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39.単独行動

 確かにカップルの恋愛過程を観察することに価値はある。なにしろそっち方面の経験値はゼロなのだ。  しかしそれ以上に、今は創作が重要である。  そう結論し、行動を定めた。  雅史は無意味に動かない。ちゃんと考え判断した上での言動だが、そこに至る原理が他人(ひと)と違うようだという自覚はある。だから理解を求めない。 (みんな勝手にやればいい。こっちも勝手にやる)  ずっとそうしてきた。  入寮してから、こいつらと行動を共にしていたのは、単に観察のため。それだけのことだ。  なのに別行動しようとすると、メシだの講義だの風呂だの一緒に行こうと藤枝がうるさい。元々うるさいのに、最近は輪をかけて構ってくる。 (なんなんだ。ツレションする女子高生か。こっちはテンション上がったら書くんだよ。だから部屋にこもるしメシなんて食ってる場合じゃ無いし講義だってさぼるんだよ)  誰かの行動にいちいち「おまえなにやってんだよ」などとツッコんでゲラゲラ笑うなど、もともと無駄な動きが多いうざキャラ、あらゆるものにツッコんで生きているのが藤枝だ。  それは分かっていたことだ。かなり珍しいキャラであり、だからこそ観察していたのだ。そのうざパワーは今まで丹生田に対してより多く向けられていたのだが、それがこっちに向いて初めて実感した。ホントに想像以上に面倒でうるさい。  ほっといてくれ、と言いたい。藤枝は丹生田だけ見てれば良いのだ。頼むからこっちに興味を持つな。 「おい橋田! 講義遅れんぞ!」  というわけで、今朝も騒がしく身支度しながら声がかかった。 (こっちは四時まで書いてたんだ。もっと寝るんだよ。行くなら勝手に行けばいいだろ)  そう思いながら寝たふりを決め込んでいると、気配が近寄ってきた。布団を剥がそうとしたので、無言のまま布団を抱き込んで死守の動きをする。 「おいってば! 起きろよ! メシも食ってねえだろっ!」  しばらく攻防を続けたが、抵抗がなくなったので、防御シールドのように布団の奥深くへ潜る。すると盛大なため息と共に力の抜けた声がした。 「なんだよ、最近おかしいぞおまえ」 「藤枝。先に行くぞ」 「マジ? 待てよ俺も行くよ!」  淡々とした低い声に続いて、バタバタと騒がしい足音と乱暴にドアを閉じるバタンという音で、部屋は静まり、雅史はホッとする。  それでいいのだ。藤枝は丹生田第一のちょろい奴でいい。頼むからこっちに興味を持つな。  そんなことを考えつつ、朝食は食べに行こうと起き上がる。  もうその瞬間から、雅史の脳内は物語の世界で塗りつぶされていた。 (そうだ、ナイフ使いに料理させてみるってのはどうかな。野営の時なんか、得意のナイフで野ウサギなんか仕留めて、めいっぱい自慢しながらさばいて焼くとか。いつもバカにされがちだから、こういう時はものすごく威張るんだ。うん、いいかも)  などと考えながら割り当てられているロッカーを開き、放り込んである昨日脱いだ服を取り出した。  ロッカー下部には引き出しが三段あって、衣類はきちんと畳んでしまうよう、超絶几帳面な丹生田により義務づけられている。しかも一度着た服は引き出しにしまってはいけないのである。丹生田はくどくど言ったりしないが、あのデカい体格と目つきだけで、妙な強制力を持っているのだ。そのうえ藤枝もマメに片付けるのがデフォルトのようで、入寮三ヶ月で既に床が見えない部屋も多い中、213はきれいだった。  ナイフ使いのアイディアを膨らませながら服を着て自動的に食堂に向かう。一限が始まっているこの時間、1年など朝から講義のある学生はいないので空いている。  ご飯とみそ汁をよそって、味海苔、鮭の切り身、野菜サラダを取ってマヨネーズをかけ、トレイを持って席に着く。黙々と箸を動かしながら、頭の中ではナイフ使いの台詞が浮かんでいた。 (こんな流れでいけるかな。やたら自慢げで、ちょっとバカっぽい感じとか、うん、いけそうだな)  サラダに箸を向けると、マヨネーズがビックリするほど大量になっていた。トレイにまで溢れるほどかかっている。 (あれ。かけすぎちゃったか)  とはいえマヨネーズはかなり好きなので問題無い。だが鮭の切り身にもたっぷりマヨネーズがかかっているのに気づき、さすがに眉を寄せた。 (こっちにまでかけちゃうって、いくらなんでも集中しすぎだって僕)  などと思いながら口に運ぶと、マヨネーズと鮭の組み合わせは意外と悪くなかった。そのまま食べ終え、食堂前の自販機で麦茶を買って部屋に戻ると、さっそくナイフ使いのエピソードを書き始める。イイ感じの集中が降ってきている。今日も講義は無視だ。  このところ三日に一度はこんな状態になって、講義にも出ず昼食も抜いてしまう雅史なのであった。  夕方には丹生田が部屋に戻ってきた。  