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52.てんまつ

 寮則改編に向けての動きは加速を止めなかった。  草案を元に、風聯会からの意見も組み入れつつ、不要な条文を削除し、新たな条文を付け加え、現代の生活に合うように条文を変える。  その中で保守と監察が主張したのは、一種の警察権を持つ条文を加えることだった。  過去に官憲の精査を受けた際、学生同士のリンチなどを助長する力を持たせるわけにはいかないと禁じられていた部分である。しかし警察による寮への介入を嫌えば、ある程度の拘束力が必要だという主張があったのだ。  話し合いの末、限定的に強権を発動することも出来るようにした。つまり保守と監察が双方共同意し、執行部全員が合意した上で、風聯会の承認が必要である、という条件をつけた。その上でリンチになりかねないような危害を加えることを改めて禁じる。出来るのは拘束と、寮内の行動の制限まで。それ以上は司法の手に委ねる。  そうして決定稿が出来たのは年末。翌年二月には新しい寮則の冊子が全寮生に配られ、回収した以前の冊子は、在庫も含め駐車場に(やぐら)を組んで燃やした。そこには多くの風聯会メンバーも立ち会い、すっかりお祭り騒ぎになった。  そして翌年度の入寮オリエンテーションでは、新しい寮則が新寮生に渡されたのである。  寮の歴史に残ることになった一年の反乱。  それから二週間後、二年の六人、三年の五人が、密かに保守の拘束を受けた。  いやがらせ程度では無い、犯罪に類するようなイジメの実行者と推定されたからである。  まだ寮則の決定は成っていなかったが、今回は特例として前倒しで行われることになったのは、被害の拡大を未然に防ぐべきという意見が強かったこと、そして執行部全員と風聯会が承認するだけの根拠があったからだ。  一年が総員がかりで聞き取り集めた情報、それを標があらゆる方向からまとめあげた資料を元に、二年三年の役員があらためて被害を受けた本人の話を聞いた。  借金までして金を渡していたもの、身体に痣の残るもの、蔑まれ足蹴にされ、暗い目をしていた彼らは、みな眉をしかめるような悲惨な状況に置かれ、怯えきって、ただひたすら身を小さくして耐えていた。同じような被害を受けていた、そんな者から問われなければ、彼らがくちを開くことは無かっただろう。そうするしか無いと、怯えのあまり思考力を奪われてしまっていたようだという認識のもと、事を急ぐべきという判断だった。  よく知らない先輩たちには協力的になれずにいた彼らは、しかし訪れた役員たちから顔写真を見せられ、悲鳴を上げたり逃げようとしたりしたことで、加害者の特定は成った。  そうして確認できた連中のほとんどは、以前から監察が要注意のフラグを立てていた。つまり余罪があったのだ。  保守のメンバーは、唐突に部屋へ飛び込み、油断していた連中をガッチリと取り押さえ、ひとりも逃さなかった。保守部屋で監視され、ひとりずつ監察部屋で事実確認をしていったのだが、くちぐちに呪詛や脅しの声を上げた中、ひとりが一際大きな叫び声を上げた。 「俺だって去年いじめられてたんだ! 死ぬ思いもしたんだ! その時助けてくれなかったくせに、なんで俺がやったらこんななんだよ!」 「……どんな奴にやられた?」  吐き出すような彼の叫びから、その二年生の特徴を聞いた監察部長、庄山は、こともなげに言った。 「ああ、あいつな。退学になったぞ」 「……え……?」  その二年は複数の学生からもカネを巻き上げていて、被害を訴えた者がいたため警察沙汰となり、昨年冬、逮捕された。そいつは実刑を受け、退学処分となった。 「おまえも被害を受けてたのなら、なぜ言わなかった」 「……え?」  学生とは思えない貫禄の庄山に言われ、言葉を失って悔しげに顔を歪めた幅口は、被害届けを出されて、警察へ突き出された。  そしてそのまま大学を去ったのである。   *  相変わらず姉崎はいけ好かない。だが今回だけは特別だ。 「どう~しても、見なきゃでしょう?」 「……行こうぜ」  姉崎のニヤケ顔にしっかりと頷いて目を合わせる。 「ああ、藤枝。静かにね、そーっとそーっと、気づかれないように」 「分かってる、つのっ」  なんて会話しながら歩くふたりの視線の先には、橋田の背中があった。  あの後、俺たちはそれとなく話を向けて、『カガワサン』が何者かを探ろうとした。気になって気になってしょうが無かったからだ。 「香川さんはね────」  必要なければくちを開くのも面倒そうな橋田が、無表情で淡々としてて時々辛辣、そんな橋田が、『香川さん』について話し出すと止まらない。  支離滅裂気味に話が飛ぶし、構成がどうしたとか設定の穴とか、橋田のくちから飛び出す単語は難解なものも多く、理解が及ばない部分も少なくない。というか正直、なに言ってるか半分も分からない。だがふたりが注目してたのは、話の内容じゃなく熱っぽく語り続ける橋田の表情だった。  それはもう、聞いてる方が引くくらいの勢いで褒めちぎる橋田の口調には次第に熱が入り、頬は紅潮し、目がキラキラと輝き潤みを帯びていく。アイドルを信望する親衛隊みたいな顔だ、とかまあ、呆れて聞いてたら、話の途中で鳴った電話に、パッと顔を明るくして橋田は出た。  そして嬉しそうに話をして、電話を切ると言ったのだ。 「話の途中ですまないけど、食事に誘われたから、僕は行かなくては」 「……え、食事?」 「うん」  初めて見たよ、てくらい満面の笑顔で頷いた橋田は、そそくさと出かける準備を始めた。 