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惑う月2
びっくりして振り返った雅紀に、暁はバツが悪そうな顔をして
「終わったらすぐ戻って来いよ」
少しむすっとした声で呟くと、照れたように目を逸らした。
「うん。ほんと、すぐ戻りますからっ」
それだけ言って雅紀はそそくさと部屋を出た。そうしないと、涙が滲みそうだった。
今の暁にしてみれば、まわりは皆、初対面の人間ばかりだ。怪我をしている上にその状態では、不安で心細いのは当然だろう。自分と立場が逆転してしまったような、頼りなげな暁の姿が切なかった。
病室から少し離れたロビーに行くと、雅紀は田澤に電話をかけた。田澤は暁の記憶が昨日と同じ状態だと言うと落胆していたが、向こうで事故に遭ってからのことを、暁が知りたがっていると言うと
『分かった。早瀬さんたちと朝飯食ったらそっちに行くからな。……篠宮くん。君は大丈夫か?』
「え……?」
『昨日も言ったがな。暁の記憶はきっと戻るぜ。しんどいだろうが、今の暁は君だけが頼りだ。支えててやってくれな』
「……田澤さん……。もちろんです。俺は大丈夫ですよ。それで、ちょっとお願いがあるんです。暁さんに、俺が恋人だったこと、言わないで欲しいんです」
『……いや、だがそれは…』
「今の暁さんにとって、俺は後輩です。ただでさえ混乱して不安になってるあの人に、今それを言っちゃったら、多分ダメだと思うんです。少しずつ、あの人の様子を見ながら、俺が自分で話しますから。だから、黙っててください。お願いします」
『……分かった。君には君の考えがあるってことだな。もちろん、俺らは余計なことは言わねえよ』
「ありがとうございます。じゃ俺、戻りますね。暁さんが不安になるといけないから」
雅紀は明るく答えて電話を切ると、ロビーの椅子に座って、スマホの電話帳を開いた。桐島貴弘のページを開き、画面をじっと見つめる。
瀧田のセカンドハウスで別れを告げ、もう自分から連絡することは2度とないと思っていた、貴弘の電話番号。
タップしようとすると指先が震えた。滝田の屋敷で過ごした忌まわしい記憶が甦ってくる。
……しっかりしろって。変な声出したりしたら、怪しまれて終わりだ。貴弘さんがもしひき逃げに関わっているんなら、失敗したって分かったら、またすぐ何か仕掛けてくるかもしれない。
必死に自分に言い聞かせるが、指先の震えは全身に広がっていく。自分の息遣いがおかしくなっていくのに気づいて、雅紀は諦めて画面を閉じた。
……冷静に話、出来なきゃダメだ。
後で……。もう少し時間を置いてから……。
どのみち、暁の状態が安定するまでは、まだ側を離れられない。あんな不安そうな暁を、1人置いていくなんて出来ない。
雅紀はスマホをポケットにしまうと、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸した。無理やり笑顔を作って立ち上がり、病室へと戻って行った。
部屋に入ると、暁はまたぼんやりと天井を見つめていた。雅紀がベッドに近づくと
「早かったな」
「田澤さんたちに電話してただけですよ。3人とも朝食とったらこちらに来るって」
「そうか。雅紀、おまえは食事は?」
「あ~あは。昨日早瀬のおばさんが、いろいろ買ってきてくれたのがあるから。回診が終わったら適当に食べますよ」
「俺にずっと付き添ってていいのか?仕事があるんだろう?」
雅紀は目を泳がせて
「や。さっき偉そうなこと言ったんですけど、俺、今の会社辞めるつもりで……。だから失業中なんです」
暁は目を見張り
「辞める?」
「はい。ちょっとまあ、いろいろあって……。先輩と一緒に仙台に来たのも気分転換で。いい機会だから自分を見つめ直してみようかな~って…」
「そうか……」
「あ、そういえば先輩、昨日、藤堂社長が来てくれたんですよ。なんだか仕事がバタバタしてるみたいで、田澤さんと入れ替わりに帰っちゃいましたけど」
「藤堂さんが……。そうか、来てくれたのか」
「はい。実は一昨日、先輩と2人で事務所を訪ねていたんです。先輩の事故のこと連絡したら、すぐに駆けつけてくれて。仕事が落ち着いたら、また来てくれるって言ってました」
暁の表情が少し柔らかくなった。知った人物の名前が出てきて、ほっとしたのだろう。
ドアがノックされて、看護士と医師が姿を現した。回診の時間だ。雅紀は2人に場所をゆずり、窓の側に立って、診察を見守った。
処置後の経過は順調で、目眩や吐き気、想定外の発熱もない。脳震盪の後遺症も、今のところ出ていなかった。念のための検査をいくつかして、もう2~3日このまま様子をみて、問題なさそうならば、向こうの病院に転院も可能だと医師は言っていた。
個室は費用がかさむし、大部屋に移るとなると、夜間は付き添いが出来ない。当然、雅紀がホテルに宿泊する費用もかかる。入院が長引くようならば、雅紀と早瀬のおばさんが、通いやすい場所の方がいい。
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