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時の迷路8

いい機会だから、藤堂に釘をさしておこうと、聞きたかった話題をふってみる。雅紀ははっとして目を逸らし、藤堂は何故か驚いた顔をしている。 「いや、雅紀の恋人って……」 「大好きで大切な彼女なんだろう?付き合ってどの位なんだ?」 藤堂と雅紀は目を合わせた。何か言おうとした藤堂に、雅紀は慌てて目配せして暁に向き直り 「あの。少し前に、向こうで知り合ったんです」 「結婚とか考えているのか?」 「いやっ。全然そんなっ。あ、でもそれくらい大事な人っていうか、一生大切にしたい人で」 「……そうか。そんな大切な人ほっぽらかして、俺にいつまでも付き添ってて大丈夫なのか?」 雅紀は藤堂の物言いたげな視線をひしひし感じながら 「あー……あの。仕事でっ。ちょっと遠い所にいるんで。だから全然平気なんです。……ってか、もうやめましょう、この話は。あ、薫さん、ご飯のお代わりはいいですか?秋音さんは?」 必死で話題を変えた雅紀に、藤堂は開きかけた口を閉じ首をすくめる。 「いや、ありがとう。もう充分だよ」 「俺もいい」 「じゃあ俺、食後のコーヒーでもいれてきますねっ」 雅紀は立ち上がり、ぱたぱたとキッチンの方へ逃げていった。 食事の後、リビングでコーヒーを飲みながら、今度は3人で仕事の話をしばらくしていたが、疲れたからそろそろ寝ると、暁が部屋に戻って行った。 キッチンで後片付けを始めた雅紀に、藤堂は歩み寄って 「ねえ、雅紀。彼女がいるって都倉に言ったのかい?」 聞かれると身構えていたのだろう。雅紀は表情を固くした。 「あ……はい。彼女とは言ってないけど、恋人がいるって…」 「あのね。雅紀。俺は言った方がいいと思うね。都倉に本当のことを」 雅紀は目を逸らしたまま、首を横にふり 「いえっ。言えません。お願いですから、言わないでくださいっ」 「だが…」 雅紀は藤堂の顔をすがるように見て 「暁さんの記憶が戻れば、自然に思い出すことでしょう?秋音さん、俺の恋人は女性だって思い込んでる。俺がゲイだなんて知らないんです。だからお願いっ言わないでくださいっ」 藤堂はため息をついた。 「もちろん。俺は余計なことを言うつもりはないよ。話すなら君自身ですべきだ。ただね、本当のことを言っても、都倉は君を嫌ったりはしないよ。むしろ、記憶を取り戻すいいキッカケになるんじゃないかな?」 「……」 雅紀は俯いて唇を噛み締めた。 「都倉のことをもっとよく見ていてごらん。そうしたら、俺が何故本当のことを言うべきだと思ったか、君にも分かるはずだ」 雅紀は顔をあげ、戸惑うように藤堂を見つめる。 「君が怖がる気持ちも分かる。ストレートの人間にゲイだって告白するのは、とても勇気が要ることだからね。君と恋人だったと告げられたら、都倉も最初は驚くかもしれない。でも君のことを嫌ったりは絶対にしないさ」 「……記憶……戻ったら……。暁さん、記憶が戻ったら、きっと向こうへ帰っちゃいますよ」 「その可能性はあるね。俺としては残念なことだ。でも、それを決めるのは都倉自身だからね」 「そう……ですよね」 藤堂は首をすくめて笑い出した。 「やれやれ。俺は君を口説きたいんだぞ。余計なお節介焼いてる場合じゃないんだけどね」 「薫さん、ありがとう。よく……考えてみます」 「それがいいね。じゃあご褒美にここにキスをくれるかい」 藤堂はいたずらっぽく笑って、自分の頬を指さした。雅紀は目を丸くして後ずさり 「や、むりっ…」 「頬にキスなんて挨拶みたいなものだろう?さあ」 頬を突き出され、雅紀はおろおろと目を泳がせた。藤堂は苦笑して、 「じゃあ俺からキスだ」 雅紀の手を掴み、ぐいっと引き寄せると、すかさず頬にちゅっとキスをした。雅紀は真っ赤になって、藤堂の手を振りほどき、彼の唇が触れた頬に手をあて、泣きそうな顔で藤堂を睨むと、ぱたぱたとキッチンから飛び出して部屋を出ていった。 「ちょっと強引だったかな……?」 藤堂は小さく呟くとふふ……と笑って、雅紀が洗い残した食器を洗い始めた。 バタバタと走って自分の部屋に戻り、ばたんとドアを閉めると、雅紀はベッドの端にへたりと座り込んだ。 藤堂にキスされてしまった……。唇ではなく頬っぺに、だったけど。 暁に言われた通り、迷惑だから止めてくださいと、きっぱり断るべきだった。 藤堂は厚意をたてに強引に迫ってくるような人じゃない、と思う。 自分の方が勝手に、世話になっている負い目を感じてしまっているだけだ。 今度、何かしようとしてきたら、はっきり嫌だと断ろう。自分が心変わりすることはありえないのだから。 雅紀はほう…っとため息をついた。 藤堂は暁に、恋人だったことをきちんと話すべきだと言っていた。 正直、雅紀自身も迷っている。 自分がゲイだと告げても、優しいあの人は、軽蔑したり嫌がったりはしないかもしれない。

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