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惑う月3

ドアがノックされて、顔をのぞかせたのは、予想していた田澤たちではなく、藤堂だった。 「あっ。藤堂さん…」 「おはよう、篠宮くん。都倉、目を覚ましたんだって?」 つかつかとベッドに歩み寄る藤堂に、雅紀は慌てた。まさかこんな朝早くに来てくれるとは思っていなかった。暁の今の状況を、藤堂はまだ知らない。 「あ、あの、目は覚めたんですけど…」 急いで説明しようとするより先に、暁が藤堂を見て 「すみません、藤堂社長。わざわざ来て頂いて」 「いや。客先に行く前に寄って行こうと思ってな。なんだ、思ったより元気そうじゃないか」 「ご心配おかけしました。この通り、俺は大丈夫ですよ」 微笑む暁に藤堂も笑って 「おいおい。そんな大怪我しておいて大丈夫ってことはないだろう。ま、だがそれほど酷い状態じゃなくて安心したよ。可愛い彼氏の献身的な看護のおかげかな?」 藤堂の軽口に、雅紀は青ざめて 「あのっ藤堂さんっ。あきらさ、いえ秋音先輩は記憶がっ」 思わず大声になった雅紀に、藤堂は驚いて振り返った。雅紀は焦って口を押さえ、声を低くして 「先輩には今、暁さんとして過ごした間の記憶がないんです。事故のショックで、だから」 雅紀の必死の形相と言葉に、藤堂は眉をひそめると、雅紀の顔をじっと見つめて黙り込む。 そして察したのだろう。ちらっと暁の方を見てから 「それはつまり……今の彼は早瀬じゃなくて都倉ってことか。昔の記憶が戻って、今の記憶を?」 「はい。6年前に戻ってしまったんです」 藤堂は複雑な表情になった。 取り戻して、失った記憶。 そのどちらにも雅紀は存在している。 ただし、全く違う立ち位置で。 藤堂は苦い顔をして、ため息をついた。 「なんだってまた、そんなややこしいことに…」 藤堂の呟きは、そのまま雅紀の内心の嘆きだった。 本当に、どうしてこんなことになってしまったのか……。 「とにかく、今、先輩は混乱してます。だから…」 自分が恋人だったことは言わないで欲しい。 口には出さずに目だけで訴えた言葉を、藤堂は正確に察してくれたらしい。 「なるほどな。それならそれで、俺には好都合ってわけだ」 そう囁いて片目を瞑ると、暁の顔をのぞきこみ 「都倉。怪我が治ったら俺の所に戻って来い。お前、一体何年俺を待たせるつもりだ?記憶が戻ったんなら、仙台から消える前に俺とした約束、覚えてるだろう?」 2人のやり取りを怪訝な顔で見ていた暁は、藤堂の言葉に表情を改めて 「忘れてませんよ。いや、思い出したっていうのが正しいのかな。すみません。随分待たせてしまってたみたいで。ただ俺は……まだ目的を果たせていない。だから戻りたくても戻れません」 「目的……か。たしかに今回の事故で、お前が言っていたことは決定的になったな。何者かがお前を狙って、お母さんと詩織さんを…」 暁は険しい顔で頷いた。 「詩織はあの時、俺を庇ってはねられた。車は最初から俺を狙っていた。今回もそうです。そして、向こうでの事故もおそらく」 「今、警察が動いている。お前が意識を取り戻したのなら、事故の状況を聞きに来るはずだ」 「警察なんかあてにならない。母の時も詩織の時も、警察は結局、犯人を捕まえることは出来なかった。いや、母の時は俺の疑惑をとりあってすらくれなかった」 悔しさを滲ませ、語調を強める暁に、藤堂は厳しい表情で頷いて 「たしかにな……。向こうでの事故も犯人は捕まっていないようだ」 「誰がやったのか、俺には見当がついています。何が目的なのかは分からない。だがおそらく…」 ドアがノックされて、ハラハラと2人を見守っていた雅紀は、はっとして入り口に向かった。 顔を出したのは、田澤と早瀬夫婦。 病室に漂う緊迫した雰囲気に、田澤は怪訝な表情をして雅紀の顔を見る。 「今、藤堂さんがお見えになってて」 田澤は頷いて病室に入ってくると 「来てくださってたんですか、藤堂さん。昨日はろくな挨拶も出来ず、失礼しました」 「いや、こちらこそ。ああ、藤堂さん、あちらは早瀬さん。向こうで暁……いや秋音くんの親代わりになってくださっていたご夫婦で」 藤堂はにこやかな表情になり、2人に手を差し出すと 「都倉から話は伺っておりました。私は都倉の元上司の藤堂薫です」 「早瀬です。初めまして」 穏やかに挨拶を始めた4人を見て、雅紀はそっと部屋を出た。 そのまま、昨日も行った喫煙所に向かう。 夕べは嫌な夢ばかり見て、何度も目が覚めた。うつうつしては目覚め、の繰り返しで、ほとんど眠れていない。 頭の中がぼんやりしているのは、寝不足のせいだけではないだろうけど。 ベンチに腰をおろすと、煙草をくわえ火をつけた。 暁にもらったマッチは残り少ない。まるで自分と暁の繋がりの終わりを告げているようで、ふいに哀しみが押し寄せてきて、暁の前では堪えていた涙がじわりと滲んできた。

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