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82.丹生田の危機

 そんな忙しいある日、部屋に戻ろうとして廊下の角を曲がって、目に入った光景に息を呑んだ。  こっちに背中向けて立ってる丹生田に、姉崎が抱きつくみたいにベタベタ触ってて……  いや姉崎がベタベタするなんてデフォルトなんだけど、なんか触り方がエロ親父かよってくらいヤラしい感じで、妙に色っぽい顔になってて、 「ねえ、健朗」  なんて低く丹生田に話しかけてて 「…………」  黙ってる丹生田の耳元にくち寄せて、なんか言って、深めた笑みは、いつものニヤニヤとゼンゼン違ってて、なんか、流し目ってか、ヘンに色っぽい感じに────  なんだ? コレなんだよ?  ちょいパニクり気味になりつつ「……なにしてんだよ」思わず言ってた。  一瞬ピクッと肩揺らした丹生田が、ゆっくり振り返る。  少し見開いた目にビビってる感じが見え、カァッとアタマに血が上る。そのまんま走り寄って、「離れろよ!」強引に引きはがした。 「なに、いきなり」 「うっせ! おまえこそなに言ってたんだよっ!」  いつものニヤニヤに戻った姉崎から守るみたいに丹生田との間に入り込む。 「なに言ってたか、ねえ? 言って良いの、健朗」  姉崎が首傾げて言うと、背中の丹生田が俺の肩に手を置いた。 「藤枝」  低い声と共に肩の手がグッとそこをつかむ。 「なんでもない」  カッとして「ンなわけねえだろ!」振り向きざまに言うと、丹生田は肩から手を離し、少し困ったような顔で目を逸らした。 「なんでもないんだ。……すまない、その、用事が……」  目を逸らしたまま言いながら二、三歩後ずさって、クルッと背を向け、のしのし歩いて行っちゃった。  丹生田の背中が角を曲がって見えなくなり、わけわかんない怒りがこみ上がるまま、姉崎に手を伸ばして、襟首を掴もうとした。けどサラッと片手で払われて、逆に手首をつかまれ、ちょい捻られる。 「いてててて~っ!」  くっそ! いつもいつもなんなんだよコイツっ!! 「離せっ! 痛ってーつの!!」  痛いけど構わず暴れて騒ぐ。パッと手が離れたんで、ちょい距離を取った。いっつも忘れるけど、コイツに攻撃かけると分かんないうちに痛い目に遭うから危険なんだ。 「なにしてたんだよ、丹生田に」  慎重に距離取ってギリっと睨みつつ聞く声は、低くなってる。めちゃ攻撃的な気分なんだけど、姉崎は 「なにって?」  少し首を傾げる、いつものムカつく仕草で、クスクス笑う。 「ん~~、まあ。……ちょっとお誘いしてみたんだけどね」 「……は?」 「だから、お誘いしたんだよ。……ベッドに」 「はあ? なに言ってンだアホ」 「ああ~、言って無かったっけ? 僕って男もイケるんだよね」  …………え? 意味分かんね。 「分からない?」  すんげえ嬉しそうに笑ってる。 「なんだよ」  なんか分かんねーけど、またバカにしてんな、てのだけは分かった。 「分からないかなあ。……だから、好きなんだよ、男とのセックスも。特に筋肉質なのとかタイプでさ」  ……は? 「健朗なんて初めて見たときから気に入っちゃってるからね、副会長になったわけだし、権力に物言わせてそろそろ()っちゃおうかなって」  そう言って、姉崎はクスクス笑った。 「お誘いしてみたんだけどねえ。まあ速攻ヤれるとは思ってないから、時間かけて攻略……」 「やめろよっ」  思わず遮って言ってた。こぶしをググッと握りしめたまま、キツく睨み付ける。 「おまえがなに好きでも自由だけどな! 寮の風紀乱すな!」  怒鳴りつけると、姉崎は肩をすくめて「怖いなあ」とニヤニヤした。 「そんで丹生田に近づくなよっ!」  叫ぶように言うと、姉崎はクスクス笑いながら「はあい」と言って身を返し、スタスタ部屋に入っていった。  姉崎のいる副会長室と俺らの339は、角越しの隣。マジでめっちゃ近い。 (ヤバい)  超焦った。  こんな近い距離で、あの姉崎が丹生田狙ってる!? エッチしようとか思ってる!? ありえねえ!  けどマジかよ、つうかヤバいじゃん! 丹生田ヤバいじゃん!  それからは339に待機するようになった。  部室には仙波か誰かいるから、用があるなら339まで来い! つうことにして。  だって万が一、丹生田が一人のときに姉崎が来たりしたらヤバいし。なんか言ってきても、ぜってー守る。俺が守る。  そんな決意と共に部屋に詰めるようになって、丹生田と二人で過ごすことが増えた。  部屋にはしょっちゅう総括の奴とか色々来るし、そうじゃなくても遊びに来る奴もいて、たまに木原さんとか先輩も来ることあって、まあ姉崎が来ることも確かにあるんだけど、丹生田が部屋に一人って状況はほぼ無くなった。  どうしても自分で行かなきゃで、丹生田一人になるときは「橋田んトコ行ってろよ」とか丹生田に言ったりして。まあまあ鉄壁のガード状態にしたわけ。  だって食堂とかで丹生田にヘラヘラ姉崎が話しかけてきたりしてイライラしてたとき、橋田が声かけてきたんだ。 