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41.正しい態度

 喫茶店のすぐ横、ビルのすきまに押し込まれる間にも、なるほどなるほどと思考が進み、軽い興奮状態になっていた雅史の脳は高速回する。そして自動的にさまざまな方向へ展開された思考の中で気づいたことがあった。  みんなと一緒のとき、食堂が混んでるとき、風呂でも知り合いと一緒のとき、おかしなことは起こってない。 (つまりひとりでいるときを狙っていた?)  そう考えればものすごく納得がいく状況だ。なのになぜ気づかなかった。  自由な発想が無かった、考え方が(かたく)なだったとしか思えず、悔しさを噛みしめていると、そいつは出口に立ち、逃げ道を塞いでニヤニヤした。  雅史の顔を見て何を思ったか「ああ~分かったぜ!」ウンウンと何度も頷きながら腕を組み、笑みを深めるのを、雅史はじっと見た。確かに見たことはある顔だと思う。 「平気なフリしてただけで、おまえ実はビビったんだろ」  見覚えはあるのだ。でも誰だったか、どこで見たのかが思い出せない。おのずと眉が寄った。 「だから寮食パスして、あんな店でメシ食ってんだろうがよ? どうだ当たりだろ?」 「え」  ビックリするような誤解である。  間違いを指摘しようとしてハッとした雅史は、唇を噛みしめて耐えた。  言うのは簡単だが、これが自由な発想というものかも知れないと思えば、そんな風に進む思考が興味深かった。次はなにを言うのだろう、わくわくする。話の腰を折ってはいけない。  じっと見つめたが、相手はニヤニヤするばかりでくちを開こうとしない。どうやら雅史の返事を待っているらしい。  雅史は真剣に考えた。 (イジメ被害者として、どんな態度が正しいのだろう)  これは難問だ。しかし間違うわけにはいかない。滅多に無い機会なのだ。この先どうなるのか、どうしても知りたい。眉間に縦皺を刻んで悩むうち、雅史はだんだん緊張してきた。  いつもじっくり考えて行動を決めている。こんな風に即時決断することはあまり無い。しかし黙っているのも良くないようだ。なにか言わねばと焦って、くちから飛び出たのは 「なにか希望があるんですか」  という淡々とした声だった。 「言ってくれれば回答でき……」 「希望だぁ!?」  しかし怒鳴られた。 「なめてんのか、あぁ?」 「済みません」  素直に頭を下げて謝る。あやまちを認めざるを得ない。 (だって正解が分からなかったんだ)  内心で自己弁護しつつ、ちょっとうちひしがれた気分になる。 「そうだよ、はじめっからそういう風に素直になりゃいいんだよ」  と満足げな声がした。これが求められていた態度だったのだと知ってホッとして目だけを上げた。 「つうかよ、カネが続かねえだろ? 毎日外でメシ食うなんてよ」 「…………」  あいにく毎日外食くらいで困らない程度の収入はある。最初の本はそこそこ売れたし、二冊目も増刷が決まった。連載中だから定期収入もある。  しかしそう答えるのは正解ではないだろう。また間違ってはいけない。雅史は頭を下げたまま、真剣になにを言うのが正解か悩み始めた。 「まあ安心しろや」  声が降ったので頭を上げると、満足げな笑みがこっちをじっと見ていた。 「おまえの出方次第によっちゃあ、もっと楽になんだけどな?」  なんだろう。大きく目を見開き、わくわくしながら次の言葉を待つ。 「ちょいっと小遣いくれりゃあな、おとなしくしててやんよ」 「え」  小遣い? ……て、そうか、カネか!  今度はすぐ思いついた。そうだ、こういうふうに察することが大切なのだ。すぐに財布を取り出そうとして、待てよ、と考える。  今カネを出したらすぐに解放され、店に戻って打ち込みができるかもしれない。だがそれではこのおいしいネタも終わりになる。 (どうするかな)  じっと相手を見つめながら、なにがベストか、雅史は思考を巡らせるのだった。   *  寮食堂へ行くと、姉崎のわざとらしく高めた声が聞こえた。 「え~? それってどういう論理なんですかぁ~?」  追加の天ぷらとかのレジのところで、ビックリした、みたいな顔をした姉崎がオーバーアクション気味に手を振ったりのけぞったりしながら言っているのがすぐ目に入った。 「三年生なんだからこっちに寄越せって、意味分かんないなあ~」 「おま、黙れよっ」  思いっきり注目を浴びている自覚は、もちろんあるんだろう。だってめっちゃ笑顔だし。 「僕が先に取ったのになあ~。ねえマスミさん、ユウコさんもマミさんもそんな規則知ってる? 三年生には譲るのが当然とかさ。僕知らなかったんだけど」 「知らないねえ」 「自治会で決まったのかい?」  おばちゃんたちがニコニコ言い、先輩は決まり悪そうに睨んで、そこから去った。 「ねえマスミさん? 自治会じゃなくて執行部だよ~。ここで働いて十五年なんでしょ? 間違えたらおっかない先輩たちに怒られちゃうよ?」 「アタシに勝てる学生なんていると思うかい?」  カラカラ笑うおばちゃんに、「だよね~」なんて声を返してる。  ほっといてふたりでB定を取り、顔見知りの一年が集まってるテーブルから「こっち来いよ」と誘われたので、丹生田ともどもトレイを置いた。  今日は当番じゃない丹生田が、ゆっくり部活やってから帰ってきた為この時間だが、いつもは食堂が開くと同時くらいの時間に来るので、みんなと一緒に晩飯食うのは久しぶりだった。 「アイツもここに来んの?」  おばちゃんに愛想振ってる姉崎を指して聞くと、みんなそれぞれ頷いた。 「呼ばないでも来るよ、たぶん」 「おまえらがいるからな」 「なんだよそれ」 「姉崎っておまえらと一緒に座りたがるんだよ。レアキャラだからじゃね?」  確かに、夜中保守部屋に詰める丹生田は、この時間寝てる。俺も一緒に部屋にいる。 「つか姉崎もレアキャラじゃん」 「バイトだかで寮食を食べない日多いしな」 「外泊も多いじゃん?」  へえ、そうなんだ、と少し意外に思いながら、豚の生姜焼きを囓ってメシをほおばる。 「つか橋田呼んで断られてたな」 「それでも一緒に座ってるけどな」 「ああ、勝手に座っちまうんだろ」 「橋田けっこうきついのに笑ってたな」 「変に根性あるよな~、姉崎って」  なんてみんな笑いながら食ってると、案の定ニコニコの姉崎がやってくる。 「やっほ~」 「だからなんだその挨拶」  ツッコまれてもまったく気にせず、丹生田の横にB定とハンバーグのっけたカレーのトレイを置いて座った姉崎は、すぐに食い始める。いつもながらめっちゃ食うの早い。なに焦ってんだろコイツ。とか思ったが言わずに、違うことを聞いた。 「つかなに騒いでたの?」 「ハンバーグ、これで最後だったんだよ。そしたら偉そうによこせってあの先輩が言うからさあ、なんで? って聞いたら『俺は三年だぞ』なんて分かんないこと言うんだもん。どういう意味ですかあ? って聞いてたわけ」 「おまえなあ……」  呆れた。だってカレーの上にはハンバーグが三つ乗っているのだ。 「一個くらい分けてやれよ」 「命令されるの嫌いなんだよ。お願いしたら分けてあげても良かったんだけどね」  ニッと言って豚の生姜焼きをキャベツごとガバッとくちに押し込み、ご飯と一緒にもぐもぐする。 「おまえ心臓つえーな」 「つかケチか」  色々いけ好かないが姉崎はケチではない。つまりあの三年が感じ悪かったってことか。 「つうか、先輩が言ったら一個しか無くても俺は譲るよ?」 「俺も」 「まあなあ、俺もなあ」  数回くちを動かしただけでごっくんと呑み込み「え~、なんで?」と聞いて水で流し込んでる。ぜってー胃に悪いと思いながら、黙々と自分のB定に集中する。 「だって、後でなんかあったらイヤだろ」 「うん、とりあえず言う通りにしとくか、て感じ」  みんなウンウン頷いている。  姉崎は「ふうん」とか言ってがつがつハンバーグカレーを食い進めていたが、 「え、みんな、そんななの?」  