166 / 369
ひと恋染めし春のつき4
庭の先にある引き戸を開けると、そこにはまた別世界が広がっていて……。
「うっわぁ……」
雅紀は暁から手を放し、岩でできた床を踏みしめて、浴槽に近づいていく。浴槽も全て大きな岩で組まれていて、ゆったりとした広さだ。この客室は他の客室とは独立した造りになっていて、辺りを見回しても、おおらかな自然の景色が広がっているだけだった。
「な。すげえだろ?この露天風呂の写真がさ、ここにした一番の決め手なんだぜ~」
得意気に語る暁を振り返り、雅紀は嬉しそうに頷いた。
「ほんとに凄いっ。暁さんっありがとうっ」
駆け寄ってきてつるっと足を滑らせた雅紀を、暁は慌てて抱き止める。
「おっと。危ねえって。岩だからな、滑って頭打ったら大怪我するぞ」
「だって。こんな素敵なとこ、俺初めて見たしっ」
さっき泣きそうな顔をしていた天使が、今は興奮に頬を紅潮させ、心から幸せそうな笑顔だ。
……ああ……いいな、おまえのそういう顔。その笑顔見るだけで、俺も幸せだよ、雅紀。これから先ずっと、そんな顔だけさせてやりたいな。
暁は穏やかに微笑んで、雅紀の柔らかい髪を撫で
「気に入ってくれたんなら何よりだ。さて。もうすぐ夕食がくるからさ、飯食った後で、ここ、ゆっくり浸かりに来ようぜ」
嬉しそうにこくこく頷く雅紀の手を握って、庭を通り抜け部屋の中へと戻る。
最初に入った畳の和室の部屋の奥にあるドアを、雅紀は好奇心いっぱいに開けてのぞきこみ、何故か顔を赤くして暁の方を振り返った。
「そっちが寝室だろ?どした?そんな顔して」
「だって……ここ……大きなベッドが……ひとつ…」
暁はニヤニヤしながら、自分も部屋をのぞきこみ
「そ。だってここの露天風呂付客室って全部スイートだからさ。ツインとダブル、1部屋ずつ空いてたから、迷わずダブルにしてみました~」
平然とした顔でVサインしてみせる暁に、雅紀は呆れた顔で肩を落とし
「もう……なんかいちいちハラハラしたり怒ったりするの、バカらしくなってきた……。男2人でスイートのダブルって、暁さんには普通のこと?俺 、恥ずかしくってホテルの人の顔、もう見れない…」
暁はぽかんとした顔で、雅紀の赤い頬を見つめ
「あー……そっか。男2人でダブルって、おかしいか?ま。でももう入っちまったし。チェックインの時も何も言われなかったぜ~。んな気にすることないって。旅の恥はかき捨てっていうだろ?」
……や。暁さん。そういう問題じゃないから。
雅紀は心の中で突っ込みを入れ、ため息をついた。
「な。な。部屋着がさ、和洋両方あるぜ」
暁は寝室から浴衣とガウンを両方持って、嬉々として雅紀の側にやってきた。
「やっぱさ。浴衣だよな~。おまえ、似合いそう」
紺地の浴衣と帯を嬉しそうに差し出す暁の背後に、邪な尻尾がふりふりして見える。雅紀はじと…っと暁を見つめ
「それも、男のロマンですか?」
「な。な。着てみろって~。な?」
眉をひそめる雅紀にお構いなしで、暁は雅紀のパーカーをくいくい引っ張ってはしゃいでいる。雅紀はまた内心ため息をつき
「わかった。着ますー。着るからそんな引っ張らないっ」
暁から浴衣を受け取ると、無駄な抵抗は諦めて、素直に浴衣に着替え始めた。暁に背を向けてトランクスだけになり、浴衣を広げて袖を通してみる。
「………?」
浴衣の着方が分からず、首を傾げて固まった雅紀に、着替えに見とれていた暁は、はたっと我に返り
「おい。もしかして着方分かんねえとか?」
雅紀はもじもじと袷を指でいじり
「だって……浴衣なんて、俺着たことないし…」
「まじか。んじゃ、俺が着付してやるよ」
暁はいそいそと歩み寄ると、手際良く雅紀の浴衣を着せてやる。雅紀は感心したように暁の手つきを見て
「暁さんて……ほんと器用。何でも出来るんだ」
「これはさ、前に仕事の付き合いで無理やり覚えさせられたんだよ。何でも屋だかんな、うちは」
暁は苦笑すると、自分も同じ浴衣に手早く着替えた。
「うん、やっぱいいなぁ。おまえの浴衣姿、最高っ」
雅紀の浴衣姿に、満足そうに目を細めている暁自身が、まるでモデルのように格好よく着こなしている。雅紀は姿見に映る自分を見てから、脱いだ服を片付けている暁の後ろ姿に、ぽーっと見惚れた。
……日本人は和服着ると3割増っていうけど、暁さん、浴衣似合いすぎ……。なんだろ。男の色気?すげえ出てて……うわ……やばい。俺なんだかドキドキしてきた……。
「気分出てきたよな。もうすぐ夕飯だぜ。ここな、料理もやっぱ良さげなんだぜ。創作和食ってなっててさ。献立例の写真載ってたけど、海の幸山の幸どっちも……って、どうした?雅紀」
「え……っ……あ、なに?」
振り返った暁が怪訝な顔で首を傾げている。
「おまえ……なんでゆでダコみたいになってんの?……あ、もしかして疲れ過ぎたか?熱でもあんじゃねえだろうな?」
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!