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46.実態

 健朗が209、姉崎の部屋へ幅口と橋田を連れて行くと、すでに藤枝が人数を集めて待機していた。  現在はここが作戦本部だ。  早く眠りたい丹生田を気遣えと藤枝が主張し、同室の結城と浦山が計画に乗ったのでオープンにできるようになった姉崎が「こっちでやる?」と言ったのだ。二十四時間ネット経由でテレビを見られると誘われた標も、ほぼここにいる。  睡眠を取るため、すぐ213へ戻った丹生田以外の十一名に囲まれ、ビビりまくって汗びっしょりになっている幅口へ、淡々と質問する橋田はメモ帳片手である。  そうして判明したのは、幅口が一年の頃、日常的にカツアゲされていたということだった。その話がかなり陰惨で、くちにハエやアリを入れた後、無理矢理くちを閉じられて、といったあたりではみんな顔をしかめた。淡々と質問を終えた橋田も眉を寄せている。 「ふうん」  だがそんな中、鼻で笑うような声を漏らしたのは姉崎だ。 「あなたもしかしてバカなんじゃない? やられっぱなしに甘んじたのは、あなたの単なる怠惰でしょ。やり返さなかったのは自己責任なのにさ。あ~、もしかして被害者だ、可哀想だ、なんて言われたいのかなあ?」 「……ちが……っ」 「なにが違うって?」  抗議しようとした震え声はぴしゃりと絶ち切られた。 「自分がやられてたから同じことやったとか言いたいんだろうけど、そんなの、なんの正当性も無いって分からない?」  侮蔑もあきらかな声の姉崎は、しかし見た目爽やかな笑顔で、なんつうか不気味だ。幅口もビビりまくって「わっ……そん…」声が震えてる。 「えーっと、刑法第249条…知ってる?」  次にくちを開いたのは法学部の瀬戸だ。持ち込んだ丸椅子を標の横に置いて座っている。 「人を恐喝して財物を交付させた者は十年以下の懲役に処する。222条もある。生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する」  瀬戸はそれだけ言って、幅口へニッと笑いかけた。 「にわか勉強だけどさ、刑事罰だから未成年でも情状酌量の余地は無し、未遂でもアウト、なんだって」  幅口の目が涙で潤んで、限界まで見開かれている。 「金銭など要求しない場合、つまり土下座しろとか裸になれとか、そういう強要をするだけでも、三年以下の懲役って実刑判決が出るってくらい、厳しいんだってさ。むしろあんたもその先輩を訴えたら良かったんだよ」 「そ……んな、ことっ! 言ったって…っ!」 「ビビったのは理解するが、誰かに相談するべきだっただろう。まして橋田へ転嫁するのは筋違いだ」  峰が低い声で言うと、幅口はなにも言わずに唇を噛みしめ、首を振りながらポロポロ涙をこぼし始めた。 「おまえら、ちょい厳しすぎだろ。先輩にも事情あったみたいだし」  思わず言った藤枝に「なに同情してんの」姉崎が朗らかな笑い混じりの声をぶつけた。 「ほんっと藤枝って安いよねえ。橋田の仇取るとか、一番盛り上がってたの誰だっけ?」 「うっせーよ! ……だって可哀想じゃんかよ」  悔しそうに言った藤枝に、 「なんっ……!」  ひっくり返った声を上げたのは、他の誰でも無く、幅口だった。 「な……わか…っ!」  みな驚いた目を向け、激しい嗚咽の合間に切れ切れの声を漏らしてる幅口に注目する。 「おまえらに、なんっ、なんか、なにが……分かる! バカにしやがって……!」  涙も鼻水もダラダラ垂れ流し、ひどく情けない状態だが、幅口は怒っているようにも見えた。 「カネあって、背高くて、力あって、……どうせ俺みたいな………分かんね、……だろ……っ!」 