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第59章 おぼろ月1
「大丈夫か?篠宮くんに内緒で会っちまって…」
田澤の言葉に秋音は苦笑して
「後で知ったら、頭から湯気たてて怒りそうですね」
「だよなあ……怒るだけならまだしも、泣いちまうかもしれねえ」
「でも、一緒に連れて行くのはまずいでしょう。貴弘は雅紀が俺とはきれて自分の元に戻ると思っている。とりあえず、今日のところは雅紀の件は抜きにして、俺自身の希望を貴弘に伝えます。雅紀のことで彼を怒らせたら、冷静に話すことも出来ない」
「それは……そうなんだがな…」
何となく気乗り薄な田澤に、秋音は眉をひそめた。
「田澤さんはそのおつもりで、貴弘に連絡を取ってくれたんですよね?」
「まあな。だが、やっぱり篠宮くんには、伝えておいた方がいいって気がするぜ」
「言えばあいつ、自分もついて行くと言ってきかないでしょう」
田澤はうーんと唸って黙り込んだ。
秋音の言う通りなのだ。今日の貴弘との会合は、雅紀とは別件だ。遺産相続の放棄を貴弘に直接会って伝える。一番の目的はそれで、秋音自身がそれを告げることで、相手の人物を見極める。微妙な立場になっている雅紀は連れていかない方がいい。それは分かっているのだが……。
「何だろうな。俺も年かな……。どうにも妙な胸騒ぎがして仕方ねえんだ。俺はやっぱり、篠宮君にはおまえの行動を知らせておいた方がいいと思うぜ」
不安気な田澤を安心させるように、
秋音は微笑んで、
「分かりました。田澤さんがそう感じるなら、用心に越したことはない。約束まではまだ少し時間があるし、俺があいつに直接電話して、様子を確認してみますよ」
そう言ってスマホを取り出した。
『今日の17時に○○ホテルで、都倉秋音と会う予定だ。何の話があるのか知らないが、1時間ほどで済むだろう。せっかくこっちに来たんだ。都合がつくなら君もおいで。久しぶりに食事でもして、ゆっくり過ごそう』
ハングアウトに届いた、貴弘からのメッセージ。
雅紀は洗面所で、呆然とスマホを見つめていた。
……どういう……こと……?……秋音さんが……貴弘さんと……?だってそんなこと、俺には一言も……。
信じられなくて何度も読み返したが、文面は変わらない。
秋音は田澤と一緒に○○駅のホテルに打ち合わせに行くと聞いていた。
偶然の一致に嫌な予感が頭を過ぎったが、思い過ごしだと打ち消していた。
貴弘からのこのメッセージが本当ならば、2人は自分に内緒で貴弘と会うつもりなのだ。
……だめ……秋音さん……。いくら田澤さんが一緒だからって、貴弘さんに直接会うなんて……そんなの……危険過ぎるよ……。
雅紀はふらふらとトイレから出て、事務所のドアの方に向かったが、ドアに手をかけようとして、ふと立ち止まった。
事務所に行って古島達に問い質しても、俺には本当のことを教えてくれないかもしれない。俺がホテルに向かうと言えば、引き止められる可能性もある。それより、今はもう16時半過ぎだ。ここから車を飛ばせば、17時ぎりぎりには○○ホテルに着ける。
雅紀は踵を返し、階段への扉を開けて階下へと駆け下りた。
「対象者が出てきました。1人です。駐車場に向かっています」
『追って。車に乗り込む前に確保』
「了解」
雑居ビルの隙間の裏道を抜けて、平地の契約駐車場に着くと、ポケットから鍵を取り出しながら、暁の車に向かった。
嫌な想像が次から次へと押し寄せてきて、頭の中は真っ白だった。
……大丈夫。落ち着け。田澤さんが一緒なんだから。ちゃんと秋音さんの安全を考えてくれてるはず。
ふいに、自分を庇いながら縁石に頭を打ち付け、こめかみから血を流して気を失った暁の姿が、脳裏によみがえってくる。
雅紀は唇を噛み締め、震える指で車のキーを鍵穴に差し込んだ。
ロックを外してドアを開けようとした時、背後に気配を感じてはっとした。振り返った瞬間、黒い手袋の手が伸びてきて口を布で覆われた。雅紀は必死にもがいて抵抗しようとするが、びくともしない。嫌な薬品臭のする布で鼻と口を完全に塞がれて、苦しさに息を吸い込んだ瞬間、目の前がグラりと揺れた。
……秋音さん……っ。暁さんっ。誰か……助け……て…
足から力が抜け、視界がブラックアウトする。ぐったりと沈み込む身体を支えられ、そのまま引き摺るように、車の後部座席に担ぎ込まれた。
「おかしいな。出ない」
雅紀に何度電話をかけても、呼出音が響くだけで、留守電メッセージに切り替わってしまう。傍らで様子を見守っていた田澤が、厳しい表情になり、自分のスマホを取り出した途端、呼出音が鳴った。
「おう。俺だ、古島か?」
『やられました。雅紀君ががいないんで探していたら、駐車場の車が消えていて』
「何だと?!目ぇ離すなって言っただろうがっ」
『すみませんっ。トイレに行っただけだと思って……。あっ……これ、雅紀くんのスマホかもしれない』
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