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幻月2
今度は秋音の箸の動きがぴたっと止まる。雅紀は緊張した面持ちで
「今朝の……とか。あれ、秋音さんが寝ぼけたわけじゃなくて…」
秋音は訝しげな顔で、雅紀の首筋を見つめた。雅紀の白い肌にいくつも残る紅い跡。あれは……
秋音は、はっと目を見張った。
そうだ。おかしいと思ったのだ。あのキスマークは。いくら寝ぼけていたって、あんなにたくさん自分でつけておいて、覚えていないなんて…。
「……それは……暁がつけたのか…」
「……っ!」
「俺が……寝ている間に……?」
雅紀はこくんと頷いた。秋音は呆然として黙り込んだ。鍋のぐつぐつ煮える音だけが、室内を支配する。
やがて、秋音は気を取り直したように箸を持ち替え
「食べよう。煮えすぎになるぞ」
そう言ってぼんやりと食べ始めた。雅紀も秋音の様子を気にしながら食事を再開した。しばらく2人とも黙々と食べていたが、ふいに秋音はふ…っとため息をつき
「俺がつけたにしては、おかしいと思っていたんだ。そうか……犯人は暁か」
「……信じる……?秋音さん」
不安そうに自分を見る雅紀に、秋音は苦笑して
「信じたくはないが……信じるしかないだろうな。おまえはそういう嘘はつけないやつだ」
「……ショック……ですよね……?」
「まあな。……眠るとすぐに、俺は暁になるのか?」
「ううん。そうじゃなくて。暁さんになったのは2回だけ。それもほんの短い時間だけ、です」
「二重人格……ということなのか?」
雅紀は首を傾げ
「それは……わかんないです…」
「だよな。たぶん記憶喪失の影響なんだろうな。……暁になっている時、俺は何て言っていた?」
「暁さんは、秋音さんの中ではいつも眠ってる感じだ…って」
「眠っている感じ……か」
秋音は眉を寄せた。今朝方、ふわふわと夢を見ていた。柔らかいもやに包まれているような……。あの感覚だろうか?
「そうすると、暁の時の俺は、俺の存在を意識しているのか」
「うん……。わかってるみたい」
「不思議だな。俺は寝ている時に暁のことを意識したことはなかったが…」
「そう……ですよね」
秋音はふっと笑って
「そうか。それで暁が寂しいと思う、なのか。おまえらしいな」
雅紀は不思議そうに、秋音をまじまじと見つめて
「秋音さん……思ったより平気……ですよね。俺、もっとショック受けるかと思ってた…」
「うーん……まあな。ショックはショックなんだが……そういうこともあるんだなって感じかな。むしろ、6年間記憶をなくして、別人になっていたって聞かされた時の方がショックだった」
「そうなんだ……」
「だが……けしからんヤツだな、暁は。俺の知らないうちに、おまえにちょっかい出していたわけだ」
急に拗ねたような顔になった秋音に、雅紀はほっとしたように笑って
「暁さんは、きっと秋音さんは俺の存在なんか信じないから、動画でも撮って見せてやるって言ってたし」
秋音は途端に嫌そうに顔を歪め
「勘弁してくれ。そんなもの見せられたら、それこそショックだ。それより雅紀、せっかくのキムチ鍋がグタグタになる。さっさと食べてしまおう」
秋音はそういうと、鍋の火を止めて、雅紀の取り皿に鍋の中身を山盛りによそい、自分の分もよそって食べ始めた。
暁の話はたしかにちょっとショックだったが、時折デジャブのように、自分にはないはずの記憶映像が頭を過ったりしていたせいか、それほど違和感はなかった。むしろ、雅紀の隠し事がそんな内容で良かったと、ほっとする気持ちの方が大きい。
雅紀の隠し事はちょっとした爆弾だ。貴弘の件は未然に防げたから良かったが、一生懸命な分、こちらの思いもよらない方向へ飛んでいきそうで、油断は出来ない。
「ふう……お腹いっぱい……。これ以上食べたらお腹がパンクするかも」
「シメはおじやにするつもりだったが……さすがに俺ももう入らないな」
「俺も絶対無理…」
秋音は笑いながら立ち上がり、ホットプレートのコンセントを抜いて
「鍋がまだ熱いから、このまま端に寄せるぞ」
「ん、待って。そっち俺が持ちます」
雅紀も慌てて立ち上がり、2人でテーブルを持ち上げて壁際に寄せた。
「秋音さん、指、痛くない?」
心配そうにのぞきこんでくる雅紀を、秋音はぐいっと引き寄せて、不意打ちに唇を奪った。
「……んっ」
驚いて一瞬固まった雅紀の唇が柔らかく解けるのに、それほど時間はかからなかった。秋音はうっすら開いた唇の隙間から舌を挿し入れ、雅紀の舌を絡めとる。
「……んっふ……ぅ……んぅ……んっんぅ」
鼻からもれる雅紀の声が甘い。すがるように腕を掴んできて、秋音の口づけに一生懸命応えてくる。
くちゅくちゅと音を響かせながら、腰砕けになりそうな、濃厚な口づけは長く続いた。力が抜けてだんだんくったりしてきた雅紀の身体を、しっかりと支え直す。
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