「そっか~」 「ねえ、誘ってきたのって、香川さん?」 「うん」  橋田は嬉しそうに目を細め、少し頬を赤らめていた。  そしてノートPCを持ち、「じゃあ」と足取りも軽く出ていったのである。 「なんか、異常にウキウキじゃね?」  あんな橋田は初めて見た。そんな感慨と共に呟くと、「う~ん、あれって」嬉しそうに目を細めた姉崎が続ける。 「もしかしてアレかなあ」  うろんな目を向け「なんだよアレって」尖った声を出すと、姉崎は笑みを深めて流し目を寄越した。 「だって橋田だよ? あんなになるなんて普通じゃありえなくない?」 「まあなあ、ビックリだけども~、つか! なんなんだよアレって!」  チッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を振り、姉崎は笑みを深める。 「だから、橋田って、恋してるんじゃない?」 「えっ!? じゃじゃ、香川さんって女の人なのかな? でもさっきの話だと男の人っぽかったよ?」 「どっちでもいいじゃない、そんなの」  ニッと笑って言い放った姉崎は、親指をジーンズのベルト通しに引っかけ部屋を出る。後を追いながら「どっちでもって!」怒鳴ると「静かに」と制される。 「追うよ」 「追うって?」 「だって橋田って、これから香川さんに会いに行くんじゃない」 「うん。そう言ってたな」 「見たくない? 香川さん」 「あ!」  そんなもの──── (見たいに決まってる!) 「どう~しても、見なきゃでしょう?」 「……行こうぜ」  そしてふたりは、あまり密かになってない尾行をしているのだった。  普通に話してるけど、橋田が気づいてる様子はゼロだった。浮き足立ってる、つか、うん、ウキウキしてるっぽい。なんかめっちゃ嬉しそうだったし。  背中からもにじみ出るような、どっかピンクなオーラを追いながら、ついニヤニヤしてしまう。 「橋田もあんな顔すんだな」  ────恋。  恋かあ。橋田が。いやそりゃ、いくら橋田だって恋くらいするよな。 「ていうかさあ、なんかむかつかない?」 「は? なにが」 「だってバカみたいじゃない」  姉崎は口元に笑みを浮かべていたが、ちょい不満げな口調だった。 「橋田の冷静なとことか、僕気に入ってたのになあ。ちょっとがっかり」  ふん、と鼻を鳴らしている。 「なにがだよ。幸せそうなんだから良いじゃん」 「なんか理性失っちゃってさ、ほんとバカみたい。ああでも藤枝は同類だから分からないか」 「なんだよ同類って」  ギッと睨んでやったが、姉崎はニヤニヤするだけだ。 「自覚あるんじゃないの?」 「だからなんのことだよ」 「あ、入った」  橋田が高そうなホテルに入っていったので、足を速めて入り口に飛び込んだ。天井の高い、豪華な雰囲気のロビーにはたくさんの人がいる。橋田はまっすぐエレベーターへ向かった。それを追いながら姉崎がクスクス笑う。 「いきなりエッチなことするつもりかなあ」 「おま、ンなわけねーだろ! メシつってたじゃん!」  橋田が乗り込んだエレベーターの扉が閉じる。ふたりは止まった階を確認した。三階だ。  目を見合わせ、階段を目指して走る。登り切ったふたりは廊下を進む橋田の背中をみつけ、足音を忍ばせてつける。すると橋田はすたすたと中華のレストランへ入った。 「あそこか」 「なんだつまんない。エッチじゃないのかあ」 「ふざけてんじゃねーつの!」  なんて言いながらレストランの前に来て、ちょいビビった。 「てかめっちゃ高級そうなんだけど」 「かまわない、入っちゃおう」 「は? てかカネねえよ!」 「大丈夫だよ。僕持ってるから」  ツラっと入っていく姉崎を焦って追いかける。  店に入ると、橋田はすぐ見つかった。窓際のテーブルに向かっている。その背中からも分かるくらい、うきうきな様子で、椅子に座ると向かいの人物に満面の笑みで話しかける横顔が見えた。  めっちゃ嬉しそうな橋田の向いには────── 「なんか想像と違う」  メガネをかけ、旺盛な食欲を見せているその人物は、橋田に笑顔で声をかけ、ウェイターを呼び止めてなにかを注文した。 「う~ん、意表ついてくるなあ」 「てかめっちゃ食ってね?」  なんつってたらウェイターに声をかけられ、少し離れた別のテーブルに収まる。姉崎がなんか注文して、水とか飲みながら橋田のテーブルに注目した。つうかやっぱ、ちょい信じらんねえてか、えーと、あれが『カガワサン』だよな?  橋田は笑顔でノートPCを取り出し、皿をよけてその人物に見せる。食べる手を止めた彼は、その画面に見入って、しばらくすると顔を上げ、橋田になにか言ってる。真剣な面持ちで頷く橋田もなんか言った。  そして彼は……ずっと食ってる。  顔はマジだけど、話しながら、ひたすら食ってる。また運ばれてきた料理を嬉しそうに食う。そして噴き出る汗をタオルっぽいハンカチでグイグイ拭う。  もりもりと、うまそうに食いながら話してる、その人物は。  おそらく百キロ以上の体重があるように見える。鼻の頭や前髪後退して広めになってる額には、玉のような汗が浮かんでいる。しょっちゅうそれを拭いつつ、話し、食い、飲み、また話す。  めっちゃ嬉しそうな橋田。ではあるが──── 「これ、恋とかじゃなくね?」 「う~ん、特殊な趣味なのかもねえ」  釈然としない思いで、ふたりは届けられた点心をくちに運んだのだった。 《三部 完》

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