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45.いじめる奴
その夜、幅口 は同室のふたりを引き連れて居酒屋に来ていた。
「まあ食え食え、飲め飲め」
偉そうに言いながらジョッキを傾ける幅口に「ゴチになりまーす」なんて明るい声で返しつつ、 チーズつくねを囓った椎名が、鼻の頭に汗をかきつつ眼鏡を押し上げ、「つうか」ニヤニヤとレモンチューハイを飲む。
「珍しいこともあるもんだ、急に奢るなんつってさあ。カネねえ口癖のくせに」
横で、坂口はガリガリに痩せた手で唐揚げをくちに放り込み、ビールのジョッキへ手を伸ばした。
「そうだよ、ずいぶん景気良いじゃねーかよ」
この三人は、皆それぞれの理由でいつもカネが無いのだ。
「割の良いバイトみっけたとか?」
聞いた椎名に、幅口はニヤッと笑うのみだ。
「なんだよ、教えろよ」
「んな良いバイトなら俺もやる」
幅口はニイッと歯をむき出すように笑った。
「まあ、ちょっと、イイ金づる見つけた、つうか」
「……バイトじゃ無くて?」
片眉上げた坂口に、ヘヘッと笑った幅口が声を低める。
「絶対誰にも言うなよ?」
ひそっと言うのに、ふたりは頷いて身を乗り出した。
「俺らの担当の、生意気な一年」
自慢げにニヤニヤ笑う幅口が言うのに、ふたりは目を丸くした。
「えっ、あのデカくて迫力ある?」
「マジかよ、度胸あるな」
幅口はニヤニヤしたまま「ちげーって」手を振った。
「デカいふたりじゃなくて、だからあ、いただろもうひとり」
「ああ~、はいはい」
「いたな、そういや、ちっちぇーメガネ」
入寮オリエンテーションの前に、担当の一年の部屋へ行くと、デカくて生意気なイケメンにすごまれ、もっとデカくてガタイ良い、あきらか保守に入りそうなのもいて、三人はビビりまくって部屋に戻り「俺らハズレだな」とぼやいた。今年は一年に好き放題言えると思っていたのにアテが外れた感じで、がっかりしたのだ。
去年、三人は別々の部屋だったが、それぞれ担当の二年にさんざんコキ使われたし、無茶も言われた。特に幅口は、定期的にカネを巻き上げられていた。
夜でも突然部屋に来て連れ出され、髪を引っ張ったり、身体や顔をつねられたり、最初はそんな感じでカネをせびられた。だが幅口が「もうカネ無いです」と抵抗すると、足を引っかけて転ばせられたり、くちの中に虫を入れられたり、目にコンパスの先を突き刺そうとしたりするようになった。
死ぬより辛いことをされているのに、殴るようなことはしないので身体に傷はつかない。風呂でも部屋でも誰にもバレない、巧妙なやりくちだった。
「俺らが担当だろ?相談なら俺らにしろよ」
なんて言われ、二年全員がグルに見えて、同室にも言うなと念を押されてたから、幅口は誰にも言えず、ひたすら孤独だった。おっかなくて、その先輩を見ると、震えが身体の芯から昇ってくるようになり、なにもされなくても自動的にカネを渡すようになっていた。誰にも言っていないが、最終的に借金してカネを渡していた。幅口がカネ無いのは、その借金を今も返済しているからだ。
その二年はなぜか冬になる前に寮を出て行って、それ以降、接点が無くなり、カネをせびられることも無くなってホッとした。幅口はその先輩の学部も知らなかったので、今何をしてるか知らないし、知りたいとも思わない。もう二度と顔も見たくない。
ともかく、アテが外れた三人は、それっきり担当の部屋のことは忘れることにした。
