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惑う月4
暁の側にいたい。でも側にいるのは辛い。
雅紀の心の中で、相反する想いがせめぎあう。
「暁さん…」
雅紀は小さく呟いて項垂れ、顔を両手で覆った。
泣いていたのがバレないように、トイレで自分の顔をチェックしてから病室に戻ると、ちょうど藤堂が帰ろうとしていたところだった。
「篠宮くん。悪いが仕事だ。また後で来るよ」
「はい、藤堂さん、ありがとうございました」
藤堂は田澤たちに会釈をすると、病室の外に雅紀を引っ張っていく。
「今、田澤さんたちと話していたんだがな。都倉の怪我が治るまで、君と都倉は俺が面倒みるよ」
藤堂の唐突な言葉に、雅紀はきょとんとして
「え?え……あの?」
「まだ決定ではないけどね。田澤さんは反対しているし、早瀬さんたちもいい顔はしていない」
「あの?それはどういう…」
藤堂はにっこり微笑むと
「後でまた詳しく話そう。じゃ」
そう言ってさっさとエレベーターの方へ行ってしまった。雅紀はその後ろ姿を見送り、首を傾げながら病室のドアを開けた。
「篠宮くん、あの藤堂という男は信用出来る人物か?」
いきなり苦い顔をした田澤が聞いてくる。
「え……あの」
雅紀はベッドの上の暁の様子を伺った。薬のせいか疲れたからか、暁はどうやらまた眠っていったらしい。田澤は険しい顔で腕組みをすると
「俺は賛成出来ねえ。今はすっぽり記憶が吹っ飛んじまってるが、あいつは暁だ。俺や早瀬さんたちにとって、本当の息子同然の存在なんだぜ。それを、都倉秋音に戻りました、はいそうですかって。そんな簡単に割り切れるかよっ」
「ちょっ、ちょっと待ってください、田澤さん、俺には何の話なのかさっぱり…」
「暁をこのまんまこっちに入院させといて、退院したら自宅で療養させるって言ってんだよ、あの藤堂ってやつが」
「ええっ?」
「たしかに、今の状態で転院させるのは、身体には負担だ。それは分かるぜ。だが、だからってこのまんま…」
「まあまあ、田澤さん。あの方はご厚意で言ってくださってるんですもの」
興奮する田澤を宥めるように、おばさんはおっとりと遮って、雅紀に笑いかけ
「まだね、そうと決まったわけじゃないのよ。あなたの意見も聞かないとね。そういう選択肢もあるっていうお話なだけなの」
「そう……ですか……。藤堂さんが…」
話が次々と急展開すぎて、気持ちがまったく追いついていかない。
雅紀は暁の寝顔を見ながら、藤堂の申し出について考えてみた。
……暁さんをこのまま仙台に……。藤堂さんの所に……。
それは、暁さんの今の状態を考えたら、すごく自然な流れかもしれない。もともと向こうで記憶を失わなければ、暁さんは藤堂さんの事務所に戻る約束だったんだ。もちろん本人の意思が最優先だけど……。
田澤が納得出来ない気持ちもよく分かる。でも、向こうに行っても、暁の記憶が戻る保障はないのだ。
暁としてやってきた仕事も、人間関係も、まわりの環境も、またいちから築き上げていかなければいけない。
藤堂の側にとどまれば、仕事もまわりの環境も、秋音には馴染みがある。
なにより、向こうには桐島家の人間がいる。身体の自由がきかない今の状態で、無防備に彼らの側に近づくのは自殺行為だ。
「せめて……暁さんの怪我が完全に治るまで……藤堂さんのご厚意に甘えても、いいのかもしれません」
雅紀の一言に、田澤は血相を変えた。雅紀は慌てて首をふると
「あ、もちろん、本人の意思を確認してからです。それに、そのままずっと仙台に……ってことじゃなくて、怪我が治るまで。せめて暁さんが身軽に動けるようになるまで」
雅紀が危惧していることを察したのだろう。田澤は険しい表情を消して、考え込み始めた。
「なるほどな……。とりあえず怪我が治るまでの期間限定ってことか……。だが、こっちにいたって事故に遭ってんだ。決して安全なわけじゃねえぜ」
田澤の言葉に、今度は雅紀が考えこんだ。
田澤の言う通りだ。事故はむしろ、こちらで3度も起きている。
「どうするかは、本人と藤堂さんが揃ってから、考えたらいい」
それまで黙っていた早瀬のおじさんが、口を開いた。その冷静で穏やかな物言いに、田澤は苦笑いして首をすくめ
「そりゃそうだな。本人そっちのけで、俺たちが悩んでても仕方ねえか」
「そうですね」
「さあさ、それじゃあ、お喋りは終わりよ。話がしたい人は病室の外へどうぞ。あまり賑やかだと、暁が熟睡出来ませんからね」
おばさんはそう言って笑うと、藤堂が持ってきてくれた花束を花瓶にさし、暁のベッドの脇のテーブルに飾った。
田澤と早瀬のおじさんは、連れ立って喫煙所に行くために部屋を出ていく。
雅紀は、暁のベッドの横の椅子に腰をおろした。
幸い内科的な怪我がなかった暁には、昼は普通の食事が出た。ただ、昼前から発熱した暁に食欲はなく、なんとか口をつけたが、ほとんど残してしまった。
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