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時の迷路10
翌朝、昨日と同じように雅紀が用意した朝食を食べて、藤堂は仕事に出掛けて行った。
暁は昨夜のことは藤堂には何も言わずに、普段通りの態度でいてくれた。
キッチンを片付け、洗濯をして、リビングにいる暁の側でデザインの案をあれこれ出し合う。
昨夜は悶々としてよく眠れなかった。ふと暁の顔を見ると、彼も眠そうに欠伸をかみ殺している。
「秋音さん、お仕事はほどほどにして、部屋で少し休んでください。俺ちょっと買い物に行って来るから」
「あ、ああ、悪いな。おまえばかり忙しくさせて」
「いえ。あ、なんか欲しいものとかあったら、一緒に買ってきちゃいますけど」
「んー……そうだな。街中に行く時に、ついでで構わないんだが、こないだの雑誌の新刊を買ってきてくれるか?」
「ああ、あれですね。じゃあ、本屋見てきますよ」
「無理しなくていいからな」
「はいっ。じゃあ秋音さんも無理せず、ちゃんと寝ててくださいね」
暁は例のデザインに夢中で、放っておくとずっとパソコンや資料にかじりついている。雅紀の小言に暁は苦笑いして
「分かった。ちゃんと休むから心配するな」
「じゃ、俺、ちょっと行ってきます」
雅紀は財布とスマホをポケットに突っ込むと、部屋を出て行った。
ドアが閉まると、暁はため息をついた。
雅紀は、自分がデザインの仕事に夢中になっていると思っているようだが、実は半分は上の空だった。
雅紀が側にいるだけで、妙に意識してしまって落ち着かない。
このもやもやとした宙ぶらりんな状態は、正直好きじゃない。自分はどちらかというと、白黒はっきりつけたいタチなのだ。
そう考えてから、暁は内心苦笑した。
叶わない想いだといいながら、心のどこかで諦めたくない自分がいるらしい。
……だったらいっそのこと、玉砕覚悟で告白してみるか。
暁はスマホのギャラリーを開いて、ツーショット写真の雅紀の照れたような笑顔を見つめて、もう一度ため息をついた。
マンションを出て、近くのスーパーには寄らずに、雅紀は地下鉄の駅に向かった。
マンションの近くに本屋はない。特に暁が欲しがっているのはマニアックな雑誌で、おそらく小さな書店には置いていない。地下鉄で仙台の駅前まで出て、専門書なども置いてある大きな書店に向かった。
目当ての雑誌はすぐに見つかった。他に2冊、暁が気に入りそうな本を選んで会計を済ませると、再び地下鉄の駅に向かう。
途中のコーヒーショップで、暁が好きだと言っていたスコーンを見かけて、お土産に3つ買った。
そういえば、暁が作ったお菓子を食べる機会はとうとうなかったな……などとぼんやり考えながら、地下鉄の駅への階段を降りようとした時、雅紀は見覚えのある男の姿を見かけて、立ち止まった。
……!!
心臓が止まるかと思った。雅紀は全身を硬直させ、ぎこちなく後ずさると、ぎくしゃくと回れ右して、今来た道を戻る。
その場から少しでも早く逃れなければ……。そう思っているのに、膝がガクガクして上手く歩けない。
男は連れの男と話しながら、階段を降りて行った。こちらには気づいていない。だから追いかけてくることはない。
そう頭では分かっているはずなのに、恐怖で身体が言うことをきかない。
……どうしよう。まずい。ダメだ。逃げなきゃ。どうしよう。捕まったら終わりだ。逃げないとっ。
頭の中ががんがんと煩い。周りの喧騒は消えていた。少しずつ早足になり、しまいには走り出していた。
気がつくと、仙台駅の切符売り場の前にいた。券売機を前にして、無意識に財布を取り出し、行き先の案内板を見てはっと我に返る。
……違う。こっちじゃない。帰らなきゃ……。暁さんのいるマンションに……帰らないと……。
のろのろと財布をポケットにしまい、券売機から離れる。
胃がむかむかする。頭が割れるように痛い。
駅の構内から出て、ペデストリアンデッキのベンチにへたりこむように座った。
吐き気がする。呼吸がおかしい。気持ち悪くて苦しくて、涙が滲んできた。
地下鉄に降りる階段の所で見かけた男は……元彼だった。忘れもしないあの横顔。間違いない。
……っっ。
顔を思い出した途端、吐き気が込み上げてきて、雅紀は手で口を押さえた。なんとかもどさずにすんだが、身体がガタガタ震え出して、両手で自分を抱き締めるようにして項垂れたまま動けない。
……はやく……帰らなきゃ……。暁さんのとこに……。暁さんの……。たすけて……っ。助けて……っ。暁さん……!!
……遅いな……雅紀。
自分の部屋からまたリビングに戻り、パソコンを見ていた暁は、時計を確認して眉を寄せた。
もう13時を回っている。街中に出たとしても、雅紀が出掛けてから4時間は経っていた。
いつもそばにいて、自分の世話を焼いてくれている雅紀だ。たまに街中に出て息抜きしていたとしても、咎めるつもりは毛頭ない。
ただ、昼飯と夕飯の献立を一緒に考えて、また頑張って作るんだと張り切っていた。
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