しかし幅口はもうひとり小さい奴がいたのを覚えていた。そいつが単独行動しているのを見かけ、こいつなら言うこと聞くかと声をかけたのに、ガン無視され、めっちゃむかついた。しばらくして一人でいるのをちょくちょく見かけるようになり、その都度ちょこちょこイジったが、やっぱりガン無視。自分より小さくて細いくせに偉そうな一年に、やたら腹立った。
だから流行ってねえ喫茶店に入ったのを見かけたときは、無視すんなと言いたいだけだった。だがちょっと脅したら怯えたような顔をしたからイケると思った。
「超ビビりなんだよ。言っただけカネ出すし、超ちょろいつうか」
「へえ~」
「つか、どんくらい?」
今まで巻き上げた金額を言うと、ふたりは目を丸くした。彼ら三人の生活費二ヶ月分を合わせた金額より多い。
「なんでんなカネ出せるんだ?」
「知らねえよ。カネ余ってんだろ」
「つうか、んな奴が、うちの寮にいるってなんで?」
賢風寮は今時あり得ないくらい寮費が安い。
その分設備は古いし、部屋はがさいし、当番だの執行部だの面倒多いし、女子はいないし、イイトコ無い。なので気の利く奴は二年に上がるまでに金貯めて部屋を借りたり、他の寮に移ったりする。それでも安い寮費に負けて残るのもいて、この三人はそのパターンだった。この寮に居座る奴はそういうのが多い。
だがそうじゃなく四年までここにいる奴もいる。
そういう奴はなにが楽しいんだか執行部で仕事をしてたりする。OBとかとも仲良くて、つまりそういうのは────
「……ちょー待て。もしかして風聯会 系なんじゃね?」
坂口がぼそっと漏らした声に、幅口は声を呑んだ。そう、そういうのは────OB会である風聯会の関連で寮に来た奴だったりするのだ。
(ありうる。けど、だとしたら────)
親や兄弟がOB会のメンバーだという理由で入寮した奴は、たいてい四年までいやがる。そしてそういうのは、執行部と繋がりがある場合が多い。たとえば保守や監察で部長とかやるのはたいていソレ系だと聞いている。つまり寮で実権持つような奴ってことだ。
「あ~……」
幅口は背中に汗が滲むのを感じた。
「つかヤバくね? 一番デカい奴、ここんトコ夜の保守部屋にいるだろ」
そうなのだ。あのデカいのはいつも玄関横の保守部屋にいて、あの目でじろりと夜の出入りを睨んでいるのだ。つまり保守の中でそれなりな立場にいるってのは明白。もし同室のよしみでメガネがデカいのに相談とかしたら……
「や、べー、かな」
汗は背中だけでなく、脇の下やこめかみからも流れ始めた。
「どーすんだよ、おまえ」
「なんとかしろよ。俺ら知らねーからな」
急に冷たくなったふたりに救いを求める目を向けたが、ドリンクを口に運びながら目を合わせようとしないので、幅口は絶望的な気持ちになった。
夕食と風呂を終えた213にノックが響き、「誰だよ」いち早く腰を上げてドアを開きに行った藤枝は、不審げに片眉を上げていた。このドアがノックされるなんてまず無いからだ。たいてい勝手にどやどや入り込んでくるのだが、敢えてノックしてくるのはあまり仲良くない先輩とかだけ。
ドアを開いた藤枝の背中から「なんスか」思いっきり挑戦的な声が出でる。基本ヘラッと機嫌良いのが藤枝のデフォルトなのだ。丹生田も雅史も手を止めてドアを見た。
「いやあの……。メガネの奴、いるか」
「だから、なんスか」
「ちょっと、話を……」
どうやら自分が呼ばれているらしいと思い、雅史が腰を上げようとすると、丹生田が片手を上げて制したので座り直す。
「だから、なんなんスかって聞いてるんスけど」
「いや、だから、あの、メガネの奴に」
焦りを滲ませる声が続いていたが、「藤枝、入ってもらえ」丹生田が低く言うと、チッと舌打ちの音が聞こえ、身体をずらす。
なんとなくそっちを見ていた雅史は「あ」と声を漏らした。入ってきたのは、喫茶店で金を渡している先輩だったのだ。