「分からないね、当然」  ここにいるメンバーは、姉崎がこういう顔をしているとき、かなり怒ってるってことを分かってるから、敢えてくちを出さない。「でもまあ想像はできるかな。……けどさ、もし僕に欲しいけど持ってないものがあるとしたら、手に入れるための努力はするよ。ねえ、あなたは行動しないで持ってる者を(ねた)んでるだけだ。そこにどんな正当性がある?」  ニッと笑った姉崎は言葉を切って立ち上がり、アピールするように両手を広げる。 「Never!」  良く通る低めの声が室内に響いた。 「Surely not! No way,no,no,no! We must say No!」  大きく腕を振る大げさな仕草、声の強弱など、姉崎はこういうとき、アメリカの政治家が演説しているみたいになる。ここにいるみんなは慣れてるが、初めて見た幅口は涙混じりの目をみはって声を無くし、怯えきった表情だ。それを見下ろし、姉崎は声を低めた。 「手に入れたいと思うなら何かしら努力するべきで、それを怠ったあなたは結果を得られず逆恨みしてるだけだ。同情の余地は無いね。でもまあ……」  ニッと笑んだ顔で幅口を覗き込み、低く続ける。 「あなたが協力してくれるなら、僕らも考える余地は出てくるよ?」  涙も止まり、唇をわななかせる幅口に、間近でニッと笑いかけると身を起こし 「ねえ先輩?」  声と共にポンと肩を叩くと、幅口は「ひっ」と掠れたような声を漏らした。  ビビりまくった幅口はめちゃ協力的になり、犯人の特定は順調に進んだ。さすがに賢風寮歴三ヶ月程度の一年とは人脈が違ったってわけ。  そして標によって完璧な書式の報告書が作られる。 「犯人たちへはおいおいツッコむとして、その前に寮体制の変革を求めちゃおうよ」  そう主張したのは姉崎である。せっかく作ったものだから、個別の攻撃だけでは無く、もっとでっかく利用しようという。 「じゃないと毎年同じ事が起こる気がするんだよね」  その声を一年の主だったメンバーも認めた。 「なにか成し遂げようとするなら、下準備を完璧に! 行動し始めたら迅速に! これが鉄則だよ~」  その号令に従い、みな一斉に動き始める。  橋田は報告書を持って監察の部会で発言を求め、『寮内で起こっている犯罪事例について』淡々と報告して、寮則の改善を提議した。そのとき同じく監察所属の瀬戸なども声をあわせ、他にも現在にそぐわない寮則が多々あることを指摘して、全体的な寮則の見直しが必要だと主張する。  峰と丹生田は保守部会で警戒すべき事案として手を上げ発言した。丹生田の言葉が足りない部分は多かったが、峰らがフォローして、結果一年みなで実情を報告する形となった。各階や娯楽室、食堂、浴室などの警備強化、いじめを発見した時どうするかなど、行動規範を決めることを提言した。  総括の部会でも問題提起する一年の面々の中、藤枝が「こんなのほっとくなんて!」と騒ぎ、「分かったから落ち着け」と先輩たちがなだめつつ話を聞いたのだが、返ったのは意外すぎる声だった。 「つうか毎年あることなんだけど、ここまでコトをデカくしたのはお前らが初めてだな」 「毎年あって、なんでほっといたんスかっ!?」  またも騒ぎ始めそうな気配に、一年も含め総掛かりでなだめられ、不満げにくちを閉じる藤枝を初めとする一年に視線を送りながら、部長の唐沢は苦笑気味に言った。 「ほっといちゃいなかったよ。気がついたら注意してたしな」  そこに冷静な問いを向けたのは仙波だ。 「そんな対症療法だけでは、根本的な解決は望めないと思います。寮則には全体的な話し合いの場が無いようですし、少数の意見を吸い上げる道も無い。これはおかしいでしょう」  すると横にいた副部長の大熊先輩がアッシュブラウンに染めた髪の毛先を気にしながら言った。 「つうかな、この寮則ってのがガンでさあ。