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ぬくもりのかけら6
「触れられたくない、か。また随分バッサリとやってくれるなぁ」
苦笑いしながらぼやく藤堂に、雅紀はばっと顔をあげ
「ごっごめんなさいっ。俺、失礼な言い方しちゃって…」
「いやいや。そこで謝っちゃダメだろう。俺につけ入る隙を与えてしまうよ。いいんだ、それで」
雅紀は両手をぎゅっぎゅと握りしめながら
「藤堂さんのこと、嫌いではないです。尊敬しているし、憧れです。でも……恋愛対象としては…」
「ストップ。今はまだ返事はいらないよ。君は俺個人のことを何も知らないだろう。返事は都倉の記憶が戻ってからでいいんだ」
「や、いや、でもっ…」
藤堂は、自分の口にひとさし指を当てて、にこりと笑ってみせ
「タイムリミットは都倉の記憶が全て戻るまで。それまでは俺にもチャンスが欲しいね。俺のことをちゃんと知った上で、振るなら振るで構わないから」
雅紀は藤堂の顔を苦しそうに見つめ、
「俺の気持ちは……変わりません……それでもいいんですか?」
「ああ。構わないよ。だが、そんな哀しい顔をしないでくれ。君の悩み事を増やしたいわけじゃないからね」
「分かりました……。あの、俺、疲れたんで今日はもう寝ますね」
「ああ。おやすみ。あ、そのカップは君の専用だから、部屋に持って行っても構わないよ」
雅紀は藤堂から目を逸らして立ち上がると一礼してから、マグカップを手にリビングを後にした。
残された藤堂は、苦笑いをして首をすくめた。
……なかなか手強いね。まあ当然といえば当然か。あの都倉の恋人なんだからな。だが、時間はまだある。絶対に振り向かせてみせるさ。
雅紀を手に入れたいという思いの他に、藤堂には気になっていることがある。先日、雅紀が言っていた『向こうでやり残したこと』だ。どんなことかは全く見当がつかないが、それを口に出した時の、彼の酷く思い詰めたような目が、なんとなく引っかかっていた。
……口説きついでに、どんな内容か探ってみるか。あんな目をして思い詰めていることが、いい内容なわけがないからな。
部屋に入ると雅紀はドアの鍵をかけ、内側からもたれかかって、詰めていた息を吐き出した。
暁の忠告をいい加減に聞いていたつもりはなかったが、藤堂が自分をあんなに本気で口説いてくるとは、実は思っていなかったのだ。
腕を掴まれた感触がまだ残っている。彼のつけていたオーデコロンの移り香を感じて、雅紀はぎゅっと目を瞑った。
藤堂のことは嫌いではない。彼にも言ったが、昔からの憧れの人だ。でも、そういう対象として考えたことは1度もなかったし、これから先も考えられない。
自分が想う人はたった1人。早瀬暁だけだ。
例え暁が2度と記憶を取り戻さなかったとしても、恋人として過ごせたのはほんのわずかな間だったとしても、雅紀の中では永遠の恋人なのだ。
雅紀はふらふらとベッドの所に行くと、ベッドの端にへたりこむように座った。ポケットからスマホを取り出し、ギャラリーを開いて暁と公園で撮った2人の写真を見てみる。
ぎゅっと抱きしめてくれる、暁の腕のぬくもり。
優しく頭を撫でてくれる、彼の大きな手の感触。
笑う顔も拗ねる顔も、からかう顔も優しい顔も。
そしてあのおおらかで朗らかな、話し方も声も。
一日経つ毎にどんどん過去になっていってしまう。
少しずつ少しずつ、遠くなっていってしまう。
彼と過ごした幸せな時間の、鮮明な記憶の情景が、だんだんセピア色になっていく。
ー会いたい。会いたい。暁さんに……会いたい…
暁はベッドの端に腰をおろし、自分の荷物だと言われて渡された、見覚えのないカメラバッグの中から、やはり見覚えのないデジイチを取り出して、スイッチを入れて中の写真を一枚一枚確認していた。
旅先で撮ったはずの写真は、だが風景はほとんどなくて、雅紀の写真ばかりだ。それも被写体がカメラを意識していないものばかり。寝顔の写真まである。
自分のものだと渡されたスマホも見てみた。ギャラリーにある写真には、雅紀とツーショットで撮ったものがあった。
……なんだろうな。これってまるで……恋人みたいだ。
向こうで偶然会って、最初はお互いに昔の知り合いだと分からないまま、意気投合して親しくなったのだと、雅紀は言っていた。調査の仕事中に、自分の素性が判明し、俺は自分のことをもっと調べる為に、雅紀と一緒に仙台に来たらしい。
雅紀が病院でぽつりぽつりと話してくれた内容に、特に矛盾も不審な点もない。ただ……何かを言わずにいるような、ちょっとおかしな言い回しが時々あって、妙にすっきりしなかった。
……昔の後輩と旅行して、その後輩の姿ばかり写真を撮っていた?しかも本人に内緒で?そんなこと……普通するか?
自分がやったことなのに、自分の気持ちが分からなくてイライラする。
さっきうつらうつらした時に見た夢の中でも、自分は何か大事なものを落として、それを街中走りまわって、必死に探していた。
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