若干ビックリして、俺は箸を止めた。 「おまえ違うの?」  問われて「いや、じゃなくて」焦ったような声が出る。 「そんな無茶言われたことないし」 「はあ? 無いのかよ」  コクコクと頷く。 「マジかー」 「逆にビックリだわ」 「なんだろ、うわー、引くわー」  くちぐちに言われ、「えー……」とか戸惑ってると「男ばかりの縦社会だからな」丹生田がぼそりと言ってみそ汁をずずっとすすった。 「そういう話はよくある。とりあえず下手に出ておくのは、ある意味賢い」 「あ~、そっか。丹生田ばっちり体育会系だもんな」 「やっぱあった? 先輩に従え的なこと」  丹生田はくっきりと頷いた。 「おまえもやられたんだー」 「剣道の場合は」  みんなめっきり注目する。いつも黙ってる丹生田だが、しゃべり始めると揺らぎ無い低い声は耳を引くのだ。 「試合で結果を出せば無くなる」  つうことは結果出す前はあったのかあ。そっかあ丹生田も色々あったんだなあ。  なんて思いながら黙々とメシをかっ込む丹生田をチラッと見る。みんなもチラチラ見てて、テーブルが静まった。 「ていうかさあ、知ってる?」  その静けさを破ったのは姉崎だ。最後に食い始めたくせに誰よりも早く食い終え、コーヒを買って戻ってきたのだ。みんなにコーヒーを配りつつ、丹生田の方を見てる。 「橋田がいつも、なにやってるか。ねえ健朗?」 「いいや」  丹生田が淡々と答えた。こっちをチラとも見ない姉崎のなんか引っかかる言い方にイラッとして、敵意を隠さない声を出した。 「なんだよ、おまえ知ってんのかよ」  やはり丹生田の方を見ている目が細まった。 「知り合いの喫茶店のマスターがね、面白い子が最近来るんだって言っててさ。なにしろ来たら閉店まで一日中ずっといるんだって」 「…………」  丹生田が目を上げると、それを見返す姉崎の笑みが、嬉しそうに深まって、今までチラともこっちに向かなかった姉崎の笑み細めた目が、こっち見た。 「橋田の顔見た最後っていつ?」 「え」  いきなりの質問に慌て気味になりつつ、 「……つか朝、講義サボるつってたけど顔見てねえよ。ベッドから出ねえし」  思わず素直に答えてた。 「ふうん。じゃあ、いるかな」  そう呟いた姉崎が笑みを深め、 「どこにだよ」 「つか、もったいぶってねえで言えよ」  同じテーブルからひそひそツッコむ声が向けられた。  けど姉崎は意味深に、ふふふ、と笑い「ここじゃあねえ」とか言って食堂内にぐるっと視線を巡らせる。  つられてキョロキョロする。みんなも目を上げてる。  一年はわりと早い時間に食う奴が多いから、二十時を少し過ぎた食堂にいるほとんどが上級生だ。するとみんな、なんか意味ありげに視線を交わして口をつぐみ、食事に集中し始めたりするから、わけ分かってないのに誰もなにも言わないってどゆこと? なんつって焦る。 「なんだよ? どうしたんだよ、おまえら」  つられてひそっと聞いたのに、哲学科の|仙波《せんば》が「黙れ」と低めた声で言っただけで、みんな黙々と食ってる。  ちょちょちょ、なんだよみんな。分かってんなら教えろよ、なんでそんなひそひそしてんだよ?  イライラしてきて、「おい、なんだよおまえらっ」声を上げると腕を軽くつかまれた。力強い丹生田の手だ。  え、と目をやるとくちを真一文字に引き結んだ丹生田がひとつ頷く。みんなもちらちら見て(やめとけ)と無言で牽制してくる。さすがに空気を察し、仕方なく口をつぐんでメシ食ったけど、やっぱり不満つか、どゆこと? てか分かってンなら教えろよ~~、俺だって知りてーつの! 取り残されてる感ぱねえし!  悶々としながら食事を終え、当たり障りない会話をしながら外出するみんなを追って、靴箱に風呂道具を置いて靴を履く丹生田と同じようにして、かなりイライラしながら外に出た。

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