264 / 358
きみの瞳に映る月9
「今、雅紀くんに担当者ごとのファイルを、データの抜けがないか確認してもらってる。早瀬くんはここから自分のファイルを取って、ひと通り目を通してみてくれるかい?」
「分かりました」
既に解決済みのものと、今動いている案件。暁1人の分でもかなりの量になる。
秋音は、雅紀からファイルを受け取ると、隣のデスクを借りて、一番古いものから順に内容を見ていった。
「はい。そろそろ休憩タイムよ。今日の桜特製みっくすじゅーすはブルーベリー入り。目にいいから飲んで飲んで~」
桜さんの声に、秋音と雅紀は顔をあげた。いつの間にかすっかり書類に没頭していたらしい。桜さんはトレー片手ににっこり微笑んで
「最初から飛ばすと息切れしちゃうわよ。適度に休憩をはさむのも大事」
秋音は苦笑して
「そうですね。じゃあ、頂きます」
トレーからグラスを取ると、雅紀にも渡してやる。
「ありがとう。桜さん、頂きます」
雅紀は受け取った紫がかった緑のジュースを、しげしげと見つめた。
「うふふ。2人とも素直で可愛いわあ。どうぞ~、召し上がれ」
雅紀は怖々、ひとくち飲んでみて目を見張り
「あ。美味いっ…」
「でしょ。素直な雅紀くんには、特別にフルーツたっぷりにしてあるの。お肌にもすっごくいいんだから」
ドリンクサーバーからコーヒーを取ってきた古島が、2人のデスクに寄ってきて苦笑し
「お肌にいいって言われても、雅紀くんは男だしなあ?」
「あらっ。今どきの男子はお肌にも気をつかわないとっ。特に雅紀くんは色白でお肌すべっすべですもの」
2人のやり取りに笑いながら、秋音もひとくち飲んでから雅紀の顔を見て
「たしかに美味い。見た目の予想を裏切る味だな」
雅紀はうんうん頷いて
「でしょ?俺、桜さんの特製じゅーす大好きです」
雅紀のひとことに、桜さんは蕩けるような笑顔になり
「んもお~ほんっと可愛いわぁ、雅紀くん。お姉さん、君をお持ち帰りしたいわっ」
「うわあ……。それじゃ雅紀さんが気の毒っすよ~。可愛い女子が放っておかないくらいの超イケメンなのに、お相手が暁さんと桜さんって…」
「ちょっと。それどういう意味よっ。早瀬くんはともかく、私は正真正銘の可愛い女子でしょうがっ」
脇からしゃしゃり出てきた仲西を、桜さんが睨みつけた。
「いやいやいや、自分で可愛い女子とか言っちゃうんだ……。桜さん、昭和何年生まれでしたっけ?」
「こら勇人っ。それは私に対する宣戦布告よね!?いいわよ。受けて立とうじゃないのっ」
まったく……騒がしいほど明るくて、自分の側には今までいなかったタイプの人間ばかりだ。
秋音は皆の賑やかなやり取りを半ば呆れたように見守りながら、その中に自然に溶け込んで、楽しそうに頬を緩めている雅紀を見て微笑んだ。
きっと雅紀の周りにもいなかったのだろう。なかなか個性的だが、皆、性格が良さそうで優しい人物ばかりだ。生真面目過ぎて自分の殻に閉じこもりがちな雅紀には、このおおらかな雰囲気はいいのかもしれない。
「雅紀くんのことなら、心配は要らないよ。彼、何気にここに溶け込んでいるだろう?」
古島が椅子を引っ張ってきて、秋音の隣に座った。
「ええ。俺も今、ちょうどそう思っていたところです。あいつの表情がすごくリラックスしていて柔らかい」
「彼の独りで思い込みがちな所は、多分、育ってきた環境や体験によるものが大きいよね。すごく追い詰められて生きてきたんじゃないかな。他人に押し付けられた枠の中で、窮屈に過ごしてきてる、そんな気がするね」
「たしかに……そうかもしれない」
「うちの連中は皆それぞれ訳ありでね。他人には言えないような苦労をしてきてる人間だ。多少変わったところもあるけど、他人の心の痛みには敏感だし、苦労した分だけ他人には優しいよ。雅紀くんがあの中で寛げるのは、共鳴する部分があるからだろうね」
「なるほど…」
「僕らは、君の中に眠ってしまった早瀬暁からも、雅紀くんのことを頼まれてる。信頼してもらっていい」
「分かりました。俺に何かあった時は…雅紀のこと、お願いします」
古島はしっかりと頷くと
「まあ、俺も彼らも雅紀くんのことはお気に入りだからね。頼まれなくても世話を焼くつもりなんだけど」
そう言って意味ありげに笑った。秋音は虚をつかれて一瞬目を見張り、古島の言わんとしていることに気づくと苦笑いして
「雅紀は俺のものです。誰にも渡しませんよ」
「そうだね。雅紀くんは君と一緒にいる時が一番幸せそうだ。だから君の目の黒いうちは、ちょっかいはかけないと約束するよ。それに万が一の事態なんて想像したくもないからね。君も充分用心して、彼との幸せな未来を掴み取らないといけないな」
「もちろん。そのつもりです」
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!