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第47章 ぬくもりのかけら1
「いいお話だと思います。俺も一緒にっていうのは、ちょっとびっくりだったけど」
「いや。俺のことよりむしろおまえだよ、雅紀。失業中だったんだろう?藤堂さんの所で働けるなら、おまえにとっては凄くいいチャンスじゃないのか」
雅紀はあやふやな表情で、暁から目を逸らし
「うん……たしかにそうですよね。ただ、俺が使い物になるかは、ちょっと微妙なとこかな…」
「何故だ?向こうでも内装デザインの提案営業をやっていたと言っていたろう?大丈夫だよ。おまえのセンスは、俺が太鼓判を押してやる」
暁がそう言ってくれるのは嬉しいが、自分がこちらで就職出来ない理由は、能力的な問題だけじゃない。雅紀は曖昧に微笑むと
「先輩の方こそどうなんですか?もともと、藤堂さんには戻る約束をしてたんですよね?」
「ああ……まあな」
「先のことは分かりませんけど、とりあえずこっちでゆっくり怪我を治せるなら、その方がいいと思います。今、向こうに行っても、先輩は浦島太郎状態だし」
「だが俺の怪我が治るまで、当分はおまえに面倒かけることになるぞ?」
雅紀はにっこり笑って
「先輩のお世話が出来るなんて光栄ですよ。俺も少しは頼りになる大人なんだって、認めて貰わないと」
おどける雅紀に、暁も安心したように微笑んで
「だったら決まりだ。藤堂さんの話に甘えさせてもらおう。……ただ、ひとつだけおまえに忠告しておくぞ」
「え……忠告……?」
暁はちょっと苦笑いして
「あの頃、おまえは気づいていなかっただろうが、藤堂社長は女も男もどっちもいける人だ。おまえは特に気に入られていたからな。一緒に住むとなると、多分あの人のことだ、かなり熱烈に口説いてくるだろう。その気がないんなら、不用意に隙は見せるなよ」
まさか暁の口からそんなセリフが飛び出すとは思わず、雅紀はぽかんとして暁を見つめた。暁はため息をついて
「その顔だと、本当にまったく気づいてなかったんだな。おまえがちょっかい出されるたびに、俺がブロックしてやっていたんだぞ」
「え……そんな……。そんなの……初耳です、俺」
暁は呆れたように笑って
「まあ、おまえがその調子だからこそ、あの藤堂さんでも手を出しかねていたんだろうな。とにかく、マンションに居候となると、ただのバイトだった時とはわけが違う。押しの強いあの人に、うっかり流されるなよ」
「………はい。気をつけ……ます」
驚いた。あの頃、自分が藤堂に口説かれていたなんて初耳だし、秋音がそれを阻止してくれていたことも初めて知った。雅紀の性癖を知らなかった秋音にしてみれば、後輩がおかしなことにならないように、ぐらいの感覚だったのだろうけれど。
「先輩、そろそろ横になってください。あんまり無理すると、また熱が出ちゃいますよ」
雅紀の言葉に今度は素直に頷いた。リクライニングを倒し、枕や布団を直してから、冷蔵庫の水のペットボトルが残っているか確認する。
「なあ、雅紀。俺が結婚の話をした時…」
「え?あ、ごめんなさい、聞こえなかった。なに?」
ペットボトルを片手に、ひょいと伸びあがってベッドの上を見る雅紀に、暁は首をふり
「いや。いいんだ。おまえ、疲れただろう?休めよ」
「うん。ちょっと横にならせてもらいますね。何かあったらすぐ呼んでください」
「ああ。おやすみ」
「おやすみなさい」
暁が目を瞑ったのを確認すると、雅紀は簡易ベッドに行き腰をおろした。さすがに疲れていた。少し頭痛もする。まだ消灯時間ではないが、眠れる時に寝ておこうと、ベッドに横になり目を閉じた。
疲れていたせいだろう。暁に愛されている夢を見た。夢の中の暁は、あのちょっと悪い顔をしていて、恥ずかしがる自分の反応を楽しむように、からかいながら弱いところをせめてくる。暁の触れてくる場所が甘く痺れて、身悶えしながら悦びの声をあげた。熱い唇が全身を這い回る。何度も口づけを交わしながら、暁のものを受け入れようとした瞬間、唐突に目が覚めた。
濃厚な愛撫の余韻が、まだ全身に残っているような気がする。でもこれは夢だ。蕩けるような口づけも、優しい愛の囁きも、全部、夢だった。
雅紀は白い天井を見つめて、くしゃっと顔を歪めた。あんなに泣いたのに、決して涸れてはくれない涙が目から溢れ出し、頬を伝い落ちた。
翌朝、顔を見せた田澤に、夕べ2人で話し合った結論を伝えた。
「そうか……」
田澤は少し残念そうに顔を歪めたが、それ以上そのことには触れず、名残惜しそうに暁に話しかけてから、何かあったらいつでも連絡をくれと言い残して、病院を後にした。
暁の状態は昨日よりかなり良くなり、発熱もなかった。やつれた印象はぬぐえないが、食欲も出てきて、出された朝食と昼食は残さず食べた。雅紀もほっとして、久しぶりにまともな物を口にし、その様子に早瀬のおばさんも安心したようだった。
夕べの結論を、藤堂には電話で伝えた。
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