「あ~、ちょっと顔貸してもらえねーかな」
「はあ?」
黙って見返した雅史では無く、先輩のすぐ後ろに張り付くように立っている藤枝が声を高めた。
「なんでスか。ココで話せば良いじゃないスか」
言いながら横に移動し、思いっきり下目遣いで言っている。身長差が十センチ以上あるので、先輩が見上げて、かなり怖がってるように見える。
(なるほど。藤枝って脳天気に笑ってるだけじゃなくて、こんな反応もするわけだ。面白い)
雅史が藤枝の表情を興味深く見てると、先輩は挙動不審気味に藤枝と丹生田を見てから雅史をまっすぐ見つめてくる。
「ダメかな、ちょっと二人で話をしたいんだ」
(え、今からカネ? さすがにこの時間から金下ろしに行くのは面倒だなあ)
なんて思いつつじっと見返す。横から藤枝が「だ~か~ら」と苛立った声を出した。
「なんで二人になんなきゃなんスか。俺らいちゃマズイ話ってことスか」
「え、いやそれは」
「幅口 さん、橋田はもう、カネを出しません」
丹生田がじっと見つめながら低く言った。
「えっ」
先輩が妙に高い音程で声を出し、目に見えて汗を拭きだしてる。
(なんで丹生田がカネ取ったのこの人だって知ってるんだ? しかも名前まで)
疑問を無表情に隠し、雅史は自分の隣に立っている丹生田を見上げていた。いつもながら目に力のある無表情。
(────わかりにくい)
自分を棚に上げて思いつつ、視線を先輩、幅口へ移す。
雅史はもちろん、二回顔を出しただけの先輩など覚えていなかった。しかし丹生田と藤枝を見ていて、この人が213に来たことがあったのだと、顔を見たことがあるように思ったのは、そのせいだったのだと思い至る。なるほど、色々分かってきた。
すると反対側の横から「ネタ上がってるンスよ」と藤枝が言ったので(ヤクザか)と内心でツッコみつつ、さらに汗を噴き出させる表情を観察した。
焦り、怯え、そんなものが読み取れる気がして、これを文章で表現するなら、どんな言葉がいいか考えていたのだ。
(目が泳いでる、いや眼球が揺れてる、かな。くちもとが半開きで唇が震えてる、眉尻が下がって……ううん、くどいな。もっと簡潔に表したいな。いや、それよりこの機会をどう活かすべきか考えよう。今まで想像でしか無かった心情の流れを取材できるんだ。リアルなところを聞いてみたい)
もちろん幅口にそんな考えは伝わらない。ただ自分を見つめる強い視線にビビった。
(くそ、コイツ今までビビってカネ出してたくせに! やっぱデカい同室が一緒だからこんな強気なのか?)
同室のふたりが、誰より強い意志で行動する橋田に手を焼いているなど、ましてほっとくしか無いと思っていることなど、想像の外である。だから次に雅史が言った内容に仰天した。
「すみません、ここまでの経緯を聞きたいんですけど、いいですか」
「は? 経緯ってなんの?」
声をひっくり返した幅口に、あくまで無表情に、淡々と、雅史は言った。
「まず、なぜなのか、なにを思って行動に移ったのか、そこがどうしても分からなかったんだ。教えて下さい」
意味不明さに目を白黒させる幅口を、デカいふたりは同情のまなざしで見た。橋田がこんな風に疑問を呈した以上、納得するまで解放されないことは明白。長くなるなと感じ、睡眠を優先させたい丹生田は拓海へ目を向けた。頷いて部屋を飛び出したのを認め、幅口の肩をガシッとつかむ。
「先輩、場所を変えましょう。橋田もこいよ」
ビビって汗だくな幅口は、とにかく必死に何度も首を縦に振り、後輩二人に連れられて213を出たのであった。
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