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幻月4
見ると、雅紀の目が不安げに揺れている。暁は、はあ……っとため息をついて
「あーあ。なんかさ、すっげー負けた気がする」
暁はちぇっと舌打ちして、布団の上にあぐらをかき、雅紀を抱きかかえると
「んなこと言われちまったらさー。嬉しいけど悔しいじゃん。俺……男として秋音に負けてるよなぁ」
ため息混じりの暁の呟きに、雅紀は腕の中でもぞもぞして
「負けてないし。俺、秋音さんの言葉聞いて、やっぱり2人はおんなじなんだなーって思った。男として負けてるの、俺の方だ」
項垂れた雅紀の頭を、暁は優しく撫でて
「なーんでそこで、おまえが落ち込むんだよ」
「だって……俺はいっつも自分の気持ちだけでいっぱいいっぱいで、全然余裕なんてなくて」
「んなことねえだろ。おまえは自分のことより、いっつも俺らのこと考えてくれてるんじゃん」
雅紀は首を横にふり
「ううん。そうじゃない。俺、暁さんの為って言いながら、結局自分の気持ちが優先だったんだなって……分かったから」
「んー。どうしてそう思った?何かあったのか?」
膝の上で優しく揺すられて、雅紀はおずおずと顔をあげ
「あの……。俺……貴弘さんに電話しちゃったんです。会いたいって…」
暁はぴたっと動きを止め、雅紀の顔をのぞきこんだ。
「は?ちょっと待て。なんで貴弘に」
「止めて欲しくて……あなたの命狙うの。俺、側にいたのに守れなかった。だから直接、犯人見つけて、もし貴弘さんがやってるんなら、どんなことしても止めてもらおうって…」
暁ははああ……っと深いため息をつき
「まったく……。あの貴弘がさ、おまえの言うことに耳貸すと思うか?」
「………」
雅紀は力なく目を伏せた。
「勝手に入れ込んで、おまえにストーカーまでしてた男だぞ。おまえが何言ったって絶対にきくもんか」
「……そう……ですよね……でも…っ」
暁はぎゅうっと雅紀を抱き締めて
「やめてくれ。んなバカなことすんなよ。おまえ……もし貴弘が犯人で、どうしても止めてくれなかったらさ……どうするつもりだった?」
雅紀の身体が強ばった。
「……暁さん、俺…」
「俺が車に轢かれそうになった時、おまえ、自分が吹っ飛ばされるの覚悟で、真っ直ぐに飛び込んできたよな」
「……うん……でも……逆に庇ってもらって、俺…」
「だから貴弘のとこに行こうとしたのか?もしもの時は、自分を犠牲にする覚悟で?」
「………はい…」
暁はがりがりと頭をかき
「ばかっ。ほんっとにおまえってやつは~」
「ごめっなさい……っ。俺、自分の気持ちしか考えてなかった。秋音さんに言われた。俺の気持ちも考えろって」
「秋音の言う通りだ。頼むよ~雅紀。一方的な自己犠牲じゃなくってさ、一緒に力合わせて立ち向かおうぜ。だって俺達、恋人同士じゃん?」
「うん。俺……俺……ほんと……ごめんなさい…」
「俺はむざむざと殺されるつもり、ないぜ。絶対に生き続けて、大事なおまえのことも守りたい。秋音だってきっと同じだ。おまえが幸せになるのが、俺の幸せでもあるんだ。おまえだってそうだろ?じゃあ、一緒に幸せになろうぜ」
雅紀は暁にぎゅっと抱きついた。
「あのね、暁さん。俺、暁さんに申し訳なくて。暁さん、ほんとは辛かったんでしょ?俺が……貴弘さんの……あなたのお兄さんの愛人……だったこと。だから俺にほんとの名前、言えなかったんですよね?あの時」
泣きそうな声でそう言う雅紀に、暁はなぬ?っと首を傾げた。
「おいこら待て。んなこと言ってないぞ、俺は」
「俺の存在が暁さんのこと苦しめてるかも?って。それに恋人の時の記憶、なくなったんなら、そのまま俺、そっと消えちゃった方がいいかもって……そう思って…」
たしかにあの時、俺は自分が桐島家の人間であると、雅紀に告げるのを躊躇った。でもそれは、雅紀が貴弘の愛人だったことに拘っていた訳じゃない。血は繋がっていても、赤の他人より遠い存在の兄だ。
躊躇った理由はむしろ、雅紀自身が俺の兄と繋がりがあったことにショックを受けるかもしれないと思ったからだし、瀧田の屋敷で酷い目に遭った直後だったから、貴弘の名前を出すのが躊躇われただけだ。
暁は泣きたい気持ちになって、雅紀の顔を両手で包んだ。
気遣ったつもりの自分の態度が、そんな哀しい誤解を生んでいたのか。
あの事故がなければ、自分は雅紀に全てを打ち明けるつもりでいた。
何も真実を聞かされず、怪我をして記憶をなくしてしまった自分の傍らで、独り宙ぶらりんに置き去りにされた雅紀が、どんな思いでいたかと思うと、あの時の自分を殴り飛ばしてやりたい気分だ。
「悪かった……。おまえ、辛かったよな。苦しかったな。おまえがそんな思い詰めたの、俺のせいだな」
「……っちが……ぅ……俺が……勝手に…」
暁は潤んできた雅紀の目元に、そっとキスを落とした。
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