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十一部 最上級生 157.新会長
四月。
法学部棟の横を通る小道を入ると、奥に四角いコンクリート四階建ての無骨な建物が見える。
「おお、あれだな」
リュックを背負った彼は、ニッと笑ってずんずんと進み、ガラスの扉を開く。
「来たか! おまえ名前は!!」
「うおっ?」
玄関先の框に腕を組んで立つ大男が出した大声にビビり息を呑むと「名前は!!」更なる大音声が響く。
「あ、ハイ名前ね、名前。……ビビったー」
「…………名前はっ!」
今度の声は少し裏返っていた。
「えーと、安藤っす」
「安藤だとっ!?」
「おい、落ち着けよ~丹生田ぁ」
斜め後ろからガタイは良いが軟派な感じの男が緩い声をかけ、大男はコホンと空咳をした後「あっちの和室で荷物を探せっ!」と怒鳴った。やはり声は少し裏返っていた。
「あ~、はい。あ、靴とかココで良いんスかね」
「うん、そこで良いよ。取り違えとか心配なら部屋まで持ってっても良いし」
横でクスクス笑ってたイケメンが案内してくれて、一緒に和室へ行く。そこに溜まってた先輩たちが手伝ってくれて荷物はすぐに見つかった。四つある荷物のうち二つをとある先輩が持ち、一緒に部屋まで運ぶと言った。
「なんかすんません」
とか言いながら階段を上るとき、チラッと見ると、玄関先にさっきの大男と同じくらいデカいもう一人がいた。
「トイレ休憩済まんな」
「……峰」
「どうした丹生田」
なんて会話が聞こえ、さっきの大男が、もう一人の前で項垂れてた。なんか落ち込んでるっぽく見える。
「あれ、なんスか」
「気にするな。気にしたら負けだ。行くぞ」
とか、先輩がニヤニヤ言ったので、気にしないようにして階段を上りつつ、新寮生安藤は、はてなマークを飛ばすのだった。
それから一週間後、新寮生たちは集会室に集まっていた。入寮オリエンテーションが行われるからだ。
「建物古いけど、中は結構キレイだよな」
「うん、意外と住みやすそう」
なんて話しながら座る新寮生たちは、それぞれ担当の先輩たちに教えられた通り、『賢風寮のご案内』という冊子を持っている。
「なにげに萌えキャラ満載だったなコレ」
「著作権とかOKなのか」
なんてコソコソ言い合っていたら、壇上にイケメンが出てきてマイクを持ち、ニコニコした。
「あ、あのひと。玄関にいたよな」
「うん、感じよかったひとだ」
ざわざわと人声が止まなかったが「済みません、聞いてくれるかな」イケメンが声を張るでもなく言う、柔らかな声がマイクを通して伝わり、徐々にざわめきが治まっていく。するとイケメンはニッコリ笑った。
「集まってくれてありがとう。僕は副会長の田口と言います。司会進行をやるのでよろしくね。ではまず、基本的な話から」
そう言いながら『賢風寮のご案内』を見せる。
「コレ見ながら聞いてくれる? いい? はい、では始めます。知ってる人もいると思うけど、ここ賢風寮は大学が創立した三年後に学生や教員の寮として建てられて、それからなんと百三十年の歴史があったりします。もちろん何度か建て替えてるけどね。建物や土地はずっと風聯会っていうところが所有していて、我々執行部を初めとする寮生で運営してるんだ。で、部外者の立ち入り禁止なんだよね。七星大学とは違う組織だから、大学の職員とか、寮生以外の学生も部外者なんだ」
「えー?」
「マジ?」
などと一斉に漏れる声で集会室はざわめいた。
「ホント、この部屋とか廊下とかボロくなってるのをキレイにしたり、ネットとかエアコンまで自分たちで設置したんだ。業者とか一切入れてないんだよ。わりとすごいでしょ?」
ほえー、などと言った声が上がり、田口は自慢げにニッコリして「そういうのやりたいひとは、後で説明あるから、参加してみて」と付け加える。