「姉崎くんがなんか言ってきたら、ぼくに教えてくれるかな」  いつも通り、なに考えてんのか分かんない顔だったけど、もう藁にもすがる思いで、ヤバいときは頼む! とかって。  だって橋田は姉崎と同じ副会長なわけで、正直こんな寮内で副会長とかっても権力なんて実質無いけど、でもあいつ『権力に物言わせて』とかほざいてたから、なんか考えてんのかも知んないし。  そんなこんなで、しばらく経った五月半ば。  保守のやつが部屋に飛び込んできた。 「丹生田! すぐ保守部屋に来い!」 「…………?」  声無く目を向けた丹生田の代わりってワケじゃねえけど 「なんだよ、どした?」  つって聞いたのに、そいつは丹生田の目をまっすぐ見ながら続けた。 「お父さんから電話! おじいさんが危篤だって言ってる」  さっと頬に緊張を走らせ、丹生田が駈けだした。一瞬遅れて後を追う。  つっても丹生田が全速力出したら追いつけない。階段を駆け下り保守部屋に着くと、前にあるピンク電話の受話器を耳に当て、無言で目を見開いてた。周りに何人か立って見てる  もちろん丹生田は携帯持ってるけど、寮の代表電話はこのピンク電話なんだ。ここなら夜中でも常に誰かいるから。 「お父さん、なんだって?」  横からこそっと聞くと「……携帯番号が分からないと…」譫言みたいに低い声。  イヤそういうことじゃねえだろ、つかやべえ、だいじょぶかよ丹生田? 「じゃなくて、なんだって?」  聞いても丹生田はピクリとも動かなかった。しばらく無言だったが、ぼそっと「分かった、すぐに行く」と言って受話器を置き、そのまんま飛び出そうとしたから、咄嗟に腕つかんで「落ち着けよ!」怒鳴った。  丹生田は玄関見たまま止まる。  つか丹生田動揺してんのに自分まで同じになってどうする! 落ち着け俺! 「危ないのか」  低めた声をかけると、丹生田はビックリしたみたいにこっち見て、スウッと息を吸う。肩を叩くと、ふうっと息を吐いた。  よし、ちょい落ち着いた。そう思ったらコッチもちょびっと落ち着いた。  そりゃ焦るよな。だって丹生田はおじいさんが好きなんだ。板挟みになっちゃうくらい、好きなんだ。  おじいさんに似てるって、だからお母さんに会えないって、丹生田はおじいさんのこと────いや!  ブンブンと首を振って、余計なこと追い出す。とにかく今、それドコじゃねえし! 「つかそのまんまじゃ寒いだろ」  声かけられてすぐ飛び出したから、丹生田はいつもの勉強してるカッコだ。周囲を見回し、調度帰って来た連中の中にアタマ一つ飛び出てる伊勢を見つけ、強引に奪ったフライトジャケットを丹生田に差し出す。伊勢ならサイズ合う、と思ったんだけど、棒立ちだから「着ろよ!」わざと強い声で命じた。  じっと目を見てから受け取って、黙って着るのを見ながら聞く。 「カネ持ってるか」  ハッとして、けつポケ探った丹生田は眉寄せ、がっかりしたみたいに首を振る。部屋まで戻って、財布取ってくる感じじゃなかったから、自分の財布をまんま持たせた。 「携帯持ってるな? なんかあったら、いや、なんもなくても電話しろよ!」  言い聞かせるみたいに怒鳴ったら、まっすぐ目を見てしっかり頷いた。  落ち着いてる。そう思えた。 「大丈夫だな! 行って来い!」  バン! と背中を叩いたら、丹生田は奥歯噛みしめて、カッと目を見開いて頷き、靴を履いて「すまん」と寮を飛び出した。 「焦るなよっ、気をつけろよっ!」  怒鳴って背中を見送ってると、何人かが靴履いた。「おい!」追いかけようってのか? 「駅まで見とく!」 「なんかあいつやべえし」  そう言って飛び出していったのは多賀とジャケット奪われた伊勢だ。それ見てハッとする。 (そうか! つか俺も行く! そうだ俺もついてく!)  なんて思ったまま靴を履こうとしたら、強い力で肩と腕をつかまれた。 「おまえこそ落ち着け」 「でも俺もっ」 「あいつらに任せとけ」  振り返ってギッと睨み付けると「あれくらい図太いのが二人いれば大丈夫だ」鋭い眼光の峰が、ニヤッと笑いながら言った。 「あ~あ~、走ってるよ。寒くねえのかな」 「大丈夫だろ。簡単に風邪なんてひかねえよ、あいつら」 「ははっ、デカいの三人団子になってら」 「見苦しい~、近寄りたくねえ~」 「おまえまで入ったらさらにヘンな集団になるぞ」  くちぐちに言いながら肩や腕をバンバン叩く連中の顔を見て、少し落ち着いてくると、身体中に力入ってたって自覚して、無意識に、はああ、と深い息を吐く。 「心配は分かる。丹生田が動揺するなど珍しいからな」  峰の落ち着いた声に目を向けると、腕をつかんでいた手が離れ、肩をポンポン叩かれた。 「あいつも藤枝のおかげでで少し落ち着いただろう。あいつらもついてるし大丈夫だ」  鋭すぎるギョロ目を見返しながら、圧されたみたいに身体の力を抜いた。 「おまえは落ち着いて待っててやれ」  カクンと頷いたら、保守部長も安心したように少し笑った。

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