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心月2
―俺は2人の写真を撮って尾行するから
―雅紀はその後少ししたら、店出てもいいし
―そのまま店に居てもいいぜ。後でまたラインするから。
メッセージを読んでいる間に、またドアベルが鳴って、これまた暁の言う通り、今度は女性の客が姿を現す。女は真っ直ぐに窓際の男の所へ行き、向かいの椅子に腰をおろした。
浮気相手と聞いて、派手な若い女性をイメージしていたが、女はごく普通の家庭の主婦という感じだ。
雅紀はふと……貴弘と会っていた頃のことを思い出して、表情を曇らせた。
暁が広げていた新聞をたたみ、店の時計をちらっと見てから
「んじゃ。俺そろそろ行くな」
そう言って立ち上がり、レジの方に向かった。雅紀は暁を思わず引き留めそうになって思いとどまり、素知らぬ顔を繕って、出ていく暁に手をふってから、スマホに目を落とす。
目の前の2人の様子を見て、貴弘とのことを思い出してしまったせいか、胃がキリキリするような痛みを感じる。雅紀はスマホを睨み付けながら、そっと深呼吸を繰り返した。
……大丈夫。へいき。何ともない。暁さんは仕事中だから。邪魔しちゃまずいから。落ち着け、俺。
低い声で会話していた2人が、立ち上がり、男の方がレジに向かう。
雅紀は震える指でスマホを操作して、暁にラインを送った。
―2人が出ます。
会計を済ませ、2人が店を出てドアが閉まると、雅紀は無意識に詰めていた息をほおっと吐き出し、水の入ったコップを煽った。
…よかった……。暁さんにちゃんとライン送れた。俺、変な感じじゃなかったよな?2人に怪しまれたりしてないよな?
ポケットからハンカチを取り出し、額に滲んだ汗を拭う。
……暁さん……上手く尾行出来てるのかな……。もう少し落ち着いたら、お店出てみよう。
先に外に出ていた暁は、ビルとビルの間に隠れて、店の入り口を見ていた。やがて雅紀からのラインがきた。仕事用の小型のデジイチを構え、2人が連れ立って出てくる瞬間を待つ。
……来た。
カシャ。カシャ。カシャ。
望遠のズームで2人の姿を無事写真におさめると、素早くカメラをナップザックにしまい、ある程度の距離を置いてから2人の後に続く。
前を行く2人はこうして見ていると、どこにでもいるごく普通の夫婦に見えた。だが先週までの調査で、2人はいわゆるダブル不倫だと分かっている。
男の方の妻が今回の調査の依頼人だが、結婚して18年で高校生の息子と中学生の娘がいる。女の方は結婚して5年で子どもはいない。職場の上司と部下で、この関係は2年前から始まっていた。
暁は目立つ外見の割に尾行が得意で、この手の浮気調査を担当することが多い。この案件は最終段階で、2人がホテルに入る瞬間の写真を撮れば、後は依頼人に報告して調査は終了だ。
2人はそれほど周りを警戒する様子もなく、ごく自然な感じで、暁があたりをつけていたホテルのうちの1つに近づいて行く。
暁はさりげなくカメラを取り出すと、2人の顔とホテルの入口だということが分かるアングルを望遠で狙い、入る瞬間の親密そうな笑顔の2人を連写で撮った。
この写真を男の妻に見せれば、あの2人の不倫関係は今日で終了だ。その後、男が妻と子供を取るか、あの女性の方を選ぶかは分からないが。
暁は撮った画像を液晶で確認してから、カメラをナップザックにしまい、その場から少し離れて、スマホを取り出した。
ー調査終了。今どこ?
ちょっと間が空いて既読がつき、
ーまだ、喫茶店です。
ー了解。そっち戻るから外出て待ってて。
暁は送信すると、さっきの喫茶店へと道を引き返した。
「暁さん…っ」
喫茶店の前にぼんやり立っていた雅紀が、暁の姿を見た瞬間、声をあげて駆け寄ってきた。
「おう。お待たせ」
ポンポンしてやろうとした頭が手の下をするりとすり抜け、避ける間もなく胸にぽすんと飛び込んできた。
暁は一瞬呆気にとられ、思わずホールドアップしてしまった両手で、雅紀の華奢な身体をふんわり抱き締めた。
「なに、どした?」
昼間の街中だ。表通りから中に入ったホテル街なので、この時間往来に人はまばらとは言え、抱き合うのは雅紀の方がダメ出しをするはずの状況だ。
暁の穏やかな声音に、雅紀は無言で首をふり、顔をすりよせてくる。
……急にデレスイッチが入った……って訳じゃねえよな……。あれか。喫茶店に1人置いてかれて、不安になっちまったんだな。
暁は合点がいくと、雅紀の髪の毛を撫でて
「任務終了な。次の現場は車で移動するけど、お前どうする?事務所でみんなと待ってるか?」
雅紀は首を横にふり、顔をあげて暁を見上げ
「次のお仕事も……浮気調査……ですか?」
腕の中で上目遣いに見つめてくる雅紀の目が、不安げに揺れている。暁は優しく見つめ返し
「いや。お次はさ、家庭訪問だ」
雅紀の目がきょとんと丸くなる。
「……家庭……訪問……?」
「そ。んじゃ行ってみるか」
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