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第52章 ふたりの君1

自分は同じ人に何度も恋をしている。 でも……。 ……秋音さんに抱かれたのって、暁さんへの裏切りになるのかな……。同じ身体だけど、これって浮気になっちゃうのかな……。 目の前のこの人には、記憶喪失のいたずらで、暁と秋音、2つの人格が存在してしまっている。 雅紀は2人を同じ人だと思っている。話し方も感情の表し方もまるで正反対の2人だが、根っこは同じ優しさを持つ1人の人間だ。 ただ、さっき秋音は、もう1人の自分である暁に対して、おかしな対抗意識を燃やしていた。だとしたら、今は秋音の中に眠っている暁も、自分が秋音に抱かれたことを悲しむんだろうか。もし、秋音が暁の記憶を取り戻したら、2つの人格は上手く折り合いをつけることが出来るんだろうか。 その時、自分はこの人の中で、どんな立ち位置になるのだろう。そう考えると、なんだかひどく、ややこしいことになっている気がするのだ。 そして、重大な問題がもうひとつ。 秋音は、もう自分の側を離れるなと言ってくれた。暁の記憶が戻らなくても、恋人でいたいと言ってくれた。 自分の存在をこの人が必要としてくれているなら、ずっと側に寄り添っていたいと、心から思う。 でも……。 雅紀は暁から目を逸らし、壁際のテーブルに置いた自分のスマホを見つめた。 今日の夕方、自分のアパートに向かう前に、貴弘にかけた電話。 暁への攻撃を止めてもらおうと、声が震えそうになるのを堪えて、決死の覚悟で電話をした。秋音と恋人になれた今でも、その覚悟は変わらない。 この人の命を脅かすことは絶対に許せない。どんなことをしてでも、この人を守りたい。 側にいたいという気持ちと、たとえ離れることになっても守りたいという気持ち。どちらも同じ愛おしさからくる強い想い。 雅紀は深い深い溜息をついて、もう1度、眠る暁の顔を見つめた。 カーテンから射し込む光に、眩しさを感じて目が覚めた。最初に視界に入ったのは、見覚えがあるような、ないような天井。 ……ここは何処だ……? 目覚める直前に見ていた夢の中の光景に支配されて、一瞬記憶が混濁する。ぼんやりと視線を移すと、傍らにほわほわと柔らかい髪の毛。 ……っ…。 そっと頭を起こし、髪の毛に隠れている顔をのぞきこんでみる。 ー雅紀だ。 うっすらと唇を開き、すぴすぴと可愛い寝息をたてて眠っている。 秋音は思わず頬をゆるめた。 思えば学生時代に初めて会った時から、自分にとって雅紀は、心和む存在だった。 かなり整った美形で、つんとすましているととっつきにくそうなのに、ほわんとした性格のせいか柔らかい表情のせいか、一緒にいても気を張らずに自然体でいられた。誰かに命を狙われているのではないかと、母の死後から疑っていたので、他人とはなるべく距離を置いていた自分にとって、素朴で素直で優しい雅紀の存在は、本当に癒しだったのだ。 まさか、恋人という関係になるとは思ってもみなかったが、あの頃から雅紀を特別に気に入っていたのは確かだ。 ……そうだ。あの時、どうして泣いたのか、俺はこいつに聞きたかったんだ。 詩織のお腹に子供が出来て結婚を決め、雅紀にそれを告げた時、一番喜んで祝福してくれそうだった雅紀が、ぼろぼろと涙を零し、哀しそうな顔をして去っていったのが、ずっと心に引っかかっていた。 もちろん今ならば、あの時何故雅紀が泣いたのか分かる。その後、どれほど連絡を取ろうとしても、頑なに拒まれた。その理由も今なら分かる。 秋音は起こさないようにそ~っと、雅紀の髪の毛に触れた。さわさわと優しく髪を撫でてみると、雅紀はんー……と唸り、あどけなく微笑んだ。 「……あきら……さん…」 雅紀の呟きに、秋音ははっとして、髪を撫でる手を止めた。 ……暁……か…。 それは自分だけれど、自分ではない。自分の中に眠るもうひとりの男、早瀬暁だ。 秋音は、眉間にしわを寄せ、眠る雅紀をじっと見下ろした。 昨夜、想いを打ち明け、恋人として身体を重ねた。抱いたおかげで、雅紀に対する愛おしさは、自分の中で更に増している。 けれど、雅紀が本当に好きなのは、果たして自分なのだろうか……。 同じ身体だが、どうやら性格はまったく違うらしい、早瀬暁という自分。雅紀が恋しているのは、その男の方ではないのか。 ……馬鹿馬鹿しい。早瀬暁は俺だ。自分に嫉妬してどうする。 ふいに込み上げてきた苦々しい思いを、秋音は苦笑しながら打ち消すと、再び柔らかい髪の毛を優しく撫で始めた。 考えなければならないことは他にもある。 これから先、雅紀が自分と一緒に過ごすことになるなら、母や妻に起きたことが、雅紀の身にも降りかかる危険性があるということ。 仙台では、危ういところで雅紀を事故に巻き込まずに済んだ。 でもいつまた同じことが起きるか分からない。もう2度と大切な人を自分の因果の巻き添えには出来ない。 雅紀と安心して共に過ごす為にも、この因果の真相を探し出し、決着をつけなければ……。

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