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おれの知らないきみ4

春の間のほんの短い期間に、自分は暁から、生涯忘れられない至福の時間をもらった。 もう充分過ぎるほど、暁は自分を大切に愛してくれた。 与えられるばかりだった無力な自分が、暁に何かを返せるとしたら……。 暁の命を狙う人間。 父親ではないのであれば、それはおそらく兄。 桐島貴弘。 自分ならば、貴弘に、何の疑いも持たれずに近づくことが出来る。 電話をかけて、暁とのことは気の迷いだった、やっぱり貴方のもとに戻りたいと言えば、貴弘はおそらく……受け入れてくれるだろう。 たとえ2度と暁に会うことが出来なくても、暁が幸せに生きてくれればいい。 あの優しい人の命を、たとえ遠くからでも守ることが出来たら、幸せとは言えなかったこの人生にも、意味があったのだと思えるだろうか……。 「……篠宮くん、篠宮くん?」 田澤の声に、雅紀ははっと我に返った。 ぼんやりと田澤の方に顔を向けると、医師はすでに説明を終えたのか、姿がなかった。 「大丈夫か?篠宮くん」 「あ……はい……すみません、俺ぼーっとしちゃって…」 「無理もないさ。ちょっとショックが大きかったよな。俺だって参ってるよ。暁のバカったれが。せっかく記憶を取り戻したってえのに、肝心なことを忘れちまいやがって」 「まあまあ、田澤さん、仕方ないですよ。暁だって好きで怪我したり、記憶なくしてるわけじゃないんですからねえ」 早瀬のおばさんのおっとりした言い方に、田澤も苦笑いして 「まあ、そりゃそうだ。な、篠宮くん、医者は難しいことごちゃごちゃ言ってたがな、暁はそのうち戻ってくるぜ。今はちょ~っと頭ん中がこんがらがってるだけだ。俺のことはともかく、あの暁が君とのことを忘れちまえるわけがねえんだからな」 田澤はそう言って、にかっと笑った。 この豪快で楽観的であっけらかんとした言い方は、暁とよく似てる。暁の喋り方やものの考え方は、きっと田澤から影響を受けたものなのだろう。 雅紀はなんだか嬉しくなって、ふふっと小さく笑った。 「あんたは、そうやって笑ってる方がいいね」 これまでほとんど喋らなかった早瀬のおじさんが、雅紀をまっすぐ見つめてぽつりと言った。 「暁はそんなあんたに救われていたんだろう。側にいてやってくれ。これからもずっとな」 おじさんの言葉に、雅紀は内心どきりとした。 「はい……ありがとうございます…」 「さてと。もう後1時間もしたら、面会時間が終わるな。ここは個室だから、付き添いは1人だけ許可されてるみてえだが、篠宮くん、君はどうする?もし疲れてるんなら……」 「いえっ大丈夫です。俺が付き添うんで、皆さんはホテルで休んでください」 「暁と君が泊まってたのは、たしか駅前の○○ホテルだったな。んじゃ他の部屋空いてるか確認して、予約とってくるぜ。早瀬さんたちも今夜はこっちに泊まるんだろ?」 「ええ。お店の方は一応1週間、臨時休業にしてきましたからね。暁がこっちに入院してる間は、私らも滞在するつもり。今までほとんど休みも取らずに、働いてきたんですもの。それくらいお休みしてもバチは当たらないでしょ」 「ああ。そりゃあいい。あんたら働き過ぎだからな。暁の状態次第だが、動かせるようになったら、向こうの病院に転院した方がいいだろう。こっちじゃ俺も篠宮くんも仕事があるから、通うのは無理だしな。っと、そういや、篠宮くんは仕事はいつまで休めるんだ?」 「俺は……あの会社、辞めることにしました。しばらくは蓄えでやり繰りして、足りなければバイトで繋いで、次の仕事を探すつもりです」 田澤はちょっと痛ましげな顔をしたが、すぐに笑って 「君はまだ若いんだから、いくらでもいい所は見つかるさ。バイト探すんなら、俺の事務所でもいいし、他の仕事が良けりゃ俺がツテあたってやるからな。じゃ、とりあえず今日のホテルの予約してくるぜ」 田澤はそう言うと、病室を出て行った。 ホテルの予約が無事に取れた後も、田澤と早瀬夫婦は面会終了時間ぎりぎりまで病院にいてくれた。 おばさんは、持参の煮物だけじゃ足りないだろうと、院内のお店でおにぎりやら果物やらプリンやゼリーやお菓子や飲み物を、雅紀一人では食べきれないくらい買ってきてくれて、疲れたら遠慮なく連絡してこい、いつでも交代するからと、何度も雅紀に念を押してから、名残惜しそうに部屋を後にした。 暁のあったかくて優しくて世話好きな性格は、あのおばさんからの影響だろう。 雅紀は心の中が温かくなると同時に、無性に暁が恋しくなって、付き添い用の簡易ベッドの脇の椅子に座り、もう暗くなった窓の外をぼんやりと見つめた。 今朝、ホテルを出る時は、まさかその夜を病院のベッドで過ごすことになるとは、夢にも思っていなかった。 ……暁さん……。もう少しだけ、貴方の側にいさせてくださいね。今度は俺が絶対に貴方を守るから。もう2度と、こんな酷い目に遭わせたりしないから。

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