部活、つまり剣道の練習で遅くなることもあるが、週に五日は深夜0時から朝まで玄関脇の保守部屋に詰めるので、夕方には戻ってきて食事と風呂を済ませ、眠る。  その分、朝と昼に練習していると藤枝が言っていた。部屋詰め中も勉強したり筋トレしたりロビーで素振りしたりしているそうだ。くそ真面目というか剣道バカというか、なかなか良いキャラである。  なぜ藤枝がそういうことを知っているかというと、丹生田に付き合って保守部屋に泊まることがあるからだ。一緒に勉強すると言って行くのだが、たいてい寝てしまうらしい。  そんなわけで丹生田がごそごそ風呂の準備をしている物音がする。食堂からまっすぐ風呂へ行くのは、どちらも1階にあるからで、丹生田が「合理的だ」と始めてから、213はみんなそうしている。  基本的に丹生田は静かで邪魔にならないのだが、すぐバタバタと藤枝が帰ってきた。 「あ~、間に合った~、良かった! 一緒に行こうぜ、ホラ橋田も用意しろよ」 「いいよ、先に行って」  ここで無視すると、かえってうるさくなるので一言返してやると「そっか」と気の抜けたような声が返り、ふたりが出て行く。静けさが戻り、雅史は集中する。  やがて石鹸の匂いをさせた二人が帰ってきて、丹生田はすぐにベッドに入った。  丹生田が寝てる間、藤枝は静かなのだが、構ってこないわけではない。 「おまえメシは? 風呂行かねーの?」  などとコソコソ聞いてきたりする。面倒くさいので「行くよ」と答え、キリの良いところで保存して、ラップトップを閉じロッカーへ向かった。 「つうかさ、いつもなにやってんの?」  控えめな声が聞こえ、ちょっと動きを止めて考える。  作業の内容を伝えることは、作家だと知らせることとほぼ同義だろう。そこにメリットはあるか?  (……特にないな)  少し考えて断じ、ではデメリットはあるだろうか、と考える。 (ある)  コレはすぐに結論が出た。客観的な観察者である立場を貫くなら、注目されるような事態はデメリットでしかないだろう。特に藤枝の場合、無駄に顔が広いので一気に話が広がる可能性がある。それは避けるべきだ。  なのでたっぷり間が空いた末に、ゆっくりと振り返り、言った。 「……大事なことだよ」 「そっか。つか……大事って講義より?」 「うん」 「じゃじゃ、メシより?」 「うん」  少なくとも今現在の雅史にとって、世界のなにとも引き替えられないくらい大事なことだ。  藤枝はじっとこっちを見て「……そっか」と呟き、ニカッと笑った。 「んじゃ、しょーがねーな」 「うん」  それだけ答えて食堂へ向かう背中に「そっかぁ~」とため息混じりの声が聞こえた。  十九時過ぎたこの時間、食堂はそこそこ混んでいる。八割くらいが肉メインのB定食を食っているが、雅史がいつもA定を頼むのはメインが魚だからである。肉だと魚の倍くらい咀嚼する必要があり、食べるのに時間がかかるのだ。  食事を終えて風呂へ向かった。やはり風呂も混んでいる。  先日のような失敗をしないよう気をつけつつ、床の真ん中あたりで身体を洗う。昨日髪を洗ったから今日は良いかなと思っていたが、身体を流す前に近くの洗い場が空いたので、なんとなくそこへ向かい、シャワーで身体を流してついでに髪も濡らす。すると頭頂に冷たいものが落ちた。 (ん? なんだろう)  手をやると、泡が立つ。 (誰かシャンプーを奢ってくれたのかな)  手探りでシャンプーを探す手間が省けた。知ってる奴なんだろうと思ったので、「ありがとう」と呟いてそのまま洗髪した。ざっと泡を立ててシャワーで流すのだが、なぜか泡がどんどん立つ。 (う~ん、どんだけ奢ってくれたんだ? 過剰サービスだな)  なんて思いながら目を瞑ってシャワーに打たれていると、(そういえばあいつら洗髪ってするのかな)と思考が跳んだ。  雅史が作った世界での入浴はかなり贅沢なことだという描写はしている。なので登場人物は行水か身体を拭くくらいしかしていない。まして髪を洗うなんて、そうとう贅沢だと定義づけられるのだが、魔法使いとシーフは長髪だ。髪を洗わないと不都合はないだろうか? (今度調べてみなくちゃだな。けど昔のことだから、貴族とか王族の記録はあるだろうけど、一般人の生活について記録は残ってるかな。そういうのってどこで調べれば良いんだろう。ああでも魔法使いがちょちょっと魔法で髪をキレイにするとか、それはアリか。そういう下らない魔法とか研究してそうだもんな。それでシーフがズルイと騒ぐとか、うん、そういうの入れてもいいかも)  そんな風に考えは続き、雅史は頭部をシャワーで流し続け、泡が途切れないことにも意識が向かなかったのであった。  そして当然、背後でチッと舌打ちの音が立ったことにも気づくことは無かった。

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