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九部 変化 128.夏休みの終わり
「どうもすみませんでした!」
娯楽室へ連れ込まれた俺は、ひたすら謝ってた。
楽しかったキャンプの余韻に浸る時間なんてゼロ。なんの呪いだっつの。いや、ちゃんと誠心誠意謝り倒してますけども。
つまり、なにが起こってたかというと。
俺らがキャンプに出かけたあと、風聯会メンバー、つまりOBの皆さんが、事前の打診無しに連日、顔を出すようになってたのだ。もちろんOBの対応は総括の仕事だし、そういう人はそれまでも何人かいたけど、もう大がかりな作業ねえし危険もあんまねえし、大熊さんも仙波もいるから問題ねえだろって出かけたんだ。
ともかく、連絡なしに突然現れた彼らは、善意のカタマリだった。その対応を、大熊さんが間違った。そんで怒らせちゃった。
そもそも風聯会の事務局には事前の根回しから段階踏んで進捗を報告してて、助っ人も事務局から得意分野まで含めて人員を知らされてた。その人たちを施設部で割り振りして作業に当たって貰ってたんだ。
つまり執行部が風聯会メンバーに『エアコンつけるんです~手伝いに来てね~』なんてお伝えしてたわけじゃない。
つか、そもそもOBって何人いるんだ? なんてことすら、まったく知らねえわけだし無理っしょ。つっても膨大な人数がいるんだろうってことは分かる。百年以上続いてる寮のOB会なんだから、風聯会でも完璧に全員把握してるんだか不明ってレベルだ。
なんで、たぶん連絡つかなかった人たちがいたんだけど、盆休みにOB同士の繋がりかなんかで聞きつけて、来てくれたってことだと思う。
ンでも、もっと早い時期なら話は違ったかもだけど、作業は既に終盤に入ってて、技術を要する部分はあらかた終わってたわけで。
思い出の寮で大事業が行われている。じゃあ助けてやろうじゃないか、なんて意気に感じてくれたのはありがたいんだけど、予定外に突然、てことだと、正直なとこ余剰人員なんだ。でも皆さんやる気満々で、仕事帰りや休日を利用して、或いはわざわざ休みを取って助力を申し出てくれてたわけで。
「なにやってる」
「まかせろ」
なんて感じで手を出してきて、実は作業の効率を下げる要因にすらなっちゃった。
分かるんだ、困っちゃうの分かるんだよ。けど
「どうせただの暇人だろ。適当になんかやらせときゃいいさ」
つったのが大熊先輩だった。風聯会の応対は基本的に総括の仕事だし、部長不在なんだから、前任の部長であり現在副部長の大熊さんが動くのは当然なんだけど、説明してお引き取り頂いた方がイイんじゃ、つった仙波に
「そんなん教える方がバツ悪いだろーが」
ヘラッと「まあ任せとけって」つって後片付けなんかちょろっとやって貰う感じにしちゃった。そんで現場に手を出そうとする皆様に「まあまあ、ひとやすみしませんか」なんてくち出して誤魔化したり、お得意のいい加減さ発揮したらしい。
けどそこそこテクある人もいて、なのに邪魔者扱いかよ? って不満を抱いたりもするわけで「どういうことだ!」なんて詰め寄られた大熊さんは、
「まあまあ、とりあえずお話聞きますよ」
とか言って、お姉さんのいるお店とか行ってOBの金で飲み食いし、その流れで風俗店へなだれ込もうとしたりもしたらしい。
実際それで気持ちよく帰る人たちも少なからずいたらしいけど、
「真面目に助力を申し出たのに、これはなんだ!」
「馬鹿にするな」
とか、怒る人もいた。
「飲んで良い気分にさせときゃいいんだろ。どうせ次の日には来ねえんだし、すぐ忘れるって」
大熊さんはあくまでこんな感じで、俺の不在中そんな状態続いてた。寮に帰り着いたのは平日だったけど、ちょうど熱血な感じの人が文句言いにわざわざ会社帰りに来たんだけど、当の大熊さんはさらっと行方くらましちまってた。あの人の危機察知能力ぱねえよな。
仙波や池町、田口なんかでなだめようとしても「あいつを出せ!」なんて感じで納得しなくて、もうすぐ部長が戻るからとか言って、ひとまず娯楽室に集まってもらってた状態だったんだ。
いきなり怒りまくりのOBたちの前に連れ出されちまったわけで、内心焦りまくったけど、とりあえず
「すみません!」
謝った。ひたすら謝り倒して説明した。
自分が現在部長であること。
なのに不在となったことで皆さんに誠実な対応が出来なかったこと。
みんなシフトを組んで計画的に進めていること。
作業は終盤で、すでに皆さんのワザを発揮してもらう場面がほとんど無いこと。
せっかく来てもらったのに、ちゃんとした説明もしないで好意を無にしてしまった形になったこととか。副部長が適当な対応をしてしまったことも、土下座の勢いで謝った。
そんでなんとか納得してもらったんだけど、今度は逆に
「あんなのが先輩面してのさばってるんじゃおまえも大変だな」
なんて、いきなり好意的になって
「勝手に来て騒がせて済まない。二十九日に作業完了するんなら、打ち上げは奢らせてくれ」
なんて言ってくれて。
「うわ、すんげえありがたいっす! けど二十九日は突貫で何時に終わるか不明なんすよ。下手したらみんな倒れちまうだろうし、三十日は身体休める予定なのと定例会もあるんで、打ち上げすんなら三十一日になるんす」
「そうだったのか。では三十一日、今度は風聯会を通しておくよ」
とかって、なんとか丸く収まったのだった。
