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ぬくもりのかけら3
雅紀はしばらく考えていたが
「時間……。かかるかもしれません。でもどうしてもやらないといけない……俺に出来るかは、分からないけど、でも、絶対にやらないとだめなんです」
そう言って顔をあげた雅紀の目が、思いがけず強い意志を伝えてきて、藤堂は眉をひそめた。
「そうか。だったら無理に引き止めは出来ないな。だが、それが片付いたら、俺の所に戻って来て欲しいね。それに、もし俺が力を貸せることがあるなら、相談にのるよ」
雅紀は一瞬悲しそうな顔になり、目を伏せて
「ありがとうございます。でも、俺のことはいいんです。自分で、何とかします。それより暁さんのこと……お願いします。どうか力になってください」
雅紀はそう言うと立ち上がり、深々と頭をさげた。
見た目や態度の柔らかさを裏切って、雅紀は割と頑固だ。優しげでともすれば意志が弱そうに見えるのに、一度こうと決めたら容易に曲げない。アルバイトを辞める時も、藤堂はさんざん引き止めたし、困ったことがあるなら相談に乗るとも言ったが、雅紀は頑なに拒んだ。
嘘のつけないあの悲しげな表情が、今も何か悩んで困っているのだと伝えてくる。
……今すぐ無理に聞き出そうとしても、かえって頑なに口を閉ざすだけ、か……。
「分かった。都倉のことなら心配は要らない。俺の出来る限り、力になると約束するよ」
雅紀はほっとしたように肩の力を抜き、顔をあげて微笑んだ。
藤堂を見送って病室に戻ると、眠っていると思っていた暁は起きていて、雅紀の顔を見るなり
「遅かったな。藤堂さんはもう帰ったんだろう?」
不機嫌そうな暁の様子に、雅紀は首をかしげた。
「あ。喫煙所で少し話してたんです。今後の予定とか…」
「あんまりあの人と親しくなりすぎるなよ。俺が動けない間は、助けてやれないんだからな」
ぶつぶつ呟いてそっぽを向く暁の姿に、雅紀はきょとんとして
「助けるって……。大丈夫ですよ、俺は。子供じゃないんだし、普通に話してただけです。それより先輩、少し横になった方がいいですよ。疲れるとまた熱が…」
「俺は平気だ。もう熱なんか出ない」
なんだかひどくへそを曲げているような暁の様子が不思議で、雅紀は戸惑って早瀬のおばさんの顔を見た。おばさんはくすくす笑って
「ああいう我儘言えるようになったってことは、体調が良くなってきた証拠よ。思うように動けなくてちょっとイライラしてきたんでしょう。放っておきなさい。そのうち機嫌も直るから」
暁には聞こえないように、そっと雅紀に耳打ちする。雅紀はそういうものかと納得して頷くと、おばさんが持って行こうとした暁の洗濯物の袋を持ち上げて
「あ、俺が行ってきますよ、ランドリー。1階でしたよね?」
「ああ、いいのよ、それは私がやるから。それよりあなた、少し街中に買い物に行ってきてくれないかしら?」
「え?」
「暁がね、建築関係の本が欲しいって言ってるの。私らでは門外漢だから、どんなものがいいのか分からないし。あなたも少し病院の外に出て、ゆっくりしていらっしゃいな。何かあったらすぐに電話するから」
おばさんは雅紀の手の荷物を取り上げ、ホテルから引きあげてきた雅紀の旅行鞄を差し出して
「それにね、病院の洗面室でシャワーだけじゃ、あなたも辛いでしょう。あのこは私らがちゃんと見ててあげるから、ついでにサウナにでも行って、さっぱりしてらっしゃいな」
不便な付き添い生活を気遣ってくれる、おばさんの気持ちはすごくありがたい。それに、建築関係の専門雑誌は、自分の方が分かるのも確かだ。
ここは病院で人の目も多い。更におじさんとおばさんがついていてくれるなら、暁をつけ狙っている人物も、そう簡単に何か仕掛けてくることは出来ないはずだ。
雅紀は少し考えてから頷いて
「ありがとうございます。じゃあ俺、ちょっと本屋見に行ってきます。なるべく早く帰ってきますから、暁さんのこと、お願いします」
雅紀は頭をさげると、旅行鞄の中から着替えを取り出して紙袋に詰め直し
「先輩、俺、本買ってきますね」
「……ああ。悪いけど……頼む」
雅紀はにっこり笑って病室を後にした。
本屋で暁が気に入りそうな専門雑誌や本を数冊選ぶと、サウナではなく休憩タイムのあるホテルに寄って、風呂で身体を洗い、下着も服も着替えた。
病院にも簡易のシャワーブースはあるが、狭い上に使う時間が限られていて、他の利用者を気にしながらの洗髪だった。頭も身体もゆっくり洗ってさっぱりすると、気持ちも軽くなった気がして、おばさんの細やかな気遣いに、改めて感謝の思いで胸の中が温かくなる。暁の周りにいる人達は、本当に温かくて優しい心の持ち主ばかりだ。
少しだけ、ベッドに横になってみた。自覚しているよりも、自分は疲れているのかもしれない。
身体の疲れもあるが、やはりここの所の目まぐるしい状況の変化に、精神がついていけなくて、へとへとになっている気がする。
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