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第46章 惑う月1
驚ろかさないようにそっと声をかけると、暁の視線がゆっくりと動く。雅紀と目が合うと、暁はぎこちなく頬をゆるめた。
「……おはよう。雅紀」
「目、覚めてたんですね。おはようございます、先輩。気分はどうですか?」
「あ……ああ。どうかな……。ぼーっとしているよ。頭の中に鉛が詰まったような、重たい感じだ」
雅紀はにこっと笑って
「それきっと麻酔や点滴のせいですよ。痛みはないですか?」
「うん……動かそうとすると、痛いな。それより雅紀、おまえ眠れなかったんだろう。目が赤い」
「あーうん、はは。俺、枕変わると寝れないタチで。でも大丈夫ですよ。先輩より全然若いし」
雅紀の軽口に、暁は表情を和ませ
「若いっておまえ、今いくつなんだ?」
「……え……28……ですけど」
暁は一瞬目を見張り、雅紀の顔をまじまじと見て
「……28……か……。たしかに若いな。大学生ぐらいにしか見えないんだが」
笑い混じりの暁の言葉に、雅紀はぷくっと頬をふくらませた。
「や。そういう意味の若いじゃないしっ。俺、今はちゃんと社会人やってますよ。仕事だってしてるんですからねっ」
「ふふ……ムキになるなよ。そういう顔をすると、ますます若く見えるぞ」
喋り方は随分違うが、いつだったか暁と同じようなやりとりをした。そのことを思い出して、目の奥がツンとなる。雅紀は慌てて瞬きをして誤魔化し
「でも先輩、思ったより元気そうで良かった。顔色もだいぶ良くなってますよ」
「……そうか。……昨日の事故……俺はおまえと墓参りに行って、車にはねられたと言っていたな。もしかして、ひき逃げか?」
「え……」
「その車、最初から俺を狙っていたんじゃないかか?」
「や……あの……どうして、そう思うんですか?」
「……やはりそうなんだな。……雅紀。俺は以前から、誰かに命を狙われているらしい。母が死んだ事故も、本当は母の過失ではないと、俺は思っている。詩織の時も………」
ふいに暁の言葉が途切れた。暁は目を細め、何かを思い出そうとするような表情になった。
「……先輩……?」
「うん?あ、いや……。ここは仙台なんだよな?俺はどうしてこっちに…」
昨日、目覚めた暁におおよその説明をしただけだ。暁の記憶が6年前で止まっているのなら、仙台で事故に遭って病院にいると聞かされても、混乱するのは当たり前だろう。雅紀は安心させるように微笑んで
「先輩。順を追ってちゃんと説明しますよ。先輩の今の状況。だから焦らないでください」
「……ああ。……そうだな。教えてくれ、雅紀。お前の分かる範囲でいいから」
雅紀は頷くと、椅子に腰をおろし、暁から聞いていたことを、ゆっくり説明し始めた。
「……そうか……。俺はあっちで事故に遭って、記憶を失っていたのか」
「はい。俺と偶然再会してから、実はまだ1ヶ月も経ってないんです。だから、記憶を失ってから俺に会うまでの間のことは、田澤さんや早瀬のおじさんおばさんの方が詳しいと思います」
「そうすると、事故に遭った俺を助けてくれて、親代わりに面倒みてくれたのが、早瀬さんという御夫婦で、俺は田澤さんの事務所で働かせてもらっていたんだな?」
「そうです。3人とも凄くいい方ですよ。暁さんのこと、本当の息子みたいに親身になってくれています。一生かけても返しきれないほどの恩を受けた、大切な人なんだって、先輩、言ってましたから」
雅紀から聞く話を、ひとつひとつじっくり確認していた暁が、ふいに苦く笑った。
「恩知らずだな、俺は。そんな大切な人のことを、すっかり忘れてしまったのか…」
雅紀は、首を横にふり
「そんな言い方しちゃダメですよ。先輩は好きで事故に遭ったわけじゃないんですから。そのことは、田澤さんたちも分かってくれてます。だから、自分を責めたりしないでください」
暁はちょっと驚いたような顔をして
「お前……なんだか大人になったな。あ、いや、28なんだから当然か。そうか……そうだよな」
妙に嬉しそうな顔をする暁に、雅紀はむくれてみせて
「もう……先輩、その言い方めっちゃ失礼だし」
「そうだよな、うん、悪かった。でもなんだか嬉しいんだよ。お前がちゃんと大人で。俺にそんなセリフを、言ってくれるようになるなんてな」
……それは、貴方のおかげですよ、暁さん。貴方が俺に教えてくれたんです。優しさも強さも。まだまだ貴方みたいにはなれてないけど。全然ダメだけど。
雅紀はポケットからスマホを取り出して、画面を見ると
「もうすぐ回診の時間だから、話しの続きはその後にしましょう。俺、ちょっと電話かけてくるんで、先輩は大人しく寝ててくださいね」
「ああ。……あ、雅紀」
「何ですか?先輩」
「いや。……すぐ戻るんだよな?お前」
「もちろん。もしかして先輩、俺がいないと寂しかったりします?」
雅紀が笑いながらそう言うと、暁は顔をしかめ
「寂しくはないさ。ただ少し、心細い……かな」
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