なにげに池町から尊敬の眼差しきてて気分良かったんだけど、そんだけじゃなく色々やるべきコトが溜まってた。つまり終盤へ向かっているエアコン設置関連の雑事に、自動的に巻き込まれちまった。
まさにメシと風呂と寝る以外、動き続ける羽目に陥ったのだ。なにげに丹生田も目一杯作業してて、まともに顔も合わせない感じで丸四日働き続け、なんとか二十九日二十六時に作業は完了した。あとは三十日に廃材を引き取ってくれる業者を待つのみ。そこはもう、施設部にお任せだ。
「ふえ~、終わった~」
特別に深夜まで使える風呂に行ってから339に戻り、どさぁ~、とベッドに倒れ込む。
「お疲れだったな」
なんて丹生田がマッサージとかしてくれて、そのまんま寝落ち。
そんでもって翌日、三十日は定例会だ。
本来は毎月頭に行われる会議だけど、夏休みもあったしエアコン作業も重なったんでこの日にやることになってたんだけど、それとは別に、ずっと考えてたことがあったのだ。
でも時間が取れずに延び延びになっていたわけで、定例会までまだちょい時間あるし! いまのうちにっ! と決意しつつ廊下を走った。
橋田雅史は、自室のドアがノックもされずに開かれたのを感じ取ったが、いつものようにキーボードを叩き続けていた。
こんな風に入ってくるのは二人しかいない。そのどちらであっても、緊急に対応する必要は無いからだ。
「……あのー……橋田」
藤枝の方だったか、と思いつつ、手は動きを止めず、視線もモニターを見つめたままだ。
「あ~、ちょっと聞きたいんだけど」
雅史的に、藤枝がなにを言おうと、さして興味を持てるとは思えなかった。だがまったく無視するとうるさいので、
「聞いてるよ」
一言返しておく。それに耳はちゃんと機能しているから、適当に答えるくらいは出来る。
「そっか。……うん、じゃあ、あの……知ってるかだけでイイんだけどさ」
静かな部屋に、キーボードの音だけが響く。
「月がきれいだ……て、なんのことか分かる?」
やっぱり意味不明だ。
それは月が美しいと言ってるだけでは無いのか。いくら藤枝でも、それくらいは分かるだろうに、なにを言ってるのかな。
「おいっ、聞いてんだろっ!」
しまった。藤枝はテンパればテンパるほど堪え性がなくなる。
「どういうこと」
一応声を返しておく。
「いや、つうかあの、丹生田がさ、言ったんだよな、その、何回も」
雅史の手が止まった。
藤枝ではなく、丹生田が。しかも何回も言ったというなら、その言葉にはなにか意味があるはずだ。
黙したまま椅子を回して振り返る。目が合うと藤枝は、らしくなく目を逸らしたが、意を決したようにまた雅史の目を睨むように見た。
「いったいどこで言ったの」
冷静な問いに視線はひるみ、「いや、あの」焦りまくった声が返ると同時、額から汗が滲んだ。
それをじっと観察の視線で見つめながら、雅史は続きの声を待つ。
「ホテルで」
「……ホテル?」
予想外すぎて、思わず声が出た。
「うん、その、キャンプ場のトコにホテルあって、そこに泊まったんだけど」
「君と丹生田くんで?」
「うん、そう」
「二人きりで?」
「…………そ、うだけど……」
「普通に宿泊しただけってことかな」
「……っ、ふつう、て、そ、りゃ……そう、じゃね?」
怪しい。
怪しすぎる。
ホテル、二人きりと続いても男二人。どうということもない話である。
なのにこの挙動不審ぶりは怪しい。なにかあったのではないか。つまり、通常男二人であれば考える必要の無いなにかが─────。
雅史は想像によって導き出された結論を、試しにくちにしてみることにする。
「それは、丹生田くんとセックスしたってこと?」
この想像が合っているとしたら、それは重要な情報だ。詳しい聞き取りが必要である。
雅史の視線は一気に真剣味を増し、目一杯ビビった風に目を逸らす藤枝はくちをギュッと閉じた。むろんそれくらいで追求を緩める雅史では無い。
「丹生田くんが、行為の最中に、何度も言ったということ?」
淡々と続けると藤枝は一瞬で真っ赤になり
「……っ! こ、うい……っ」
絶句して汗だくになった。
ということは、想像が合っていたということか。
「なるほど」
かつて文豪、夏目漱石が教師であった頃。
ある文章の翻訳を命じたある学生が、『I love you』を『我君を愛す』と訳した。そのとき教壇に立つ文豪はこう言ったという。
「日本男児がそんな台詞を吐けるか。『月がきれいですね』とでも言っておけ」
およそ文学と縁が無さそうな丹生田が、どこでその言葉を見つけたのか。それも興味の湧くところではあるが、おそらく藤枝の知るところではないだろう。
「な……るほどって、橋田なんのことか分かンのかよ」
縋るような目と声で、藤枝が問いかけてきた。それを見返しながら、雅史は考えていた。
この事実は姉崎も知るだろう。既に知っている可能性もある。だがこのセリフを丹生田から聞き出すことはできないに違いない。
姉崎と雅史は情報を交換する、という契約を交わしているようなものなのだ。特に姉崎は丹生田情報をかなり子細にくれていた。では雅史も、この情報を教えてやる必要があるだろうか、と考える。
(…………無いな)
一瞬でそう結論づけた雅史は機嫌が良くなって、無自覚に珍しい表情を藤枝に向けた。
「いや、分からないけど」
つまり、にっこりと笑いながら言ったのだ。
「そろそろ定例会が始まるよ。行こうか、藤枝くん」
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