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第53章 ふたつの月1
「ね。秋音さん……。秋音さんは詩織さんと……恋愛結婚ですよね。詩織さんとは高校の時からの付き合いだったって」
「ん?……ああ。そうだな。高校2年の時にクラスが一緒になった。読書好きでな。図書館でよく会うようになって、なんとなく付き合い始めたんだ」
遠い目をして話す秋音の表情を、雅紀はちらちらと気にしながら
「その時は独占欲、強くなかったんですか?詩織さん、美人だったしモテたでしょう?」
「うーん……。あまり自覚したことはなかったな。詩織は社交的なタチではなかった。男子に人気はあったが皆、遠巻きにしていたよ。早くに両親を亡くして自立心が人一倍強かったし、境遇が似ていたから、俺とは価値観も合ったみたいだ。あいつとは恋愛相手というより……同志みたいな関係だったな」
「同志……?」
「憧れていたんだ。俺もあいつも。別に特別じゃなくていいから、普通の家庭を持つことにな」
「家庭…」
「両親がいて子供がいて、いろんな思い出を共有しながら、ささやかな幸せを感じて日々を過ごす。そんなごく平凡な家庭を作りたかった。……結局……叶わない夢になってしまったがな」
「………」
雅紀は無言でそっと目を伏せた。
「俺に関わったせいで、あいつは未来も夢も奪われてしまった。俺はあいつに報告する義務がある。何故お腹の子供を産むことも出来ずに、死ななければならなかったのか。あいつの命を奪ったのは誰なのか」
秋音の口調は淡々としていたが、強い決意が感じられる声音だった。自分には、この人が真相を解明したいという思いを、止めることは出来ない。
「まずは怪我を治してから、です。今は無茶しないでくださいね」
雅紀は震える声でそれだけ言うと、会話を切り上げて運転に集中した。
事務所の近くのパーキングに車を停めると、連れ立って近くのカフェベーカリーに入った。2人とも言葉少なに好みの焼きたてパンをトレーに乗せて、コーヒーを注文して席に着く。
「元気ないな、雅紀。俺のせいか?」
あれから会話らしい会話もなく、伏し目がちに黙り込んでいる雅紀を気にして、秋音は静かに話しかけた。
「あ。……ううん。大丈夫。ちょっと考え事しちゃってました」
雅紀はえへへと笑って、明るい声で答えると、
「美味そうですね、秋音さんの選んだパン。焼きたてって書いてあったヤツだ」
「ああ。窯から出したてだって店員が薦めていた。まだホカホカしてるぞ」
「暁さん、お料理だけじゃなくお菓子やパン作りにも凝ってたそうですよ」
秋音は目を丸くして
「お菓子やパン?」
「うん。いつか焼きたてを食べさせてやるって」
秋音は目の前のパンをまじまじと見つめ
「ふうん。これを手作りか。さすがにそれはやったことがないな」
「もじまるのおばさんがお菓子作りが好きで、手伝っているうちに、すっかりはまったんだって。俺が選んだこれ、スコーンですけど、暁さんの一押しのお菓子です」
「スコーンか……。ちょっと食わせろ。俺のも一口やるから」
秋音はそう言うなり、自分のパンを雅紀の口元に差し出した。
キョトンとしている雅紀の口に、ちぎったパンを押し付け、雅紀が手にしているスコーンを寄こせと、指をくいくいさせる。
雅紀は目だけ動かして、周りの視線をキョロキョロと気にしつつ、口をもぐもぐしながら、スコーンを秋音に差し出した。
こういう、人の目を気にしない所は暁とおんなじだ。
雅紀が差し出したスコーンを齧り、首を傾げながら味見をしている秋音を、雅紀は赤面しながら見つめた。
「うん。たしかに美味いな。ちょっと口の中の水分を取られる感じだが、味は悪くない」
「もともと、ティータイムに紅茶を楽しむ為のお菓子だそうですよ」
「なるほどな。コーヒーにもよく合う。俺も気に入った。これの作り方、おまえは知っているのか?」
雅紀は慌てて首をふり
「ううん。俺は全然。でも、ネットで検索すれば分かるかも」
「よし。じゃあ、今度俺が作ってやる」
「え……っ」
びっくりしている雅紀に、秋音はふふんと笑ってみせ
「暁じゃなくて、俺が作ってやる。ひとつぐらい俺が先回りしたっていいだろう」
「うわぁ。秋音さん、また変な対抗心燃やしてるし…」
「さっきは話が横道に逸れてしまったが」
「……へ?」
「俺は過去の自分に嫉妬するぐらい、おまえに惚れている。だから少しぐらい格好つけさせろ」
「……」
秋音は照れたように目を逸らして、パンを頬張っている。雅紀はじわっと赤くなり、俯いてスコーンにかじりついた。
秋音が真っ直ぐに自分に言ってくれる言葉は、どれも嬉しいけど心臓に悪い。
さっき雅紀が考え込んでいたのは、秋音が話してくれた詩織さんのこと。平凡でいいから、普通の家庭を持ちたかったという夢。
その夢を、自分は秋音に叶えさせてあげることは出来ない。……男だから。
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