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泡沫の恋人5

雅紀は秋音の傷跡にそっと指で触れ、顔を近づけて愛おしそうにキスをした。秋音は姿見に映る雅紀の表情を、ちらっと横目で見て、目を細めた。 本当に優しい恋人だ。 いつも自分の身を案じてくれて、まるで大切な宝物のように慈しんでくれる。 公園で頑固に口を閉ざした、あの内容がどうにも気にかかる。 こんなにも自分を大切に思ってくれている雅紀が、自分から離れてでも、しなければいけないこととは何だろう。 話したくなければ言わなくていい、とは言ったが、こうなってくると無理にでも聞き出したくなる。 仕事のことではないと言っていた。だとしたら、思いつくことと言えば、雅紀の家族のことだ。昔、一人っ子だと聞いた覚えがある。もしかしたら、ご両親に実家に戻れと言われているのかもしれない。 秋音は、雅紀の手をとってソファーに連れていくと、先に腰をおろして 「ひざの上に乗ってみろ」 雅紀は一瞬きょとんとした後で、うっすらと頬を染め 「え……でも……重たいし…」 「全然重くないだろう。むしろ軽すぎるくらいだ。いいから、乗れ。少し甘えさせろ」 雅紀はおずおずと後ろ向きになり、秋音の膝にそっと座った。秋音は後ろから腕をまわし、華奢な身体をふんわりと抱きしめて、肩にあごを乗せるようにして、耳元に囁いた。 「なあ。雅紀。おまえのことを少し聞いてもいいか?」 雅紀はくすぐったそうにもじもじして 「……俺の……こと……?」 「ああ。おまえはたしか一人っ子だったよな?」 「……あ。はい…」 「ご両親は健在か?県内にあるんだろう?ご実家は」 「2人とも……多分元気です。前に実家帰った時は元気そうだったし……。海に近いんです、俺の実家。県内だけど、ここからは結構遠いですよ」 「お家は何か商売でもされているのか?」 「え?ううん。父は私立高校の教師で、母は今は教師を辞めて塾の講師をやってるんです」 「学校の先生か。じゃあおまえが帰って家を継ぐわけではないんだな」 「うーん……。父はいずれ教師を辞めて、塾の経営をする予定でいるみたいだけど……。でも多分、俺を呼び戻すことはないかな……。俺、父には嫌われてるから」 「嫌われている?」 「うん。俺……ゲイだから。父はそういうの、認めない人で…」 言いにくそうに小声で呟く雅紀の横顔を、秋音はそっとのぞき見た。 親に認めてもらえず嫌われている……。 それは哀しい告白だった。 秋音は抱き締める腕に力を込め、雅紀の身体をあやすように揺らした。 「……辛いことを聞いて悪かったな」 雅紀は首を横にふり、秋音の腕をきゅっと掴んで 「大丈夫。父さんとのことは、もう仕方ないかな……って諦めてるし。それに……俺にはあなたがいるから……。だから全然辛くないです」 「そうか。そうだな」 秋音は雅紀のうなじに唇を押し当てた。雅紀はきゅっと首を縮こませて 「……っぁ……くすぐったい…っ」 「おまえ、本当に敏感だな」 秋音は含み笑いで細いうなじに再びキスをした。ちゅっと力を込めて吸い上げてみる。口を離してその場所を見ると、白い肌に艶めかしい紅い跡が刻まれていた。舌でその跡をなぞってみる。 「……っぁ……ん…」 雅紀は低く掠れた声をもらし、秋音の腕にぎゅっとすがりついた。 「……だ……め…っ」 秋音はいたずらを止めて、雅紀の身体をゆったりと抱き直した。 「悪い。話が途中だったな。そうすると、おまえは今後も実家に戻る予定はないんだな?」 「……うん。……でも、どうしてそんなこと、聞くの?秋音さん」 「いや。俺はおまえにプロポーズしたつもりだからな。ご両親にきちんとご挨拶するべきかと思ったんだ」 「……っ。プロポー……ズ……?」 くるっと後ろを振り返り、目を丸くしている雅紀に、秋音は苦笑いして 「やっぱりおまえ、自覚がなかったな?言っただろう。これから先、ずっと傍にいて欲しい。一緒に生きてくれ、とな」 「……秋音……さん」 「ご両親への挨拶はひとまずよしとして。……そうするとひとつ問題が残る」 「……問題?」 「おまえがやらなければいけないと言っていたことだ」 「……っ…」 「何か事情があって、おまえが俺に言いたくないんだってことは分かる。だが、俺の傍を離れるのはダメだ」 「……それは……でも…」 「どうしても離れるというのなら、どんなことをするのか、その期間はどれくらいか、話してくれないか?」 雅紀は黙り込み、項垂れている。 「……信用……出来ないか?俺のこと」 「……っちがっ……違う。そうじゃない……けど…」 秋音は雅紀の頭を優しく撫でて 「おまえがもし、逆の立場ならどうだ?俺がおまえから離れて1人で何かしようとしている。いつ何をどこでするのか、その期間はどれぐらいなのか、まったく教えてもらえない。……おまえはそれを、どう感じる?」 「…………」 雅紀は唇を噛みしめた。

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