「あ~、でも、生命や健康の危険があったりしたらちゃんと救急車呼ぶし、そこらへんは安心して。警察に協力したこともあったらしいです。でも友達部屋に入れるとかもダメだし、女の子とかホントやめてね、面倒なことになるから。それに、事前に言ってくれれば、親とか兄弟だったら一階の面会室と和室まで入れたりもします。でも必ず申し込んでね? 当日いきなり言われても無理って言われたりするんで。では面倒なお話はココまで。みなさん、どうぞ」
田口が扉を見て言うと、そこからぞろぞろと男達が現れた。
「この寮で仕事してるメンバーの各部長のみなさんです」
その中で一番ガタイのイイ強面がマイクを受け取り、スウッと息を吸い込んだ。
「諸君!」
キイィィーンとハウリングが起き、ひええ、などと声を上げたり、眉を寄せ、耳を押さえたりする者が続出する中、「俺は保守の部長、峰、だ!」声が続いてまたハウリングが起きた。
「マイク! マイク使うな!」
隣の優男が眉を寄せてマイクを取り上げ、そこからは素の怒鳴り声が続く。
「保守は警備をやっている! さっき田口が優しく言ってたが、女連れ込むとかダチ呼ぶとか、一切認めんからな! 分かったかあっ!」
シーン、と集会室が静まりかえる。それを見て満足そうにニッと笑った峰は「分かったなら良い」と言って一歩下がった。
次に一歩前に出たのは、さっきマイクを奪った優男だった。コホンとわざとらしく咳をひとつして、マイクを構える。
「俺は監察のアタマやってる瀬戸と言います。監察は寮則を執行してます。寮則は……」
そこで一息空け、瀬戸の優しげな顔が引き締まる。
「必ず守ってもらいます」
いきなり声が低くなり、眼光も鋭くなった。新寮生たちはさっきの余韻もさめやらぬまま、黙りこくっている。
「各部屋の先輩いるでしょ? 分からないことなんかはそのひとたちに聞いてもらって良いんですが、毎年いるんだよね、コレくらい良いだろって適当なコトする奴が。後で寮則の冊子を配りますから、覚えるまで必ず携帯すること。もし無くしたら予備を渡すんで、すぐ言って下さい。いいですか? 寮則が守られないようだと、ペナルティあるし、最悪ここから出てってもらう場合もあります。俺たちはけっこう厳しいよ?」
声はさほど大きくない。けれど見回す視線は、やはり鋭いままだ。
「確かに門限はないけど、だからって緩いとか勘違いしないで。寮則はキッチリ守ってもらいます。たいした規則じゃないから、ちゃんとやって下さい。もし寮則に異論があるなら、正式に意見する場は設けてあります。好き勝手やって、後でこの寮則は変えるべき、なんて言うのは通用しないからね。高校生気分は捨てること。以上」
集会室はシンと静まりかえったままである。少し緊張したような顔の寮生達を見た瀬戸は、小さく頷いて、痩せた男へマイクを渡した。
「会計の豊畑です。寮費を集めて運営費に回し、収支をキッチリ見る仕事をしてます。寮費は必ず、毎月末日までに指定口座へ振り込んで下さい。遅れたら滞納扱い。滞納は三ヶ月で退寮処分。よろしく」
それだけ言って、豊畑はボサボサ頭の男へマイクを渡した。男は頭をかいてさらにボサボサにさせながら「施設部の牛嶋です」ぼんやりした顔で言った。
「うちらはこの建物全体の設備とかの維持管理をやってます。壁に穴あいたとか、ガラス壊れたとか、ガスがつかないとか水道漏れてるとか便所詰まったとか、そういうときはすぐ言ってくれれば、手の空いてる限り早急に修理します。ただ、うちらも学業優先だし、混み合ってたら優先順位もつけるから、すぐやれないときもあるんで、そこでゴネないで欲しいな。まあわりとちゃんとやるんで、信用してくれる?」
牛嶋のしゃべり方は優しそうで、なんだか緊張していた集会室の空気がすこし和らいだ。
「えっと各階に執行部の部屋があるんで、そこに言ってくれてもイイし、ここにいる俺らの誰でも言えば伝わるんでね、まあ楽に言って。それと、寮を上げて改装するときとか、みんなに協力を呼びかけることもあるんだよね。もちろん強制じゃないけど、出来れば手伝ってくれると助かる。それにけっこう楽しかったりするよ。気のあう奴が出来たりとか、これ俺の実体験だから。と、施設部ってのはそんな感じです」
そう言って片手を上げ、ぺこりと頭を下げてから、背の高いニヤニヤした、少し顔色の悪い男にマイクを渡す。
