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つきがみていた6
「でも、俺は知っておきたい。万が一の時、暁さんを守りたいから」
真剣な表情できっぱりと言い切った雅紀に、暁はちょっと感動していた。その揺るぎない眼差しの強さに。
自分のことになると、消極的で後ろ向きで、ともすると自虐的ですらある雅紀が、暁のことになると、こんな強い意志を見せるのだ。
この目を見てしまったら、適当に誤魔化すことなんて、出来るわけがない。
暁はふうっとため息をつくと、意を決して口を開いた。
「疑わしいのは、俺の父親とその妻と義理の兄貴だよ。もしくはその周辺にいる人物だ」
雅紀の大きな目が、更に見開かれていく。暁は苦い笑いとともに首をすくめ
「俺の母親は、ある男の愛人だった。かなりの資産家でさ。父親と、半分だけ血の繋がった兄貴がいる。俺には祖父が残した莫大な遺産の相続権があるらしい。そのせいで、俺や俺に繋がる家族が命を狙われるとしたら、まずは疑った方がいい存在って訳だ。哀しいけどな」
雅紀は目を見開いたまま、しばらく声も出せずに、ただ暁を見つめていた。暁はテーブルの灰皿を引き寄せ、煙草をくわえてマッチを擦ると、火をつけて煙をゆっくり吸い込んだ。
「なんつーかさ……。記憶を失った時は、欲しくて欲しくて仕方なかった自分の過去だけどな。いざ知ってみると、知らない方が幸せだったかも?なーんて思っちまうよなぁ…」
自嘲気味に笑いながら呟いて、ひょいっと雅紀の顔を見て、暁は息を飲んだ。
雅紀の目から大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちていた。
「っちょっ、なんでおまえ、泣くんだよっ」
「ごめっごめんなさっ。俺が泣いちゃ、だめ、なのに、分って、るのに、止まんなっ…」
暁は、慌てて手の甲で涙を拭おうとする雅紀の、頭を抱き寄せ、自分の胸に押し付けた。小さな頭を両手で包み、柔らかい髪の毛を何度も撫でる。
雅紀の綺麗すぎる涙は、嬉しいけど苦手だ。
それが自分の為に流される涙なら尚のこと、胸の奥がぎゅっと潰れそうに痛む。
「まーた、俺の代わりに泣いてくれんのかよ。もう、おまえってほんと…」
……愛おしいヤツ。
「っごめんなさっ。ひぃっく……ごめっ」
「謝んなよ、頼むから。いいから気の済むまで泣けって。俺の胸ん中のもやもや、おまえの綺麗な涙で洗い流してくれよ」
暁は雅紀が泣き止むまで、ずっと髪を撫で続けた。
雅紀が流してくれる涙は温かくて、本当に胸の奥が浄化されるような気がした。
「俺、ほんとに泣いてばっか。ごめんなさい…」
雅紀はせっかく泣きやんだのに、今度は自己嫌悪に陥ってしょんぼりしている。暁はポットで沸かしたお湯で、紙フィルタータイプのコーヒーを2人分入れて、テーブルまで持ってくると
「ほい、コーヒーな。おまえの分は、ミルクと砂糖たーっぷり入れてやったから、飲め」
「……ありがとう…」
雅紀はカップを持ち上げると、ふーふーしてから、慎重に啜った。本当に甘い甘いコーヒーだ。
暁は雅紀の隣に座ると、自分もコーヒーをひとくち啜り
「そういやさ、あの桜の公園近くの珈琲豆専門店のコーヒー、美味かったよな」
「あ。髭のオーナーの?」
「そそ。なんつーの?ちょっと他とひと味違う感じ?」
雅紀は首を傾げ
「あれって……焼き物のカップが良かったのかな。あ、もちろん豆や淹れ方がいいのもあるけど、あのカップで飲むと、口当たりがまろやかになる感じ……したかも」
「あ、やっぱりおまえもそう思った?あれってオーナーの手作りか?市販品にしちゃあちょっといびつだったぜ」
「うん。でもなんだかあったかい感じ、でしたよね」
落ち込んでいた雅紀の顔が少し和やかになって、暁はほっとした。
先程の話には続きがある。
いや、続きというより、本題というべきか。
秋音の父親は桐島大胡。
腹違いの兄は桐島貴弘だ。
その事実を思い切って雅紀に告げるべきか。
雅紀のさっきの反応が、暁の心に待ったをかけていた。
雅紀の純粋さは、諸刃の剣だ。
血縁者に命を狙われているかもしれないと告げただけで、ショックで泣いた雅紀が、それが自分と関係のあった桐島貴弘かもしれないと聞いて、どんなショックを受けるのか、全く想像出来ない。
時折、暁のまったく予想していない、後ろ向きな発想に陥ることのある雅紀だ。
だいたい、あんな目に遭ったばかりの雅紀に、貴弘の名前を告げること自体が、まだ早すぎる気もする。
そしてもうひとつ。
今日、坂本から聞かされた話……。
確かな証拠のある情報ではないが、暁が薄々疑っていた母親の事故も、やはり仕組まれたものだった可能性が出てきた。更には、秋音自身が狙われていた可能性もかなり高い。
もしそれが真実ならば、暁は自分の命を狙う相手に、無防備に自分の正体を明かしてしまったかもしれないわけだ。
……こうなってくると、不用意に桐島の一族に接触するのは危険だな。俺だけならまだしも、雅紀まで巻き添えをくらうかもしれねえ……。
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