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43.演説at 213

 213には一年生ばかり十二人が集まっていた。  帰ってきたとき玄関近くにいた国文の山家(やまや)に誰かが声をかけ、いつのまにか顔を出した医学部の(しめぎ)、工学部の武田と森本、そして哲学科の仙波(せんば)、経済の小松と法学部の瀬戸といった面々が突っ立って橋田のベッド周りに突っ立ってるのだが、当の橋田はベッドではなく、ロッカーに頭を突っ込んでいた。  ごそごそと、なにやら探っているその背中を、藤枝と丹生田も自分のデスクに座って見ている。いつも当然のようにここに来る姉崎も、既に専用と化している丸椅子にちゃっかり座って、隣で立ってる柔道部の峰と効率的な筋トレについて話してる。この椅子は姉崎が自分で持ち込んできたもので、藤枝のロッカー前に置いてあるのだ。何度排除しても持ってくるので、根負けしたみたいで、213に常備になっちまってるのは、みんな知ってる。  そして他の連中がぽそぽそと語り合っていたのは、喫茶店で知った事についてだった。 「なんにしてもカネ出しちゃダメっしょ」 「まあなあ、そこはデッドラインつうか」 「てかさあ、んな大金ゲットしてたら、そいつやめねーだろ」 「ん~、累計で三十万近く手に入れてるわけだしなあ」 「おいし過ぎるもん」  そんな中、ロッカーから探し出したらしきものを両手に抱えた橋田が、部屋の中立ってる連中を淡々とかき分けて、ベッドの上にドサッと置いた。みんないったんくちを閉じ注目する。 「……本?」 「同じのばっかだな」 「ラノベじゃーん」  アニメみたいな同じ絵の表紙が十冊ほどあった。おもむろに一冊手にとったのは森本。 「俺これ読んだ」  ぼそっと呟いたけど、みんな「ああ、好きそうだな~」なんて流した。  森本はおとなしい、つか声小さくて、いつもゲームばっかしてる奴だし、マンガとかアニメとか大好きなの知ってるから、なのだが……しかし。 「────どうだった?」  森本の腕をつかんで睨むように見上げ、噛みつくように言った橋田の方が、みんな的に違和感バリバリだった。やけに真剣な顔をみんな口をつぐんで注目だ。そんでちょい引き気味になりつつ 「いや……面白かった、けど」  と答えた森本に、 「どんなところが?」  橋田がさらに熱の上がった視線で追撃してるのも、めっちゃ違和感である。 「えと……このひと、デビュー作読んで、イイなって思って追っかけてたんだけど、どんどん良くなってて……今の連載も超期待して、る……ん、だけど……」  なんて答える森本の声が尻すぼみになったのも当然。みんなもポカンと見守っちまってるのは、橋田の表情が、想像を絶してたからだ。  なんと、ぱああ、と音が聞こえてきそうなほどの、超嬉しそうな笑顔になってるのだ。まるで運動会で一等賞になった小学生みたいな、無邪気で嬉しそうな、キラッキラで自慢げな、そんな笑顔。  いつも淡々として冷静で、ときどき皮肉でなにげに辛辣な橋田。そのイメージを根底から覆すその笑顔が意外過ぎて、みんな、姉崎ですら、まん丸のビックリ目になってる。 「お……えと、なに、おまえも好きなの」  なんとかそう言った森本に、きらきら笑顔で首を振った橋田から、いっそ晴れやかなほどの弾んだ声が返った。 「僕が書いたんだ」 「え……? 書いた……って……?」  間抜けな声を出す森本に、 「だから、これだよ」  橋田は本を大切そうに撫でながら、苛立たしげに言い返してる。 「え、『蒼狼の呼び声』? え? 橋田、が?」 「そう言ってるじゃない」 「……え? じゃ『央地(なかち) 野架(のか)』て…………おまえ、なの?」  恐る恐る聞いてきた森本に頷き返した橋田は、たちまち渋い顔になった。改めて言われると恥ずかしいペンネームだと思ったのだが、そんなことは当然みんなに伝わらない。 「ええー! んじゃおまえって本とか書いてる人なの!?」  思わず、という感じで大声出した藤枝にハッとしたように、橋田はいつもの無表情に戻った。内心では迂闊さに歯噛みしたいような気分だった。 (こんな身近に読者がいたなんて、しかも面白いと思ってくれていたなんて)  嬉しすぎて、つい我を忘れてしまった。だが藤枝には隠しておこうと考えていたのを思い出し、失敗を悟っていつも通り、淡々とした表情に戻ったのだが、いつもの顔に戻ったことは、くるくる変わる表情を呆然と見ているのみだったみんなの平常心を取り戻させた。 