「どうも~、俺は情報施設部の浦山って言います。ネット環境全般、整備やらなんやら色々やってるんだけど」
そう言って、はあー、と息を吐く。なんだか疲れているようだ。
「部屋の壁にLAN端子あるの気づいてるよね? そこにPC直でもルータ接続でもネット使えるようになってるんですが~、外部の工事業者とか入れないから、寮専用のサーバー経由してる、コレしかこの寮では使えません。プロバイダとか選べないし、WiFi回線の契約もダメだよ。ネットの使用量とかも寮費に含まれてるってコトで納得して。スマホでネットやるひと、WiFi使いたいよね? ゲームとか動画とかでパケット馬鹿になんないモンね? そういう人は中古の無線ルータ貸し出しもしてるから言って。不具合も言ってくれればどうにかするから頼ってくれてイイ。んで、言いたいことはひとつ。ヤバいサイト、見てくれるな。マジで殺すよ?」
ニヤニヤしてるけど、口調はなんだか不気味で、また集会室が鎮まる。
「マジで面倒なことになるから、ホント勘弁してくれ。一応、安全なエロサイトの情報は俺らんトコにあるんで、聞いてくれればいつでも教えるし。あ、情報施設部は、施設部の部屋に間借りしてるから。いい? 分かった?」
無自覚にウンウンと頷く者、身動き出来ずに固まる者、さまざまな反応を見回し、浦山は苦笑交じりにため息をついた。
「わりいね、今朝までその後始末に終われてたんで、ちょっとばかし気が立ってんだ。てわけだから頼むよ」
そう言って、ふう、と溜息を吐くと、メガネをかけた小太りにマイクを渡す。
「こ、こんにちは」
受け取ってすぐそう言ってぺこりと頭を下げる。すこしおどおどした様子に、一気に空気が緩み、ため息のようなざわめきが起こる。
「えっと、食堂担当の羽沢っす……じゃなくて、です。食堂はもうみんな行ってると思います。日替わりメニューが書いてあるの気がつきましたか。A定が魚系でB定が肉系、なんですけど、メニューの希望とか受け付けてます。食堂入ってすぐの投書箱に必ず記名で入れて下さい。無記名だと無効になっちゃいます。……それと、各階に炊事出来る水場あるんですけど、そこの冷蔵庫とか鍋とか、そういうのも食堂担当で管理してます。調理用具とか希望あれば追加出来るかもなんですけど、なんてか、結構色々揃ってるんで使えるんじゃないかな、と思います。え……っと、そんな感じです」
またぺこっと頭を下げると、なぜかパラパラと拍手が起きた。
その肩をポンポンと叩いてニッと笑みながらマイクを受け取ったのは、わりと濃い顔した男だ。
「はいお疲れ! つうわけで、けっこう時間かかってるけどもう少し続くんでヨロシク。俺は池町と言って、総括の部長です。総括ってのはこの寮を元気にするためにあります。トイレットペーパーとか衛生面の色々とか、細々したこともやってるんだけど、例えばシーツとか枕カバーとか布団カバーのレンタル。もう既に各部屋に行ってると思うけど、アレは総括のメンバーなんだ。先輩だ~とか考えないで、楽に話して大丈夫なんで」
ニカッと笑う池町に、ホッとしたような空気になった。
「それと~、一年は各階の廊下と水場、便所と風呂と洗面洗濯、そういうトコの掃除当番があります。後で掃除当番の一覧渡すんでよろしくお願いします。これけっこう大事なんで、ちゃんとやろうね。サボると色々面倒なことになるし、ここに居辛くなるんだよ。だからちゃーんとやってね? なんつって先輩は怖くないぞ~、仲良くやろうね~。んじゃ!」
そう言ってまた笑い、マイクを田口に戻した。
「はい、皆さんお疲れ様です。この部長さん達、なにげに迫力ある人もいるけど、みんな大学生ですから、みんなとそんなに立場変わらないです。ただ、ホントに監察の言うこと聞かないとダメだよ? それと、これから各部へ勧誘が始まります。それぞれ事情とかあるだろうし、強制はしないけど、声かけられたらあんまり邪険にしないで、一応話くらいは聞いて下さい。では、執行部の皆さん、どうぞ」
