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時の迷路9
でも、自分と恋人だったという話はどうだろう?
暁の時の記憶がごっそり抜け落ちているということは、彼の記憶は最愛の奥さんを亡くして間もない時の状態なのだ。
その彼が、男の自分と恋人だったと聞かされたら……。
ふいにドアが荒々しくノックされた。雅紀はびくっとして、恐る恐る返事をした。
「……はい」
藤堂が追いかけてきたのだろうか。もしそうなら、絶対に部屋には入れられない。
「俺だ」
……っ。暁さん?
雅紀は慌てて立ち上がり、急いでドアを開けた。顔をのぞかせた暁は、雅紀より焦った顔をしていて
「どうした!何かあったのか?」
「へ……?」
わけが分からず首を傾げると、暁はずいっと部屋に入ってきて
「おまえ、さっき部屋に駆け込んでただろう?藤堂さんにまた何かされたんじゃないのか!」
「あ……」
雅紀の顔が引きつったのを見て、暁は顔を険しくした。
「やっぱりそうか。ちっ…。俺が文句言ってきてやる」
舌打ちして部屋を飛び出そうとする暁に、慌てて追いすがった。
「待って!秋音さんっ。大丈夫だからっ」
暁は振り返って、雅紀の顔をのぞきこみ
「大丈夫って、おまえ何をされたんだ?」
暁に両腕を掴まれて、至近距離で顔を見つめられ、雅紀は気が動転してしまって
「頬にっ、キスされただけっ」
咄嗟に思わず正直に答えてしまった。暁は息を飲み、一層顔を険しくして
「だけ、じゃないだろう。無理やりか?やっぱり文句言ってきてやる」
再びドアに向かう暁に、雅紀は後ろから抱きついた。
「秋音さんっ。止めてっ。ほんと大丈夫。今度そんなことされたら、俺ちゃんと自分で言うからっ」
「……っ」
雅紀に抱きつかれて、暁は言葉をなくし固まった。決して女の子のような柔らかい身体じゃない。でも、夢で見た通りのほっそりとした身体が、自分の背中に抱きついている。
「ね?秋音さんが藤堂さんと揉めるのはダメ。俺のせいで、喧嘩したりしないで。文句なら自分で言うから」
泣きそうな声で必死に訴える雅紀の身体が震えている。暁は自分の心拍数があがっているのを感じて、必死に気持ちを落ち着かせ
「喧嘩なんかしないぞ。ただ、おまえにちょっかい出すなと言いにいくだけだ」
雅紀は抱きついたまま首をふり
「何も言わなくていいからっ」
余計なことはするなと言われたようで、暁はふっと身体の力を抜いた。雅紀はほっとしたように暁から手を離し
「俺のことより、秋音さん、身体大丈夫ですか?怪我してるのにそんな…」
「俺が文句を言うのは、おまえには迷惑か?」
「え…」
「おまえが嫌な思いしないようにって、そういうの、おまえには迷惑なのか?余計なお世話か?」
「え、違うっ。そういう意味じゃ…」
暁はすっかり拗ねた様子で、なんだか傷ついたような顔をしている。雅紀は焦って首をふり
「そうじゃないんです。ただ俺は…」
「男に言い寄られたりって、おまえ、昔から凄く嫌がってただろう?当たり前だよな、ゲイじゃないんだから。俺は嫌なんだよ。俺の怪我のせいで、おまえまでここに来ることになったんだぞ。だから、これ以上、おまえに嫌な思いはさせたくないんだ」
「………」
雅紀は言葉を失って、暁の顔を見つめた。
「揉めるような言い方はしないから安心しろ。藤堂さんは話の通じない人じゃない。おまえが本気で嫌がってるから止めてくれって言えば、きっと分かってくれる」
安心させようとしているのだろう。暁はそう言ってにっこり微笑んだ。
「そう……ですか…」
「そんな顔するな。おまえがどうしても嫌なら、今回は黙っていよう。ただ、次は何かされる前に、俺の所に逃げて来いよ。俺がはっきり言ってやるからな」
暁の優しい気遣いはすごく嬉しい。でも雅紀の頭の中に浮かぶのは、さっき暁が言った「当たり前だよな、ゲイじゃないんだから」というひと言だった。
「……ありがとう、秋音さん」
雅紀はぼんやりと暁に答えた。暁は雅紀の頭を軽く撫でると
「じゃあ俺は部屋に帰るからな。俺が出た後ちゃんと鍵閉めろよ」
「はい。おやすみなさい…」
「おやすみ」
暁はもう一度優しく笑うと、ドアの向こうに姿を消した。雅紀は暁の撫でてくれた所に手をやり、ぼんやりと立ち尽くしていた。
……やっぱり……言えないよ、暁さんには。俺がゲイだってことも、恋人だったことも。言えるわけ……ない。
暁は自分の部屋に戻ると、まだドキドキしている自分の心臓の辺りを、手で押さえた。
さっき背中に抱きつかれた時の、雅紀の身体の温もりが残っている。
思わず引き寄せて、抱き締めたくなった。
あいつは俺のこんな気持ちに、気づいてもいないだろう。
いっそ、俺の想いをあいつに打ち明けようか。
好きだ、と言ったら、あいつはどんな顔するんだろう……。
……いや。言えるわけないよな。藤堂さんに口説かれて、逃げ回っているあいつに。好きだなんて…。
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