのその綺麗なお肌、ますますプルプルよ」
言いながら、雅紀の手を引いて奥の応接ブースに連れて行く。雅紀は引き摺られながら、振り返って暁に救いを求めるような顔をしている。暁は苦笑いして首をすくめ
「桜さん超イケメン好きだから。うっかり食われないように頑張って抵抗しろよ、雅紀」
暁の言葉に雅紀は眉を八の字にして、ガックリと肩を落とした。
応接ブースに自分のノートPCを持ち込んで、報告書を作成中の暁に、雅紀は並んで座り、ピトっとくっついている。
「んな怯えんなよ。お前めっちゃ歓迎されてんだからさ」
「や……。俺、歓迎されてるんですか?あれって。ってか、桜さんって……名字だったんですね…」
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