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傷痕5
「なあ、雅紀。おまえ今、飯食うより話がしたいって顔に書いてあるぜ。違うか?」
言い当てられ、雅紀は微妙に目を逸らした。
「無理はすんな。言ったろ?俺にだけは気持ち、ちゃんと言ってくれって。おまえが話したいなら、俺はいくらでも聞くよ」
雅紀は弱々しく微笑み
「じゃあ……どっか……お店じゃなくて、落ち着いて話せるとこ、行ってもいい?」
「OK。んじゃ……あっちに公園あったよな?そこ、行くか」
横断歩道を渡り、大通りの向こうにある公園に行くと、オフィス街にある憩いの場所は、時間が時間だけに閑散としていた。木々に囲まれたちょっと奥まった場所にあるベンチに座る。雅紀はちょっとほっとしたような顔をしていた。
暁は自動販売機で缶コーヒーを2本買うと、雅紀の横にどさっと腰をおろした。雅紀に1本渡して、プルトップを開けて一口飲む。持った缶をただ手の中で転がしている雅紀に
「飲めよ。それ練乳入りのあま~いヤツ。飲んだら元気出るぜ」
雅紀はプルトップを開けて、ちょっと首を傾げてから、ごくごくと一気に飲み干した。
「わ……あま~い」
顔をしかめる雅紀の表情が少し緩んでいる。
「おまえ~。一気に飲んじまうんだもんなぁ」
顔を見合わせ、くすくす笑い合う。
そのまま2人はしばらく何も話さずに、そっと手を繋いで、お互いの手の温もりだけ感じていた。
「暁さんは……今の仕事辞めて……藤堂さんのとこに……行くの?」
雅紀がポツリポツリと話し始める。暁は首をひねり、缶コーヒーをまた一口飲むと
「あ~……な。どうなんだろな。まだわかんね。都倉秋音なら、それが自然なのかもしんねえけどさ……。記憶が戻らねえと、何とも言えねえよな」
「そう…」
「おまえは、どうしたい?もともとおまえ、あのデザイン会社に入りたかったんだよな?藤堂さんの話、悪くないと思うぜ。おまえ、あの仕事、めっちゃ好きだろ」
雅紀はほうっと息を吐き出し、暁の手をぎゅっと握りしめ
「大学……中退して……仙台から逃げ出したから、俺。こっちで就職は……出来ない」
「それは、元彼とのことが……原因だよな?」
詰問口調にならないよう、慎重に口に出す。雅紀はぎゅっぎゅっと手を動かし
「元彼……だけじゃ……なくて……他にも……あって……仙台にいたら……顔……合わせたら俺…」
雅紀の呼吸がちょっとおかしい。暁はぐいっと雅紀の手を引き、自分の身体に凭れさせた。
「無理に話すなよ。話したいなら、ゆっくりな」
雅紀はこくんと頷くと、ゆっくり息を吸い、吐き出した。
「俺、監禁されてた時、薬で、めちゃくちゃに、なってて」
「うん」
「元彼、だけじゃなく、他にも男の人が5人、きて」
「うん」
「玩具使われたり、抱かれてる……とこ、動画……いっぱい、撮られてて」
「うん」
「元彼の家から、逃げ出したあと、動画ばら蒔くって脅されて、他の男のとこにも、あちこち、連れて……かれて」
暁はたまらず、雅紀の肩をぎゅっと抱き寄せた。雅紀の目は虚ろで、涙すら滲んでいない。
「大学、行きたくても、行けなかった。行くと、男たちが来て、車で連れてかれて、そのうち、客をとれって言い出して、知らないおじさんと、ホテルに行かされて。もう……限界だった、俺、何度も、死のうと思って。ホテルからアパート帰って、すぐ駅行って新幹線乗って、実家に」
雅紀の身体が震えている。暁は両手で雅紀を抱き締め、胸に顔を埋めさせた。ガタガタと震える身体をさすり、頭を優しく撫でる。
「高校の時、部活の顧問の先生に、準備室で襲われた。俺、初めてで、すごっすごく、痛くてこわ怖かった、けど、先生、黙ってろって、その後何度も。そしたらみんなに、バレて、学校に親、呼ばれて、先生、俺が誘惑したって、俺、俺が誘ったって。学校中の噂に、なって、親に恥さらしって、罵られて、学校、転校して、おばあちゃんのいる仙台に来て。やっと、平和になったのに、また仙台でもっ。俺、俺はっ望んでないっ。誰も誘惑なんかしてないっ。俺は普通に、生きていたかった、だけなのに~~っ」
最後の方は、もうほとんど悲鳴に近かった。暁は込み上げてくる涙をぐっと堪らえ、雅紀の華奢な身体を力いっぱい抱き締めた。
これだったのだ。
素直で優しい、恐らくはもっと明るくて朗らかなはずの雅紀の性格を、歪め、萎縮させていた原因は。
確かに酷い過去だ。泣きたくなるほどに。
暁には想像もつかない、歪んだ欲望の犠牲になっていた雅紀の、これまでの半生が哀しすぎる。
押し殺しきれない泣き声をあげて、雅紀が泣く。
どんな言葉も何の慰めにもならない。
暁がどれほど憤り、雅紀を傷つけた人々を憎んでも、それはもう起きてしまったこと。
取り返しのつかない過去だ。
……おまえを傷つけたヤツ、全員俺がぶちのめしてやりたいよ。おまえは悪くない。何にも悪いことなんかしてない。だから泣くな。そんなに哀しい声で泣くなっ。
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