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きみの瞳に映る月5
昼食は、野菜がたっぷりのホイコーローと卵スープだった。火加減で苦戦したようだったが、味は悪くなかった。スーパーで買い物した時に、無料で配布されていたレシピをもらってきて、それとにらめっこしながら作ったらしい。
食後のコーヒーを飲みながら、穏やかな時を過ごす。
秋音は早速、雅紀にパソコンの隠しフォルダのことを尋ねてみたが、雅紀はパスワードどころか、そのフォルダの存在自体も知らなかった。
暁の仕事用の鞄の中の書類は、田澤の許可をもらっていたので、ひととおり目を通してみた。中身はパソコンの文書データと大差ない。
次に押し入れの中のものも調べてみる。なんだか他人のプライベートを覗き見しているような後ろめたさを感じたが、これから先、ここで暁として生活し、暁のやっていた仕事を引き継ぐには、避けては通れないことだった。
「暁の服の趣味は、俺にはちょっと微妙だな……」
秋音が衣装ケースの中身を見てため息をつくと、雅紀はくすくす笑って
「たしかに秋音さんのより少し派手かも。でもよく似合ってます」
秋音は首をすくめて、暁の服の中から比較的自分好みのシンプルなシャツやボトムをより分けた。
「そういえば……おまえがさっき羽織っていたシャツは、寝間着用か?サイズがかなり大きかっただろう」
ふと思いついてひょいっと雅紀の方を振り返ると、雅紀はぽっと赤くなって
「あ……っ。えーと……あの、暁さんが……あの……貸して……くれたんです」
「……なるほど、俺のか。おまえのにしては大きいと思ったんだ」
雅紀は曖昧に笑って頷いた。なんでそこで赤くなるんだ?と突っ込みたくなったが、その時の暁との仲睦まじいやり取りを聞かされそうな気がして、秋音は開きかけた口を閉じ、再び押し入れの探索に集中した。
衣装ケースの次は、カメラ関係の機材が仕舞ってある棚だ。
「暁は写真が趣味だったんだよな。結構詳しかったのか?」
雅紀は秋音の側に寄ってきて、一緒に棚の中を覗きこみ
「うん。かなり詳しかったですね。俺はまだカメラ始めたばかりだったんで、一緒に撮影に行って、撮り方とかいろいろ教えてくれて…」
機材を見つめながら、その時のことを思い出しているんだろう。雅紀はちょっと遠い目をしていて、柔らかい笑みを浮かべている。
「さっきパソコンのデータをチェックしていたら、暁の撮った写真があった。俺はカメラのことはよく分からないが、いい写真……だよな。海をバックに親子を撮ったものとか……」
雅紀は、あ…っという顔をして、秋音の顔を見つめ
「うん。あれ、すごくいいですよね。俺も見せてもらった時、感動したし。被写体になった女性とだんなさんが、すごく喜んでくれて、お礼の手紙をもらったって、暁さん言ってました」
「そうか……。なあ、雅紀。俺にもああいう写真が、撮れるものかな?」
「え?」
「知識がないから無理か。いや。ちょっと羨ましくなったんだ。俺も撮ってみたいなってな」
なんとなく照れくさそうな秋音に、雅紀はにこっと笑って
「じゃあ、撮りに行ってみます?藤堂さんから荷物届いたら。知識の方は、俺じゃ教えられる自信ないけど、写真って大事なのは感性だから……。暁さんが撮れるなら、きっと秋音さんもいい写真、撮れると思う」
「そうか。いや、すぐにいいのが撮れなくてもいいんだ。あの写真を見ていたら、俺もなんとなくやってみたくなった。それに、記憶を取り戻すのにも、役に立つかもしれないしな」
雅紀はなるほど……という顔をして
「そういえば、病院って見つかりました?」
「うーん……どうかな。良さげな所はメモしておいたが、どこも治療法は似たり寄ったりだ。それより、以前見た景色を見たり、同じ体験をしたりすると、ひょっこり記憶が戻ることもあるらしいぞ」
「あー、俺も前に調べた時に、そんな体験談を読んだ覚えある。写真かぁ……。いいかもしれない。前に暁さんが連れて行ってくれた公園とか、カメラ持って行ってみましょうか」
「そうだな」
秋音は微笑んで手を伸ばすと、雅紀の頭をぽんぽんと撫でた。
『珍しいな。おまえから電話してくるなんて。何の用だ?』
「別にたいした用事じゃありませんよ。どうです?可愛い彼氏から、その後連絡はありました?」
『……いや。まだだ。なんでそんなことを聞く?例の件なら……』
「分かってます。あれは中止、ですよね」
『総、雅紀が俺の元に戻ってきても、もうおまえに会わせる気はないぞ』
「嫌だな。そんなに警戒しないでください。もちろんそれも分かってます。あれは貴弘、あなたのものだ。でも大胡さんは承知してないんでしょう?」
『……ふん。俺はもう子供じゃないんだぞ。どんな相手を選ぼうと、父親の許可など必要ない』
「じゃあやっぱり反対されているんですね」
『おまえには関係ないだろう。用件がないなら切るぞ。俺は忙しいんだ』
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