五十年くらい前に決められたまま、1回も変えてねーんだよ。いまどき使えねえ部分も多いだろ? 俺らだってそこは分かってんだけどさあ」 「なぜ時代に即した形にしないんですか」 「ん~、寮則を変えるには面倒な手続きがあってねえ」  苦笑しながら髪をくしゃくしゃ混ぜる部長の唐沢を補足するように、大熊がヘラッと口を出す。 「まず監察で骨子決めて、保守の同意を得た上で執行部に持ってって話し合うんだが、それで終わりじゃねえんだ。風聯会の承認が必要なんだよ。これがアッタマ固いじいさん連中でさあ」  唐沢が頷きながら続ける。 「この寮則ってのは大学闘争とかあった頃に作られたらしくて、武力闘争とか言い始めるとんがった連中を抑えるような内容になってるんだ」  確かに『集合して違法行為を扇動することを禁ず。またこれに類する行為、或いはこれを利する行為も同様に禁じる』なんて、なんのこと? と思うような項目がいくつもある。 「もちろん俺らの先輩たちだって何度か提議はしてるんだ。だがなあ、それ作ったOBが風聯会で一番偉い年頃になってんだよ」 「一番偉いって、だれっスか!」  意気込んだ声に、先輩たちの視線が集中した。 「誰って……風聯会の?」  視線の先には、ぶんぶんと首を縦に振る藤枝だ。唐沢は苦笑気味に見て言う。 「名前聞いてどうするんだ」 「いいから! 教えろよ!」  興奮のあまりタメ口になっている藤枝を、唐沢はニヤリと笑って見つめる。 「みんな七十近いじいさんたちだぞ。|畝原《うねはら》、浅川、津久井、他にも……」 「マジか!」  叫ぶ声に、すらすらと答えていた唐沢がくちを閉じる。  他の先輩たちも、くちをあんぐり開けたり目を丸くしたりニヤニヤしたりで、無言になって見つめる中、藤枝はキッと目をきつくして「ちょっと行ってくるっ!」と叫んだきり、いきなり飛び出していってしまった。  最も騒いでいた藤枝がいなくなったことで話はうやむやになり、総括の部会はダラダラした雰囲気で閉会した。  浮かない顔で209に戻った仙波は、発言に同意した荒屋をつれていた。他にも知らない顔が増えている。  みんな部会で提言した無いように賛同して、これから話し合いだというと「俺も混ぜろ!」的なノリでついてきたらしい。ゆえに総勢二十七名が詰め込まれた209はぎゅう詰め状態となっていた。  しかし皆、浮かない顔ばかり。部会の結果の報告を聞きつつ、さらに暗然とした心持ちになっていく。 「寮則を練るのは良いが、徒労に終わる可能性が高い、と皆言っていたよ」  橋田が淡々と言い、峰は眉を寄せ腕組みしながら「早急な動きは不可能だそうだ」と呟いている。  施設部でも姉崎を始めとしたメンバーが声を上げたが、「それ施設部の仕事と関係なくね?」と|一蹴《いっしゅう》されていた。つまりどの部会でも前向きな回答は無かったということだ。 「なんか理由があるんだろうなあ」  呟いた姉崎に、仙波は総括の部会で出たことを伝えた。 「風聯会がガンらしい」 「なるほどね~。頑固なじいさんたちが頑張ってるってわけか~」  ため息混じりに呟いて、ニッと目を上げた姉崎に、みんな注目する。色々面倒な奴ではあるが、こういう顔をするときは、なにかやらかそうと考えていることに、みな気づいていた。  そして今みんな、はなにかやらかしたい気分だったのだ。 「ん~、じゃあさ、とりあえずそっちはひとまず置いといて、他のことを先にやろうか」 「どういうことだ」  丹生田が問う。 「実力行使だよ。言ったろ? 一年が一番人数多いんだよ?」  姉崎は低く言いながらみんなを見回し、また丹生田に目を戻してニッと笑った。

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