「ええっ」 「うっそ」 「嘘だろ」 「うわうわうわ」 「マジで」  くちぐちに声を上げる連中を遮るように「待てよ」眉寄せて呟いたのは峰だ。 「その野郎は知ってて橋田を狙ったのか」  姉崎も嬉しそうに「うん、問題はそこだね」頷いて、ニコニコ聞いた。 「ねえ、そいつに教えたの?」  橋田は首を振った。 (バカじゃないの。そんなの教えるわけ無いよ。今のはちょっと迂闊だっただけで、おしゃべりなマスターにだって、黙っててって頼んだんだ) 「なるほどね。じゃあなんで目をつけたかな」 「誰か分からんじゃ、確認しようが無いな」 「でもまあ、方法はあるよ。そいつ探してカネ取り返したいな」  峰と姉崎が言葉を交わし、標が目を伏せて考え込む横で、丹生田が低く言った。 「そうか。……おまえは仕事をしていたのか」  橋田が目を上げると、鋭い目がじっと見つめていて、きまりわるく目を逸らした。丹生田のこの目はなんでも知ってるみたいで、苦手なのだ。  だが静まった中、「なんだよ~」と呆れたような声を上げたのは空気を解さない藤枝だ。 「そういうコトならちゃんと言えよ」 「は?」 (おまえなんかに言ったら、速攻広まるに決まってるだろ。なんで分からないかな)  そんな思いで睨んでるのに、爽やかなくらいのニカッとした笑顔だ。 「そっかそっか、うん! あんときもこんときも、それであんなになってたんだなぁ、超納得した! あ~スッキリした!」  降り積もっていた疑問や鬱憤が一気に解消できたようで、藤枝は一気に上機嫌になったのだが、橋田には理解出来ないようで、珍しく眉を寄せてる。 「あの喫茶店のおっさんが言ってた約束って、これだったのかよ? つかおまえってスゲエんだな! 大学と仕事と両立してたなんてさ!」  あくまで脳天気な声と顔。みんなため息ついたり苦笑したり、いつだって藤枝の周りはこんな空気になりがちだ。 「マジ早く言えよ~。めっちゃイライラしたっつの! もうさあ、そんなだって知ってたら、ぜってー協力したのにさあ! 内緒なんだろ? うんうん分かった、ぜってー秘密にする! つかおまえ困ってるなら言えよ! 大丈夫なのか?」  大丈夫に決まっている。これは単なる取材なのだ。しかし藤枝が本気で感心してるのも分かった。  良くも悪くも単純で、腹芸なんてワザは一つも使えない。見たまんま言ったまんま、それが藤枝だと、雅史は知っているのだ。だから、非常に意外だが、これも本気で言ってるのだと、そう思うしかない。 「おまえらも言うなよ! 橋田が内緒だつってんだから!」  いったん沸いた熱もおさまったみんなは、あいまいな顔で目を逸らしたりしてる。 「言うなよ! ぜってー秘密だかんな!」 「いや、でもよ、んなおいしいネタ……」 「言うなよバッカ!」  控えめに声を出した小松の声を、たたき切るように藤枝が怒鳴る。 「バレたらぜってー犯人探すぞ! 俺が追っかけんぞ! ずーっと言うぞ!」  ……それは面倒くさそうだ、と、その場にいた全員が思い、うんざりしたような顔でバラバラに頷いた。満足げな笑みで見回しつつ「そうだよ、それでいんだよ」なんて藤枝は上機嫌だ。となりで丹生田も頷いて、姉崎がニコニコ言った。 「まあ、安心しなよ。ここにいる全員、くち滑らせたら面倒そうだって思ったよ」  それは伝わったらしく、こくんと頷いた橋田に、姉崎はニッコリ頷いてる。 「それより問題は、だ」  峰が眉寄せ呟いた。 「これは恐喝だろ。イタズラの範疇を超えている」 「だな、他にもそういう被害受けてる奴いるかも」  瀬戸も眉間に薄い皺を寄せている。 「暴力もな」 「あるかも」 「ん~、そうなると、かなりヤバイよな~」 「つってもどうする? 誰がどんな被害か分からないで、無闇にコト荒立ててもなあ」 「う~ん、考えたらここって一年に優しくないよなあ」  森本、山家、仙波、武田も声を低めて考え込んだ。  賢風寮の自治会役員は二年以上から選ばれる。一年には各部のリクルートの声がかかっているが、全員かは不明で、それぞれ話を受けるか否かも分からない。さらに一年は問答無用に掃除当番を課せられているが、二年以上は共有部分の掃除をしないのだ。オリエンテーションで言われたから従っているが、疑問がゼロだったわけでは無い。 