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第58章 ひそやかな足音1

「対象者の車が戻ってきました」 『そう。2人は一緒?』 「はい」 『分かった。2人に気付かれないように引き続き見張りを。彼が1人になるタイミングを狙って』 「了解」 車を降りて荷物を持つと、何となく微妙に距離を取ろうとしている雅紀の腕を掴んで引き寄せた。 「ほら、手、出せ」 雅紀は往生際悪くもじもじしながら、辺りを見回している。 「大丈夫だ。誰も見ていないぞ」 「……うん」 若干そっぽを向きつつ、そろそろと伸ばしてくる手を、秋音は苦笑しながらぎゅっと握った。ちらっとこちらを見る雅紀の目元がうっすらと染まっている。 ……そんな顔をされると、こっちまで照れくさくなるだろう。 秋音は何食わぬ顔で、雅紀の手をしっかり握ったまま歩き出した。 ……大きくて、あったかい手……。 好きな人と手を繋いで歩く。 そういうささやかな幸せを、雅紀はこれまで味わったことがなかった。 もちろん、高校の時に告白されて付き合った女性の先輩とは、手を繋いだり腕を組んで歩いたことはある。でもそれは幸せを噛み締めるような出来事ではなかった。だって雅紀が好きになる対象は女性ではなかったから……。 唯一、まともに恋人として付き合った元カレとは、手を繋ぐのが嬉しいなんてほのぼのした交際ではなく、もっと直接的な生々しい行為ばかりだった。 心を重ね合い、互いの手の温もりを幸せだと感じるー。 そんな穏やかな喜びがあることを実感出来たのは、暁であり秋音である、この傍らの恋人が初めてだ。 すごく照れくさい。ドキドキする。だけど、とっても安心する。 雅紀はおずおずと顔をあげ、傍らの秋音の顔を見つめた。 目尻にきゅーっと線を引いたような、綺麗な切れ長の目。自分とは真逆の、憧れの固まりのような、男らしい格好いい横顔。この人が自分のカレシで、手を繋いで歩いてくれているなんて、やっぱり夢みたいだ。……嬉しい。 「どうした?俺の顔に何かついてるのか?」 「……っ」 秋音が目だけでこちらを見て面白そうに笑う。途端に硬質な横顔が、人懐こい優しい顔になった。 ……わ……。この表情も好きだなぁ……。 思わず見とれてしまって、目を離せないでいると、秋音はとうとうこらえ切れずに噴き出した。 「こら。そんなに見ていたら顔に穴が開く」 「だって……秋音さん、すっごい格好いいし……。ほんとに俺が、こ……恋人でいいのかなぁ……って…」 そう言って自信なさげに大きな瞳で見つめてくる雅紀自身が、とびきりの美人さんなわけで……。 ……こいつは……超天然の無自覚か。まったく……。仕方のないヤツだ。 「もっと自信を持って胸を張っていろ。俺の恋人はおまえだけだ」 秋音は立ち止まってそう言うと、辺りを見回してから、素早く雅紀の唇にチュッとキスを落とした。 「……っ!」 雅紀はボンッと音が聞こえそうなほど真っ赤になると、目を大きく見開いたまま、口を両手で覆った。 「まだ自信がないなら、もう1回するか?」 いたずらっぽい目で顔をのぞき込まれ、雅紀は口を押さえたまま、ぷるぷると首を横にふる。秋音はにっこり笑って 「よし。ほら、手」 差し出された手に自分の手を再び重ねると、雅紀は秋音に甘えるように寄り添った。 アパートの部屋に戻って布団を敷こうとする雅紀を制して、秋音はソファーに座ると 「ここでいい。おまえも座れよ」 素直に隣にきた雅紀の肩を抱き、そっと顔を寄せる。 「ありがとう、雅紀。いろいろ教えてくれて。今日は本当に楽しかった。あんなに夢中で遊んだのは久しぶりだ」 「秋音さん……」 「俺のゴタゴタに巻き込んで済まない。苦労をかけるとは思うが……。おまえが嫌じゃなければ、隣で笑っていてくれ。おまえがいてくれると、俺は楽に呼吸が出来るんだ」 雅紀はほんわりと頬を緩め、秋音の頬に手をあて、唇にちゅっとキスすると 「……俺で……役に立つなら側に置いて」 秋音はお返しのキスをすると、雅紀の華奢な身体を抱き締めた。 少し身体を休めてから、約束の時間に間に合うように、準備をして再びアパートの部屋を出た。 もじまるは駅を挟んで向こう側だ。歩いて行けば20分ほどで着く。 「桐島大胡さんに……お父さんに会うのは、ほんとに初めて?」 少し硬い表情になってきた秋音に、雅紀は歩きながら問いかけた。 「俺が3歳ぐらいまでは、母も俺もこっちに住んでいた。その頃には何度か会っていたらしいがな」 「そっか……。3歳じゃ覚えてませんよね」 「そうだな。母は父親の話をあまりしなかった。物心ついた頃に、どうして俺には父親がいないんだと聞いたら、すごく哀しそうな顔をしてな。だから子供心にその話はしてはいけないんだと思っていた」

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