149 / 355
新月4
「よしっ。これで報告書は完了っと。ね、桜さ~ん、仙台出張の交通費申請は、来週でもいいんですよね?」
「いいわよ~。あ。でも明日からの仙台行きは、たぶん交通費出ないから、そのつもりでよろしく~」
桜さんの言葉に、暁は慌てて彼女の席まですっ飛んでいき、
「は?なんで?んじゃ調査の方は…」
「だって君、今回は調査の為の出張じゃなくて、完全プライベート旅行でしょ?」
「いやいやっ、一応関係者に会ってですね、情報の裏付けを…」
「暁、その案件は依頼人の方から、中止依頼が入ったぞ。最初の費用は計上出来るけどな、今回のは無理だ。諦めろ」
田澤社長が奥の部屋から顔を出した。
暁は古島の絵のモデルにされている雅紀の方をちらっと見て、社長に目配せする。田澤は指をくいくいっとして、暁を奥の部屋に招き入れ、ドアを閉めた。
「んじゃ、桐島貴弘には報告したんですね?俺のこと」
声をひそめる暁に、社長は渋い顔でうなづき、
「ああ一応な。まあ、あの内容に納得はしてねえみたいだがな。証拠としてな、お前のDNA鑑定を要求してきたぜ。だが、その件に関しては、大胡さんの方から先に依頼を受けてる。で、貴弘氏は手を引くことになったんだ」
暁は腕組みして首を傾げ
「DNA鑑定ね……。それ、当事者の俺としては、拒否も出来ますか?」
「拒否?なんでだ。お前だって、はっきりさせた方がいいだろ」
暁は難しい顔になり
「桐島大胡氏がそれ、知りたがる理由って何です?もし俺が本人だって確定したら、今後どうなります?今更、親子仲良く暮らしましょうって訳じゃないんですよね?」
「暁……」
「俺が記憶を取り戻してたら、あの人を父さんって素直に呼べますかね?俺は記憶も戻らないまま、あの一族にこれ以上関わるのは御免ですよ。訳も分からず向こうの思惑に利用されるだけだ。秋音が何を思い、何の目的で仙台から姿を消したのか、それ調べる方が先だと思いませんか?」
田澤はため息をつき、自分の席にどっかり座ると、両手を組んで暁を見上げた。
「そうだな……。で、失踪の理由については、何か分かったのか?」
「いや。まだ確かなことは。ただ……秋音の配偶者が亡くなった事故、俺が記憶失った時と同じ、ひき逃げだったんですよ。犯人はどちらも捕まっていない」
「……そいつは……嫌な一致だな」
「でしょ?更にこっちはまだ調べてないですが、秋音が高校卒業直前に母親を亡くした事故。もしこれもひき逃げなら……」
「待て。それに関しては大胡さんが、亡くなった直後に調べてんだよ。ひき逃げじゃあねえな。仕事帰りに秋音を車で迎えに行って、事故起こしたらしい。警察の調べだと、居眠り運転の疑いがあるそうだ」
「……居眠り運転……」
「大胡さんは舞さん……つまり秋音の母親に、養育費として毎月それなりの額を送ってたらしいんだがな、舞さんはまったく手をつけていなかったようだ。昼間パートで働いて、夜も飲食店でアルバイトして、寝る間も惜しんで生活費と秋音の学費を稼いでた。その無理が祟ったんだろう……」
田澤の沈んだ声音と舞さんという呼び名に、暁は怪訝な顔で
「もしかして社長、秋音の母親、知ってるんですか?」
「ああ。俺が昔、大胡さんの世話になっていた仕事でな。彼女はそこの社員だったんだ。線の細い可愛らしい女性でな。...…考えてみれば、お前とは不思議な縁だよな。きっと天国にいる舞さんが引き合わせてくれたんだろう」
しみじみと語る田澤の表情がいつになく優しい。暁はしばらく黙って田澤の顔を見ていたが、なんとなく田澤の都倉舞に対する気持ちが分かった気がした。
「なるほどね。ま、一致しないならその方がいいですよ。ただ、他にも気になることはあるし、依頼取り下げでも自費で行きますよ、俺は。俺自身を探す旅だ」
「お前……先立つものはあんのかよ?」
暁は首をすくめ、
「まあ、なんとかなるでしょ。ただ社長、そうするとこれは仕事じゃない。俺の有給休暇ってまだ残ってましたっけ?」
「あるよ。お前ほとんど取ってねえだろうが。あとな…」
田澤は内ポケットから、厚みのある封筒を取り出すと、テーブルに置いた。暁が眉をあげると
「これは俺からのささやかな気持ちだ」
「や、社長、それは…っ」
「たいした額じゃねえ。黙って受け取っとけ。篠宮くんも一緒に行くんだろ。それで何か2人して美味いもんでも食ってこい」
受け取ろうとしない暁に、社長は封筒を押し付けると
「俺はな、暁。お前の記憶のことは、ずっと気になってたんだよ。お前が苦しむのを側で見てきたからな。なんとかしてやりてえって思ってた。灯台もと暗しってえやつだな。まさかお前が大胡さんと舞さんの、なあ...…。ま、俺はお前の親代わりみたいなもんだろ。親が出すって言ってるもんは、簡単に断るもんじゃねえぞ。な?」
暁はくしゃっと顔を歪め、田澤の封筒を両手で持ち直した。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!