214 / 377

時の迷路7

初めて経験する感情の揺れ動きに戸惑いつつも、雅紀と2人きりで過ごす時間はすごく楽しかった。 最初から失恋確定のせつない恋ではあるが、だからこそ、今一緒に過ごせる一瞬一瞬を大切にしたい。 雅紀はいずれ、恋人の元へ戻っていくのだろう。 男の自分にそれを引き止めるすべはない。 せめて、今まで通り信頼され尊敬される先輩として、雅紀の記憶に残る存在でいたい。 ……などと建前上は綺麗事を並べつつ、雅紀がちょっと近過ぎる位置にいるだけで、内心ドキドキしてしまい、動揺を押し隠して時を過ごした。 「夕飯、準備出来ましたよ」 すっかり話し込んでいた2人は、雅紀の嬉しそうな声で顔をあげた。 「お。ありがとう。じゃあご馳走になるかな」 藤堂はそう言って立ち上がり、ダイニングに向かった。暁は満面の笑顔を向けてくる雅紀に、ちょっと眩しそうに目を細めて微笑み 「ご苦労さん」 立ち上がると、何気なく頭をぽんぽんと撫でた。 途端に、笑っていた雅紀がはっとした表情になり、目を見開いてまじまじと暁を見つめた。その眼差しに、何故か切なさが滲んでいる気がして、暁は焦り 「あ、悪い、つい…」 いくら後輩とはいえ、頭を撫でるなんて失礼だったかと、慌てて謝る暁に、雅紀は目を潤ませて首をふり 「いいんです。嬉しかったからっ。さ、秋音さんも食べてください」 くるりと背を向け、ぱたぱたと食卓の方へ行ってしまった。 ……嬉しかった……って……あんな顔してか? 暁はわけが分からず首を傾げながら、雅紀の後に続く。先に食卓についていた藤堂は、そんな2人を苦笑しながら眺めていた。 話上手な藤堂の会社での話などを聞きながらの、賑やかな夕食になった。藤堂は雅紀の作った肉じゃががかなり気に入った様子で、しきりに感心している。 「肉じゃが自体、久しぶりに食べたけど、他で食べるのとはひと味ちがうね」 雅紀は照れくさそうにしながら、じゃがいもをひと口頬張ってみて 「これ、材料を切ってから一度素揚げしてるんです。そうするとコクが出るって、秋音さんに教えてもらって」 「ふうん……なるほどね。都倉は見かけによらず、料理が上手いんだな」 暁は苦笑いしながら、味噌汁をすすって 「見かけによらずは一言余計ですよ。まあ、俺の場合は必要に迫られてですかね。母親が仕事忙しかったんで、中学の頃から飯は自分で作っていたし」 「ああ、そうだったな。雅紀は向こうでは実家住まいかな」 「……いえ。勤め先からだいぶ離れてるので、アパートで独り暮らししてました」 藤堂はちょっと驚いて 「独り暮らしなのか?」 雅紀は恨めしそうに藤堂を見て、唇を尖らせた。 「その割にはおまえ料理出来ないなって、今思いましたよね?とう……薫さん」 雅紀が言い直した藤堂の呼び名に、暁はぴくっと眉をあげ、藤堂の顔を見た。藤堂はどや顔してみせて 「いやいや、思ってないよ。雅紀はなんとなく、独り暮らしってイメージじゃないなあっと思っただけだ」 暁のむすっとした顔に、雅紀はまったく気づかず、ふくれっ面で藤堂を睨み 「うーん……。それってどう受け止めたらいいのかな……。絶対に褒めてないですよね」 「けなしてもいないよ。なんだろうな、箱入り息子って…感じかな?」 「……それ、なんかすごーく嫌です、俺」 「だから要するに可愛いってことだよ」 雅紀は嫌そうに顔をしかめ 「いや、全然繋がってないし。ってか俺、明らかにバカにされてますよね?」 藤堂と雅紀はいつの間にか名前で呼び合い、まるでじゃれるみたいに楽しそうに、言葉の応酬をしあっている。暁は憮然として、2人から目を逸らした。 自分と話している時より、雅紀の口調がくだけているのが気に入らない。それに、自分と過ごしている時より、表情が明るい気がする。 だいたい、下心ありありの相手に、あんな親しそうな態度はダメだろう。名字じゃなく社長と呼べと言ったはずなのに、名前で呼ぶなんてもっての他だ。 暁は心の中でぶつぶつと愚痴りながら、黙々と食事をしていた。 「……なあ、都倉。おまえもそう思うだろう?」 ふいに自分に話題をふられて、暁ははたっとして藤堂の顔を見た。 「え……?」 愚痴に夢中になっていて、話をまったく聞いていなかった。藤堂は笑いをかみ殺して 「なんだ。聞いてなかったのか」 「あ……すみません。ちょっと考え事していて…」 「雅紀の恋人は幸せ者だなって言ってたんだよ。美人な上に献身的で優しい。一緒にいたら心が和む。おまえもそう思うだろう?」 暁はちらっと雅紀を見た。藤堂にからかわれて、雅紀の顔が赤くなっている。 「あ……ああ、そうですね。きっと……幸せ者だ」 暁の返事に雅紀はますます赤くなって、ふるふると首を横にふった。 「そういえばおまえ、恋人がいるんだよな。どこで知り合ったんだ?向こうか?」

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!