151 / 369
第38章 心月1
「暁さん……」
「んー?」
後ろからついてきた雅紀が遠慮がちに話しかけてくる。暁が立ち止まって振り返ると、上着の裾をツンツン引っ張って、眉を八の字にしている雅紀と目があった。
「何?忘れもんでもしたか?」
「ううん。そうじゃなくて…」
「あ。わかった。俺がいなくて寂しかったんだろ~。何、ぎゅうってして欲しい?それともちゅうがいいか?」
暁がほくほく顔で唇を突き出しでくるのを、手のひらでストップをかけ
「違うからっ。そうじゃなくて、仙台行き……やっぱり社長さんダメって?」
暁はちょっと残念そうな顔で口を元に戻し
「いーや。大丈夫だぜ。予定通り、明日から仙台な」
「……お仕事で?」
「いや。有給だ。お前と美味いもん食って来いってさ、小遣いまでくれた」
「えっ……ほんと?いいんですか?俺にまでそんな気を遣ってもらって…」
恐縮する雅紀に暁は微笑んで
「社長、お前を気に入ってるぜ。どうやら例の放っておけない病が出たみたいだな。お前を支えてやれってさ」
雅紀は何とも言えない表情になり、後ろのドアを振り返った。暁は頭をぽんぽんして
「素直に甘えとけよ。俺にもさ、親代わりの俺が出すって言ったもんは断るなっ……てさ。すげえいい人だろ」
雅紀は潤んだ目で暁を見上げ、こくんと頷くと
「事務所に戻ったら、俺、改めてお礼言わないと」
「ん。んじゃさっさとお仕事済ませに行きますか」
暁はエレベーターのボタンを押すと、雅紀の肩を抱いて一緒に乗り込む。
1階のボタンを押し、ドアが閉まると、そのまま雅紀の身体をぎゅっと抱き締めた。
「えっあっ暁さんっ……んうっ」
監視カメラに背を向ける形で、雅紀の身体を抱き込んで唇を奪う。じたばたする暇もなく、舌を絡め取られて、雅紀は身体の力を抜いた。
深くて短いキスの後、唇を放して雅紀の顔をのぞきこむと、赤い顔で膨れっ面をしている。
「んもぉ……暁さん、キス魔ですか。ここは会社ですっ」
ぷいっとそっぽを向く雅紀の頬を、笑いながら指でつんつん押し
「んな怒んなって。事務所ではちゃんと我慢してただろ?」
雅紀は目を向き真っ赤になって、にやけている暁の指を避けて、ペシペシ叩いた。
「あっ当たり前ですっ。事務所でそんなことしたら、もう一生口きいてあげませんからっ」
「ね……暁さん。ここでお客様と待ち合わせ?」
ホテル街の一角の古びた喫茶店に、雅紀を伴ってぶらっと入り、飲み物を注文してからずっと、暁は新聞を読みながら煙草を吸って寛いでいる。最初は何が起きるのかと、ドキドキしながら緊張していた雅紀も、だんだん焦れてきて、アイスコーヒーのストローをくわえるついでに身を乗り出し、暁に小声で質問してみた。
「ん。もうすぐな。客が2人来るぜ。男と女、別々にな。まあ待ってろって」
同じく小声の暁の返事に、雅紀は無言で頷いて、また手元のスマホに視線を戻した。
それから15分ほどして、雅紀がまた顔をあげて暁を見た時、カランコロンとドアベルの音がして、暁の言う通り、男性客が1人、店に入ってきた。雅紀は緊張して、顔を動かさないようにちらっと入り口を見た。40代後半位のスーツを着た恰幅のいい男だ。慣れた様子で、マスターにコーヒーを注文すると、窓際の一番奥の席に腰をおろし、さりげない様子で店内を見回してから、煙草を取り出し吸い始めた。
……あの人が……お客?女の人も別に来るって……。えと。これは浮気調査ってこと?かな?
雅紀はスマホを持ち上げ、机に両肘をついて、ゲームに熱中してるフリを装いながら、暁の顔を見る。暁は相変わらず新聞を読みながら、くわえた煙草を口から外し、灰皿に灰を落とすついでに、雅紀の顔を見てにこっとした。ポケットからスマホを取り出し、何やら文字を入力している。
雅紀のスマホがぶるっとラインのメッセージを受信した。ページを開いてみると、やはり暁からで
―あれが本日のターゲットな。
―依頼人は彼の妻。依頼内容は浮気調査だ。
雅紀は表情を変えないように努力しながら、急いで返信した。
―了解です。
またすぐに暁からメッセージが届く。
―んな緊張しなくていいぜ。リラックスリラックス。
―もし女の方も来たら、俺は先に会計して店を出るからさ
―2人が店を出る時に、ラインで教えて。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!