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泡沫の恋人3
やはり秋音と暁は、別の意識に分かれてしまった違う人なんだろうか。
記憶喪失のせいで、複雑になってしまった彼の内面。
ずっと俺のままでいたいと嘆いていた暁の心。どうしたら彼の寂しさを、救ってあげられるのだろう。
雅紀はため息をつくと、眠る彼の髪の毛を優しく撫でた。
目覚めて1番に視界に飛び込んできたのは、自分を見つめる綺麗な瞳。
思わず頬がゆるむのを感じながら声をかけた。
「おはよう、雅紀」
雅紀は自分をじっと見つめたまま、小首を傾げた。
「……あき……と…さん……?」
どうしてそこで疑問形なんだ?……と内心苦笑しながら
「どうした?俺の顔を忘れたのか?」
雅紀は尚も探るような表情で、こちらを見つめてから、ようやく納得したように頷いて
「おはよう、秋音さん。具合……どうですか?」
雅紀の返事に、ああ……そうか。眠る前に自分は酷い頭痛に襲われたのだった……と思い出した。
雅紀が妙に戸惑ったような反応をしているのは、自分を心配してくれていたせいか。
「ああ。大丈夫だ。もう頭痛は治まっている。心配かけて悪かったな」
「よかった……。もう痛くないんですね」
ほっとする雅紀に手を伸ばし、その頬を手のひらで撫でた。
「いつの間にか眠ってしまったんだな、俺は。……今、何時だ?」
雅紀は秋音の手に自分の手を重ねて、甘えるように頬をすり寄せ
「えっと……今ちょうど15時半です」
秋音は驚いて、壁にかかっている古い時計を見上げた。どうやら2時間近く眠っていたらしい。
「もうそんな時間か?おまえ、昼飯は…」
「うん。ちゃんと作れましたよ。秋音さん、お腹空いたでしょ。俺、あっためなおしてきますね」
雅紀はにっこり笑って、秋音の手を離すと立ち上がった。
魚の煮付けと肉野菜炒め、卵焼きに大根と人参と豆腐の味噌汁、小松菜の煮浸し。食卓に並ぶ皿はどれもちゃんとさまになっている。
「うん。美味そうだ。おまえ、料理の腕前だいぶ上達したな」
秋音の感想に、雅紀は嬉しそうに
「ふふ。難しいのは、秋音さんが寝る前に手伝ってくれたから、後は俺でもなんとか作れましたよ」
そう言いながらも、満更でもない様子で、ちょっと得意そうに鼻をひくひくさせている。秋音は笑って
「よし。じゃあご馳走になるか」
両手を合わせていただきますをすると、箸をとって魚の煮付けに手を伸ばす。雅紀も箸を取りながら、秋音をじーっと見つめた。
「お。美味い。おまえも食べてみろ」
秋音の言葉に雅紀は顔を綻ばせ、自分も煮付けに箸を伸ばす。ひとくち食べて、途端に頬をゆるめた。
「な?いい味だろう」
「うん。臭みもとれてて味付けもちょうどいい感じ。煮付けなんて難しそうって思ってたけど、俺でも作れるもんなんですね…」
「コツさえ分かれば、案外簡単だ。お、この煮浸しも美味いな」
旺盛な食欲をみせる秋音に、雅紀はほっとしながら
「ね、秋音さん。寝てる間、なんか夢とか……見てました?」
「夢?……なんだ、俺は寝言でも言っていたのか?」
味噌汁をすすりながら首を傾げる秋音に、雅紀は曖昧に微笑んで
「ううん。そうじゃないけど…」
「夢なあ……。見ていたような気はするが……よく覚えていないな」
「……そう……」
雅紀はちょっと考えるような顔つきになり
「秋音さんは、暁さんの時のこと、やっぱりほとんど覚えていない?」
「うん?……そうだな。時々情景はちらつくが、やはりはっきりとは思い出せないな」
「……そっか……。あのね、秋音さん。藤堂さんから紹介状が届く前に、1度かかりつけの病院に行ってみません?」
「ん?だが……すぐ送ってくれると言っていたから、明日明後日あたりには届くんじゃないか?」
「でも……さっきの頭痛、かなりきつそうだったし、熱もちょっと出たし」
「まあな。あれが頻繁だと、結構辛いかもしれないな」
「俺、さっきネットでちょっと調べたんです。記憶喪失って、催眠療法なんかで治療するらしいですよ。専門の病院じゃないとダメかもしれないけど、頭痛の原因って、もしかしたらそっちの方かもしれないし……。ちゃんとみてもらった方がいいかな……って」
「……催眠療法……な。なんだか少し怖い気もするな」
秋音は食べながら苦笑している。
……秋音さんは、眠っている時に暁さんの存在、感じてなかったんだ……。
暁は秋音の中に沈んでいる時、眠っているような感じだと言っていた。
秋音は暁の存在を感じるどころか、その存在を認識すらしていないらしい。
……どういうことなんだろう……。
脳の仕組みは複雑で、記憶障害についても、まだ解明されていない部分が多いらしい。催眠療法についても効果的な症例はあるが、誰にでも有効なわけではないようだ。
束の間の逢瀬の後、また消えてしまった暁。彼が再び、表に出てくることはあるのだろうか……。
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