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幻月9
肩を落とした雅紀に、秋音は苦笑して
「だが、最盛期にはここ一面が、あの不思議な花色に染まるんだろう?凄いな。来年見に来るのがますます楽しみになったな」
雅紀ははっとして秋音の顔を見上げた。秋音の穏やかな表情からは、本気でそう信じている様子が伝わってくる。決して自分を慰めようとして言っているわけじゃない。憂いを全て断ち切り、来年一緒に満開のかたくりを見ようと、その為に精一杯努力しようと言ってくれているのだ。
……そうだよ。何もしていないうちから諦めていたら、何も始まらない。悲観してたって仕方ないんだ……。
どうしても後ろ向きになりがちな自分に、あっけらかんと前を向く為の勇気をくれた暁のように、秋音もまた、幸せな未来を共に掴もうと、勇気づけてくれている。表し方は違っても、暁と秋音はやっぱり同じだ。
「ほんと。楽しみです。俺も」
雅紀がにこっと笑ってそう言うと、秋音は大きく頷いた。
「……そう。じゃ、今は留守ってことですね。分かりました。では2人が戻ったら報告を。………いや。その後も見張りは残してください。………ええ。それは構いません。特別手当をつけましょう。その代わり報酬分の仕事はきっちりやってくださいね」
「ねえ、秋音さん。もじまるでの約束は19時でしたよね?とりあえずアパートに戻って、少し身体を休めないと」
車に戻って助手席の秋音を見ると、やはりちょっと疲れた顔をしていた。
今夜は予定もあるから、早めに切り上げようと、途中何度か促したのだが、覚えたてのカメラにすっかり夢中の秋音が、なかなか首を縦にふらなかったのだ。結局、公園の駐車場が閉まるギリギリの時間まで、自然公園で過ごしてしまった。
「あと2時間か……。そうだな。さすがにちょっと疲れたかな。アパートからもじまるまでは歩きなんだろう?」
「うん。あそこの駐車場は狭いから、車は置いて行った方がいいと思う。今から急いでアパートに戻れば、1時間ぐらいは休めるかも」
「じゃあ、ひとまず帰るか。今日は俺も少しはしゃぎ過ぎたな。だが、楽しかった。もう少しカメラの勉強をして、他のレンズも使いこなせるようになりたいもんだな」
雅紀は車をスタートさせ、公園の駐車場を出て、アパートへの帰路につく。
助手席の秋音は、さっき公園で撮りためた写真を、液晶で1枚1枚確認している。思った以上に楽しげな秋音の様子に、雅紀は嬉しくなった。
「カメラ、好きなんですね、秋音さんもやっぱり。すっごい楽しそう」
「そうだな。俺もこんなにハマるとは正直予想外だ。まだまだ暁の撮った写真には及ばないが、もっと上手く撮りたいなんて欲も出てきている」
「きっとすぐ使いこなせるようになると思う。秋音さんなら」
「そうか。……そうだな。暁に撮れるんだ。俺にだって出来るか」
「ふふ……また出た。秋音さんの負けず嫌い」
「当然だ。大事な恋人の写真は、やはり自分が一番綺麗に撮れないとな」
しれっと言ってのける秋音に、雅紀は赤くなってぴきっと固まった。
秋音が自分に向けてくれる言葉は、暁とはまた違った意味で超ストレートで、ものすごーく心臓に悪い。
雅紀はおたおたしながら、必死に話題を逸らした。
「えっと、あの、カメラ関係の本が、押し入れの奥にいっぱいあるから、それ読んでみるといいかも。他のレンズの使い方は、俺も暁さんにちょっと教えてもらったぐらいで、詳しくないし…」
「そうだな。後でじっくり見てみよう。……ところでどうした、雅紀、顔が赤いぞ」
「……もう…。秋音さん、分かっててからかってるでしょ、俺のこと」
拗ねる雅紀の反応が可愛くて、秋音は満足そうに微笑んだ。
「雅紀、悪いがちょっと眠るぞ。アパートの近くになったら起こしてくれ」
「うん。そうしてください」
秋音はカメラをバッグに仕舞うと目を閉じた。
「秋音さん、もうすぐ着きますよ。ここで降りて、先に部屋に行って横になってて。俺、車を駐車場に停めて後から行くから」
うつらうつらしている秋音にそおっと声をかけると、秋音はぱっと目を開けて
「いや。俺も駐車場まで行くぞ」
「ううん、無理しないで。俺、1人で行ってくるから…」
「今、少し寝ていたから大丈夫だ」
「……でも…」
心配そうな雅紀に秋音は片目を瞑ると
「なんだ。俺と手を繋いで歩くのは嫌か?」
アパートの裏手の駐車場までの道は、歩いて数分だが、建物の死角になっていて、人通りもほとんどない。街中とは違って、人目を気にせずに手を繋いで歩ける。その数分の道のりが、雅紀にとってはささやかな幸せの時間だったりするが、秋音も同じように思ってくれているらしい。
雅紀は秋音からすいっと目を逸らし
「……嫌じゃ……ないし…」
恥ずかしそうに小さな声で呟いた。
「だったら俺も行くぞ」
「……うん」
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