「We have to move formally.(正式に提議する必要があるね)」  目を細めた姉崎が、くちもとに笑みを湛えながら呟き、それまで黙っていた標が横目で見ながら言った。 「Formaly? How?(正式に? どうやって?)」 「a-ha, one way………」 「おいっ!」  そのまま英語で進みそうな空気に藤枝がツッコむ。 「なにカッコつけてんだよっ! 普通に話せよ!」 「え~、今のくらい分かるでしょ」 「こっから分かんなくなりそうな予感満々なんだよっ!」  そんな会話に、瀬戸が力抜けた声で言った。 「つまり、正式に発議しようってんだろ?」 「Exactly(イグザクトリ)!(その通り!)」  姉崎に指さしながら言われ「だから英語やめろって」と瀬戸が手を振る。 「でもどうやるんだよ?」  山家が呟き、皆ため息混じりに頷いた。  オリエンテーション以降、各部の部会以外で一年生が上の学年と話すこともほとんど無いのだ。 「なんかあるかも」  藤枝が寮則の冊子を取り出して調べたが、一年どころか一般の寮生が意見を言う場、全体的な話し合いの場というのは無いようだということが分かっただけだった。  自治会へなにか提案、発議するには、自治会役員へ申し出ることで会議の議題に乗ることがある、とは書いてあったけれど、これじゃあなあ、と心許ない感覚でみんな目を見合わせる中、ただ藤枝だけがニコニコと声を上げた。 「おっし! んじゃ、まず調査しようぜ!」  みんなの注目を集めると、両手であおるような手振りをする。 「手分けして一年同士で聞き込んでさ、レポート作るんだよ。んで実際こんな状態だよってのを知らせてさ、なんとかしてくれって頼む!」 「誰に」 「風橋さんとかさ、自治会の人にさ」  藤枝は上機嫌な声で続けたが、大げさに肩を動かしてため息を吐いた姉崎が「バカじゃない?」と半笑いで言った。 「はあ? おまえはいつもいつも……いい加減にしろよっ!」  キレ気味に吠える藤枝をチラッと見た姉崎は、立ち上がって両手を広げ、少し笑んで 「じゃあ聞くけど」  声を高め、皆を見回す。 「僕らが考えるべきなのは、なんだと思う? 先輩に気に入られる方法かな?」  眉を片方だけ上げ唇の片側だけ少し上げた笑みは、どう見ても友好的では無く、藤枝はムッとした顔になったし、みんなも微妙な顔になってる。 「お願いします、なんて言って? 素直な一年生だ、可愛い可愛い、なんて頭撫でてもらう? そんなのが望み? Are you kidding? NO!」  興奮すると英語が出る習性らしい姉崎は目を閉じ胸に手を当て、芝居がかった素振りで首を振る。 「Never……違うよね?」  目を開いて全員を見回しつつ声を張った。 「僕は違う、全然違う。みんなだってそうだろ? 僕らの希望はそんなことじゃない。たかだか一年遅く入学したってだけでこの待遇、おかしいよね? そう思うでしょ」  姉崎は言葉を切り、順に全員の目を見る。みんな引きこまれているのを確認し、満足げに笑みを深めた。 「つまり僕らが考えるべきは、そこじゃない。どうすれば現状を変えられるか、ここでしょ」 「現状?」 「そう。だって一年は黙って言うこと聞いてろ、的な空気があるわけじゃない。みんなむかつかないの?」  確かに、とみんな目線を交わしつつ、あいまいに頷く。 「従うのがある意味賢いってのも分かるよ? 僕は好きじゃないけど、そういうスタンスを否定はしない。でも理不尽な扱いに甘んじて従うなんて、僕は耐えたくない。まして犯罪行為を放置なんて、絶対に嫌なんだけど」 「けど、じゃあどうするってんだよ」  悔しげな口調の藤枝に、瀬戸も同調した。 「そうだよ。なんか良いやり方でもあるってのかよ」  姉崎は「そりゃあね」と言いつつ肩をすくめ、両手を広げた。 「僕だってまったく無策ならこんなこと言わないよ。まあつまり、……僕らにもアドバンテージはあるってこと」 「そんなんあるか?」  武田が聞くとニッと笑って姉崎は続けた。 「ていうかね、やるなら一年全員でやらないと効果は薄いんだ。ねえ、この寮で、一年が一番人数多いんだよ? これを利用しない手は無いよね」 「数は力、てことか」  峰が呟くと、姉崎は嬉しそうに「Exactly(イグザクトリ)!」と声を上げた。

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