182 / 377
傷痕10
自分ももちろん混乱しているが、傍らで話を聞かされている雅紀にも、これは相当ショックな内容だ。
暁は降参とでもいうように手をあげて、坂本の淡々とした口調を遮ると
「達哉、ありがとう。だがいったんストップな」
真っ青な顔で口を押さえている雅紀に気づいたのだろう。坂本は表情を和らげ
「あ。すまない。今のはもし全ての事故が繋がっていたら……という俺の仮説にすぎないんだよ。雅紀くん、驚かせて悪かったね」
坂本の言葉に、雅紀は隣の暁を不安そうに見上げて
「でも……もしそれが本当なら、秋音さんは何度も命を狙われていたってことですよね?ね……暁さん。暁さんは、その相手に心当たりはないんでしょう?秋音さんには心当たり、あったのかな。だから仙台から姿を消したのかな」
「ああ。秋音が疑っていた相手はたぶん…」
答えようとする坂本に、暁はすばやく目配せすると
「今この場で結論を急ぐのはダメだろ。雅紀、この話は俺もじっくり考えたいしさ。後で話そうか」
雅紀はまだ不安そうな顔でしばらく暁を見ていたが、やがてこくんと頷いた。
「秋音、仙台に戻ってくる予定はないのかい?」
「うーん……。実は以前の勤め先の社長から、戻って来いって誘われてる」
坂本はぱっと表情を明るくして
「藤堂氏の事務所か?いい話じゃないか」
暁は笑って首をすくめ
「そうだな。ありがたい話だよな。なあ達哉、俺はあの仕事を気に入っていたか?やりがいを感じているようだったか?」
「それはもちろんだ。大学を選ぶ時点で、将来はあの事務所で働きたいと言っていたくらいだからな。競争率も高くてな、内定もらった時は2人で朝まで飲み明かしたんだ。おまえはとても嬉しそうだったよ。就職してからも月に1.2度は会って飲んだが、おまえは自分の仕事に夢中だった」
「そうか……。記憶を失っていなければ、俺は戻ったんだろうな、あそこに」
「……断ったのか?」
「いや。返事は保留にしてもらってるよ。俺にはまだやらなけりゃならないことがあるからな」
「そうか……。ところで秋音、今日はこの後予定があるのか?」
「あ~……ああ。その藤堂氏から飲みに誘われてるんだ」
坂本はちょっとガッカリした様子で
「なるほど。先を越されたか。こっちにはいつまでいるんだ?」
「日曜日の夜の新幹線で帰るつもりだ」
「じゃ、明日の夜は空けておけよ。久しぶりに飲もう」
暁はちらっと雅紀の方を見てから
「雅紀も一緒でいいだろ?」
「あ……ああ。もちろんだ」
暁はまた雅紀の顔を見てから、照れくさそうに笑って
「あのな達哉。紹介が遅れたけどな。篠宮雅紀は俺の大切な恋人なんだ」
「暁さんっ」
「いいだろ。達哉は俺の親友だぜ。ちゃんと話しておいた方がいい」
暁の告白に坂本は目を見開き、信じられないという顔で2人を見比べた。
「恋人……?え……冗談だろ……おまえたちは男同士じゃないか」
坂本の反応に雅紀の表情が強ばった。暁はにっこり笑って
「そ。男同士だけどな。付き合ってんだ」
「ちょっと待ってくれ。秋音。おまえいつ宗旨替えした?だっておまえはそっちの気はなかったはずだ。詩織さんと結婚したくらいだ。完全にノーマルだっただろ?」
やけに食い下がる坂本に、暁は苦笑いして
「大切にしたい相手が、たまたま男だっただけだ。別に問題ないだろ?」
坂本は呆然と暁を見つめていたが、暁の横で青ざめ目を伏せている雅紀に視線を移して
「君が、誘惑したのか」
その一言に雅紀は弾かれたように顔をあげた。坂本の表情が険しい。
「よせよ、達哉」
暁は低い声でそう言うと、笑みを消して坂本を睨み
「誘ったのはむしろ俺の方だ」
「それはないな。篠宮雅紀くん。あの頃、君の妙な噂を耳にしたが、あれはやっぱり本当だったんだな」
「達哉っよせっ」
身を乗り出した坂本と雅紀の間に割り込むような形で、暁は声を荒げ
「雅紀は俺の大切な人だと言ったはずだ。おかしな言いがかりはよせっ」
暁に鋭い目で睨まれて、坂本は憮然とした顔になり
「おまえは……変わったな。記憶をなくしたからか。もしそうでなかったら、男を好きだなんて、絶対言い出さなかったはずだ」
「達哉、もうやめろ。お前ががそういうの、受け付けられないというなら仕方ないさ。言い出した俺が悪かった。だからこの話はおしまいだ。それでいいだろ?」
「秋音、おまえ騙されているんだよ。そのこには本当に変な噂があったんだ。俺の後輩が…」
暁はダンっとテーブルを叩いて立ち上がった。竦み上がる雅紀の腕を掴んで立たせ
「残念だが、これ以上君とは話したくない。忙しいところを付き合わせて悪かったな、坂本達哉くん。いろいろと話を聞かせてくれてありがとう」
吐き捨てるようにそう言って、テラスから立ち去ろうとした暁の腕を逆に掴み、雅紀はすがりついた。
「ダメっ!暁さんっそんなの駄目だ!」
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!