285 / 356
ひそやかな足音11
暁はぎゅうっと雅紀に抱きついて、顔中にキスを降らせた。
「優しいな……おまえは。美人で可愛くて超エロくて。やっぱ最高の恋人だぜ」
「や。超エロくては、余計だし…」
口を尖らす雅紀に、暁はにかっと笑って
「おまえ、抱けて……めっちゃ幸せだった。秋音に……感謝しなくちゃ……な」
だんだん呂律が回らなくなっていく暁を、雅紀はぎゅっと抱きしめ返した。
「暁さん……眠い……?」
「……ああ……そろそろ……時間、だな……。愛してるぜ……雅紀…」
「俺も。愛してる」
徐々に身体から力が抜けていく暁を、雅紀はそっとシーツに横たえた。
隣に自分も横になって、穏やかな寝息をたてる暁の顔をじっと見つめる。
暁の意識の彼に抱かれたのは、仙台の温泉宿以来だった。あれからいろいろなことがありすぎて、随分昔のことのように感じるけれど。
この人の側を離れて、貴弘の所へ行こうという気持ちはもう消えていた。
皆に引き止められたからというのもあるが、自分の存在がこの人には必要なのだと実感出来たことも大きい。愛されているんだと、今は素直に思える。
雅紀はほお…っとため息をつくと、暁の胸に顔を擦り寄せた。
目が覚めてふと見ると、自分の横に可愛い寝顔がある。至福の時間っていうのはこういうことなんだろうな……と思いながら、雅紀の長い睫毛を見つめた。
それにしても綺麗な寝顔だ。もともと体毛が薄い体質なのだろうが、こいつの無精髭を見た記憶がない。本人に言えばぷんぷん怒るだろうが、28歳の男には絶対に見えない。
ふいに眠りにつく前のことを思い出した。愛の交歓でベトベトだったはずの身体は、すっきりと拭き清められていた。多分この優しい恋人が、綺麗にしてくれたんだろう。
満ち足りたあどけない寝顔からは、あの後、目覚めた暁と充分に愛を交わしたのだと想像出来る。自分で譲っておきながら胸がちくりと痛むが、暁の寂しさを想って泣く雅紀を見るよりはいい。
子供の頃から抱えていた父親に対するわだかまり。それが昨夜の対面で全て消えた訳ではない。そんなに簡単ではないのだ。重ねた年月の重さは。
だが、父には父の、母には母の、どうすることも出来ない哀しみがあったのだと。子供の自分から見たら完璧な大人だと思っていた彼らにも、自分と同じ若い日々があって、悩み苦しみもがく弱さがあったのだと。父の流した涙が教えてくれた。
ならば自分はもう過去は振り返らない。父母が叶えられなかった愛する人との未来。それだけを信じて前を向く。絶対に掴み取ってみせる。
雅紀が目覚めたら、自分を希望のある未来へと導いてくれるこの天使に、まずは感謝のキスを贈ろう。
そして朝食を食べたら、一緒に田澤の事務所に行く。なるべく早く仕事を覚えて、こちらでの地盤を固めながら、田澤と桐島大胡の協力を得て、次は貴弘との直接対決だ。
雅紀のスマホには、まだ貴弘からの連絡はない。きっとじりじりしながら、雅紀からの連絡を待っているのだろう。向こうの出方を待つか、先にこちらから接触を試みるか……。
もし貴弘が一連の事故の犯人ならば、ここで慎重に動かなければ、雅紀のことが更に貴弘の憎しみを煽ることになる。自分に向けられる憎しみならまだしも、もしその怒りの矛先が、雅紀に向けられてしまったら……。
……とりあえず、貴弘との最初の対面には、雅紀は置いていくか……。
雅紀はきっと付いていくと言うだろう。自分の身よりも、俺を心配してくれている彼のことだ。だから、仕事で出掛けるふりをして、雅紀を事務所で預かってもらい、その間に田澤と2人で貴弘に会う。
貴弘は桐島大胡とは違う。彼にとって俺は、父親の妾の子だ。いくら血が繋がっていても、溝を埋めることは出来ないだろう。だが、俺が祖父の遺産の相続権の一切を放棄すると告げれば、憎しみは消せないとしても、危険をおかしてまで俺の命を狙うことは止めるかもしれない。
動機も貴弘が真犯人がどうかさえも、まだ分からないのだ。まずはこちらからエサを投げてみて、相手の出方をうかがう。
自分を狙った事故はともかく、母や妻子の命を奪った罪を許す気持ちはない。もし貴弘が犯人だと分かれば、自首を勧めて法の裁きを受けてもらう。そうでなければ、理由も分からず自分の巻き添えで犠牲になった3人が浮かばれまい。
秋音はふうっと重いため息をついた。雅紀にストーカー行為をするほど思い込みの激しい男だ。初対面でこちらの話に、すんなりと耳を傾けてくれる可能性は低い。むしろ、激しい憎しみをぶつけてくることもあり得る。
想像するだけで気が重くなるが、ここが正念場だ。踏ん張るしかない。
ふいに、雅紀が何かむにゃむにゃ言いながら寝返りをうった。身じろぎせずにその様子を見守っていると、長い睫毛がふるふると揺れて、ゆっくりと瞼が開いていく。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!