265 / 369

きみの瞳に映る月10

田澤が部屋から顔を出し、古島を手招きした。古島は立ち上がり、秋音の肩をぽんぽんと叩くと 「少し顔に疲れが出てるな。まだ復帰初日だからね、無理はしない方がいい。ファイルを棚に戻したら、今日の業務は終了だよ。雅紀くんも、お疲れさま」 古島の言葉に、雅紀は慌てて立ち上がると、 「今日はいろいろ教えて頂いて、ありがとうございましたっ」 そう言って、ペコリとお辞儀した。古島は微笑んで 「どういたしまして。じゃあ、早瀬が無理し過ぎないように、後は君に任せたよ」 「はいっ」 雅紀は嬉しそうに頷くと、デスクの上のファイルを、桜さんに教えてもらいながら所定の棚に片付け始めた。古島は田澤と一緒に社長室に消え、秋音も雅紀を手伝う為に立ち上がった。 「陽が落ちた途端に冷え込んだな。雅紀、寒くないか?」 アパートの契約駐車場に車を停めて、助手席から降りると、少し風が出てきたのか、かなり肌寒かった。車で移動するつもりでいたから、雅紀はシャツの上に薄手のカーディガンを羽織っただけの軽装だ。 「ううん。俺は大丈夫。秋音さんこそ寒くない?」 車外に出た途端、寒そうに首を竦めたくせに、そう言って自分の方を気遣ってくる雅紀に、秋音は苦笑して 「ちょっと寒いな。おいで」 雅紀を手招きすると、肩に手をまわして抱き寄せた。雅紀は一瞬ぴきんと固まり、きょろきょろと周りを見回して、人通りがないのを確認すると、ほっとしたように肩の力を抜いて、身体を預けてきた。 「こうしたらあったかいだろう?」 こくんと頷く雅紀の頬が、ほんのり赤い。そのまま2人並んで、アパートまでの道のりをゆっくり歩く。 「探偵のお仕事……どうですか?」 「うーん……まだ何とも言えないな。過去のファイルを見ていると、調査っていっても実に様々な内容だ。あれを全部、俺がこなしていたなんて……ちょっと驚きだな」 「何か……思い出したりしません?」 傍らに目を向けると、大きな瞳が自分を見上げている。秋音はきゅっと雅紀の細い肩を抱き締め 「いや。格別気になるものはなかった。いつものデジャブみたいなものも、特には感じなかったよ」 「……そう…」 「おまえはどうだった?しばらくはあそこで働けそうか?」 「あーうん。書類の整理やパソコンいじるのは、俺、嫌いじゃないし。あそこの人たちはみんな、優しくて楽しいから」 「そうだな。皆いい連中だ。おまえもいい感じに溶け込んでいて安心したよ」 アパートが見えてくると、秋音は雅紀の肩から手を離して、今度はさりげなく手を繋いだ。雅紀はまた周りを気にしながらも、照れくさそうにはにかんでいる。手を繋いだまま、アパートの階段を上がろうとした時 「あれ……?……月が……なんか変…」 雅紀の声に視線を辿ると、建物の隙間から見える月が、ちょっとびっくりするくらい大きい。 「すごいな……大きさもだが、色が燃えるようなオレンジ色だ」 「あれって月……ですよね?いつもあんなに大きかったかな…」 「そういえば、ごくたまにあんな月を見かけるな。前に不思議に思って、どんな現象なのか調べてみたんだが……あれは単なる目の錯覚なんだそうだ」 「え……目の錯覚……?でも俺も秋音さんも、同じように大きく見えてるんでしょ?錯覚が起きる原因が何かあるんじゃないですか?」 「そうだな。他にもいろいろな説があるらしいが、どれも納得出来る答えじゃなかった」 「そうなんだ…」 雅紀は秋音に手をひかれて階段を上りながらも、ちらちらと月の位置を気にしていた。しまいには2階の踊り場で秋音の手を離し、手すりを掴んで、ぽーっと月に見入っている。 「なんだ。随分気になるみたいだな」 隣に寄ってきた秋音を、雅紀は上目遣いで見上げた。 「うん……。説明のつかない不思議なことって……いっぱいあるんだな……って。俺と秋音さんがこっちで偶然再会出来たこととか、秋音さんの記憶喪失のことも」 「……なあ、雅紀。暁の記憶、やっぱり戻って欲しいか?」 「え……?」 「いや……俺の記憶が戻るかどうか、おまえかなり気にしているだろう?」 「あ……」 見開いた雅紀の瞳に月が映り込んで、ゆらゆらと揺らめいて見える。 「暁に会えなくて寂しいか」 雅紀は慌てて首をふり 「ううん。そうじゃないんです。ただ……暁さんが寂しいかなって思って」 雅紀の言葉に、秋音は不思議そうに首を傾げた。 「……暁が?どういう意味だ」 雅紀は、あ……っという表情になり、困ったように目を泳がせた。その反応に秋音は眉をひそめ 「おまえ……また俺に何か隠しているな?」 「やっ……えっと…」 焦って首をふる雅紀に、秋音はため息をつくと 「とりあえず、中に入るぞ。そんな格好じゃ風邪をひく」 もじもじしている雅紀の手を握って、部屋のドアの前に連れていった。

書籍の購入

ともだちにシェアしよう!