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つきがみていた7

暁の頭を悩ませる問題は、もうひとつある。 今日知った情報を、田澤社長に伝えるべきか否か。 田澤は、暁の味方だ。 そのことを疑う気持ちはまったくない。田澤がいなければ、暁は今こうしてまともに生きていることも、出来なかったかもしれない。それほど恩義のある、信頼出来る相手だ。 だが、その田澤自身は、桐島大胡に恩義がある。詳しいことは知らないが、それは暁が田澤に受けたのと、同じくらいの重みがあるものだろうと推察は出来る。 その上、田澤は秋音の母親に、どうやら報われぬ想いを抱いていたらしい。 もし、秋音の命を狙い、母親と妻を死に至らしめたのが、大胡自身の意思だったかもしれないと告げたら……。 田澤は今後、大胡と暁の板挟みになって、苦しむことになる。 ……だめだ。告げるとしたら、もっと確たる証拠を掴んでからだ。ただの憶測の段階で、言っていい内容じゃねえだろ。 「暁さん……」 雅紀の不安そうな声で、暁ははっと現実に引き戻された。雅紀はせっかく落ち込みから浮上したはずなのに、またしょんぼりした様子で、暁の顔をのぞきこんでいる。 「悩み事……?難しい顔してる」 暁は安心させるように、ははっと明るく笑うと 「明日さ、おまえにつきあって欲しいとこがあるんだよ」 「俺に?」 「そ。朝起きたらさ、モーニング食って出掛けようぜ」 「暁さんが行きたいとこだったら、俺どこでもつき合うけど…」 「けど?」 雅紀は暁の手を掴んで、両手で包むようにして握り 「俺じゃあ全然、頼りにならないかもしれないけど。でも、暁さんが何か悩んでるなら、俺も一緒に悩むから。一緒に考えるから。だから……ちゃんと、話して」 暁は雅紀の手に、自分のもう一方の手を重ねた。 「分かったよ。雅紀。明日その場所に行ったらさ。俺の今の悩み事、おまえにも分けるから。ちょっと重いけどさ、受け取ってくれよな?」 雅紀は柔らかく微笑んで、嬉しそうに頷いた。 ーこの時、雅紀に全て打ち明けなかった事を、俺は後で、死ぬほど悔やむことになる。 朝食はホテル近くのベーカリーカフェで、焼きたてパン食べ放題付きのモーニングセットにした。 「俺、この旅行で確実に3キロは太って帰るかも」 食べ放題用のひとくちサイズのセサミブレッドを頬張りながら、雅紀は幸せそうに嘆く。 「おーおー太れ太れ。そもそもおまえは痩せすぎなんだよ。もっとプクプクして可愛くなれ」 暁はコーンスープを飲みながらクロワッサンを齧り、嬉しそうに笑った。 「プクプクって…」 「その方がさ、もっと抱き心地良くなっちまうな」 暁はちょっと声をひそめて片目を瞑った。 「……俺、太らせたい理由って……そこ?」 「もっちろん、それだけじゃねえよ。な、ここのクロワッサン上手いな。すっげーサクッサク」 「クロワッサンだけで、何種類かありましたよね?お店に並んでるクロワッサンサンドも、いろいろあって美味そうだった」 「クロワッサンってさ、生地作るのめちゃめちゃ手間かかんだぜ。バターを何層にも織り込んでな。何回か挑戦してみたけどさ、こんなサクサクにはなかなか出来ねえな」 「そうでした。暁さん、お菓子だけじゃなくて、パンも作る人だったっけ。なんかほんと、人は見かけによらないっていうか…」 暁はふふんっと笑って、プレートのスクランブルエッグをつつきながら 「いつになるか分かんねえけどさ、おまえと2人で店やりてえな」 「え…」 「俺とお前で作ったパンやスイーツを、美味いコーヒーと一緒に食える店。小さくていいからさ」 雅紀はベーコンを刺したフォークを持ったまま、固まっている。 「わ。やべえ……この無花果と胡桃のパン、美味すぎるっ。ひとくち食ってみ?」 暁は半分に割ったパンを、雅紀の口元に差し出した。雅紀はまだ固まったまま、ぼんやりと口を開き、暁に突っ込まれたパンをもぐもぐした。 「おい。なんつー顔して食ってんだよ。雅紀くん?頭がお留守になってんぞ?」 雅紀ははっとして、口の中のものを急いで咀嚼して、ごくんと飲み込むと 「や、だって、暁さんが、びっくりするようなこと、言うから…」 「まだず~っと先の話だよ。そんな風におまえと一緒に、生きていけたらいいなってさ。ま、俺の勝手な願望だけどな」 「暁さん…」 暁はにかっと笑うと 「お。パンがなくなっちまったな。俺とってくるぜ。何がいい?」 「え……と…あ、じゃあチョコクロワッサンとオレンジクロワッサンとチーズフランス」 「OK」 暁はご機嫌な様子で、パン用の籠を持って立ち上がり、棚の方へ歩いていく。 その姿を目で追ってから、雅紀はフォークを置いて、ちょっと火照ってしまった頬に両手を当てた。 ……いつか……2人でお店……?そんな……そんな幸せな未来を……俺にくれるの?暁さん。俺と一緒にこの先もずっと……生きてくれるの? 雅紀はじわりと熱くなった目頭を慌てて押さえた。

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