田口が片手を上げると、今まで立っていたメンバーとハイタッチしながら、入れ替わりに五名の男が入ってきた。
その中の一人、背の高い外人ぽい顔のイケメンに、田口のマイクが渡される。
その人物はニカッと笑って「田口お疲れ~」と言った。
「みんな、こいつ優しそうだろ? でも実はかなりサドいから気をつけてな」
「ちょっと、やめて下さいよ。人聞き悪いなあ」
ニコニコの田口を指さしながら「騙されんなよ~」と言うイケメンに、クスクスと忍ぶような笑いが起こり、集会室の空気は一気に緩んだ。
「つうわけで、この六名が執行部です! はい拍手~」
パラパラと拍手が起こり、あおるように両手のひらをヒラヒラさせるイケメンの笑顔に、新寮生のこわばっていた顔に笑顔が戻り、拍手はさらに多くなった。
すると指揮をするようにイケメンが手を振る。それに合わせてパン、パンパンパン、と手拍子が揃った。
「おー決まったね! みんなノリいいじゃん」
満足げにニカッと笑い、イケメンがくちを開いた。
「俺は会長の藤枝っす。まあこんなノリなんで緊張とかいらねえし、楽に声かけてな。そんで、ここにいる執行部ってのは寮の運営の中心なわけなんだけど、その他にやってることがあるんだ」
そう言って藤枝は片腕を上げ、並んだ執行部メンバーを示す。
「執行部の部屋ってのが二階と三階にあって、そこにこの中の誰かが、なるべく、ひとりでいるようにしてるんだ。なんか言いたいことあるとか、困ったことあって、けど誰に相談して良いか分からないとか差し障りあるかなとかな、そういうのあったら、執行部の部屋に来て言ってみて」
藤枝は一人一人、肩に手を乗せたりしながら名前を紹介していく。
「コレが田口、副会長。優しげだけど実はサドで、でもしっかりしてる。このメガネが橋田で、コッチも副会長。無愛想だけど、けっこうイイ奴だから安心してな。このヒョロッとしたのが前山。執行部やって二年目のベテランだ。こっちのでっかい方のメガネが遊沢で、これ、イマドキなイケメンが種市。この二人は去年、みんなとおんなじ、そっち側に座ってたんだぞ。一年、俺らで様子見させてもらって、こっち側に来てもらったんだ」
遊沢と種市の肩をこぶしでどつきながら言った藤枝は、新寮生たちにニカッと笑いかけた。
「そんで俺、藤枝。このメンバーは、力関係とかナシで動けるメンバー。そういう奴を選んでる。つうかホラ、ここって男ばっかの寮だし、先輩が怖いとか、ひとによって言うこと違うとか、同室と合わないとかってコトもあるだろ? そういう相談も受け付ける。話聞いた奴以外には漏れないし、他の執行部に相談したいと思ったら、まず本人に了解を得るから、基本的に勝手なことはしない。安心してくれて大丈夫。つっても危ないと判断したら、コッチで動くこともあるけどな。俺らなりにもっとも良い結果に向けて動くってコト」
藤枝の明るい色の目が、集会室内をゆっくりとめぐる。新寮生たちはすっかり引きこまれたように話を聞いている。
「ま、新しい生活が始まるわけだし、予測つかないこともあると思う。けどさ、せっかくだから楽しくやっていきたいじゃん? その手伝いを、俺らがする。そゆことだから。つっても俺らも学生だし、手に負えねえこともあると思う。そういうときは力になってくれる大人もいる。つうかココって風聯会っていうここのOB会の持ち物なんだけど、そこに頼りになる人もいるからさ、かなり信用して任せてくれよな。俺らも信頼に応えるように目一杯頑張るから」
そこで言葉を切り、藤枝はニカッと笑う。
「そういうわけで、俺はこの寮を元気で楽しい寮にしてえんだ! みんなも協力してくれたら、きっと楽しくやっていける! つうわけでみんな、よろしくな!」
そう言って片手を上げると、自然に拍手が起こった。
こうして新しい体勢がスタートした。
昨年からここにいる寮生は、ずいぶん雰囲気が変わるモンだな、と内心で笑っていたのだが、コイツを会長にしちまったんだから、しょうがねえな、とも思っているのだった。
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