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158.たけろう君の想い
キレイに生まれ変わった集会室。
そこは今、入寮オリエンテーション会場となっている。
最後列の左右壁際に、仁王立ちで会場を睥睨している二人の男がいた。どちらも体格ガッチリの百九十センチを超える偉丈夫で、新寮生たちがそちらをチラ見して、若干ビビっていたりする。
保守メンバーは、閉会と同時に新寮生たちを速やかに退出させるため、廊下で待機しているのだが、この二人だけが室内にいるのは、威圧が目的である。ゆえにデカくて厳つくて目つきの鋭い者が選ばれる。
ここは血気盛んな年頃の男ばかりが二百五十人近く生活しているわけで、新たに入ってくる一年生は当然それぞれ不安やら期待やらを抱えている。だが中には、力を誇示しておこうと考える者もいる。いわゆる『ちょっと暴れて目立っとこう』という軽いノリから、実権握ってやるぜ、などと考えるアホまで、さまざまだ。
そういうのを野放しにしておくと面倒なので、こういう強面 がいると威圧しておくのが伝統となっているのである。後ろに二人立たせるのは、壇上の部長一人では効果が薄いからだ。
そのひとり、二年の佐嶋は新寮生たちを睨めつけているが、もうひとりの丹生田健朗は鋭い視線をまっすぐ壇上へ向けていた。
視線の先では、新会長が笑顔で役員を紹介していて、それを見ている健朗に口元が緩んでいる自覚は無い。そして目つきが鋭いまま笑んでいるため、客観的にとても怖い顔になっている自覚も無かった。
現保守部長の峰功一郎も、壇上で目を細めニヤリと笑っていて、この笑みも新寮生たちをビビらせているが、こちらはあえて怖がられる類いのニヤリにしている確信犯である。
二年に上がった際、丹生田にこの役をやらせてみてはと、当時部長だった小谷に勧めた。とにかくデカいので迫力は出そうだと思ったのだが、くそ真面目な丹生田は、精一杯気張ってくちを真一文字にして睨みをきかせた。
それから三年連続で丹生田はあそこに立っているのだが、今年はなにやら少し違う。とはいえ威圧は出来ているので文句は無い。むしろこのところ雰囲気が柔らかいので、(女でもできたか?)などと思い、峰は壇上でニヤニヤしているだった。
立っている健朗は、峰の表情に気づいて顔をしかめた。
ギロッと睨み返しつつ、そういえばこの峰は、一年の始めに一騒 ぎ起こそうとしたのだ。そう思い出し、それが昨年から保守部長なのだから恐れ入る、とすぐに頬を緩めた。すっかり差をつけられているわけだが、悔しいとは思わない。峰には敵わないと知っている。
キレやすく自己主張が激しく、腕力にものを言わせて思い通りに事を運ぼうとする傾向の強かった峰は、当時保守部長だった宇和島先輩に完膚なきまでに潰されてから、まるで舎弟のように先輩に付き従っていた。同じ柔道部というのもあったのだろうが、宇和島先輩に心酔していたようだった。
常にそばにいて叱咤されながら、先輩の言動から少しずつ、着実に学んでいったのだろう。峰はいつのまにか、落ちつきと胆力を備えた男になっていた。
気づいたときはすでに、峰と自分の間には埋めがたい程の差が産まれていて、健朗は負けたと、コイツには勝てないと感じたのだ。
四年前、新寮生としてあそこに座っていた健朗は、かなりの不安と、自分は変わるんだという都合の良い妄想ではち切れそうになっていた。
アルバイトをして剣道も学業も手を抜かず、安藤に勝利して、祖父にも父にも文句を言わせずに全てを成し遂げるのだ。そうして保美にも自分を認めさせるのだ。その上で母を、今度こそ自分が守るのだ。それが自分には出来ると、やらねばならぬと、……思い詰めていたのだ、と今は思える。
大切なことを賢風寮 で気づかされ、そう思えるようになったのだ。
二年になり安藤に勝つまで、勝利を追い求めるのは闘う者として必然だと、それ以外の感情を持つべきではないと思っていた。至らぬ自分は不要なものを排除せねば、なにごとも成し得ないのだ、と。
だから必死になって努力を重ねた。余計なことを考える自分を叱咤しながら、頭の中を空っぽにするべく身体を動かし続けた。
だが安藤に勝利して、くちぐちに祝福する寮の連中に囲まれたとき、ようやく気づいたのだ。今までなにも見ていなかったのでは無いか、ということに。
たくさんの人が周りにいた。どれも知っている顔だった。
皆それぞれの思いを持って、考え、悩み、足掻いて掴めず、互いに手をさしのべ合っている。
その恩恵に浴したからこそ、健朗も願ってやまなかった勝利をこの手に掴むことのできたのだ。これは自分の努力だけでは成しえなかったものなのだろう。
心の底からそう感じた。そして自然に頭が下がった。
自分が、いかに狭い世界の中に閉じこもり、凝り固まっていたのか思い知った気がした。自然に感謝する気持ちが湧き上がり、それと同時にこみ上がる涙を抑えることも出来ず、頭を下げ続けるしか無かった。
そんな中、小谷先輩が言った。
『おまえも少し考えろ。助けられてばかりで良いのか』
そうだ、と気づかされた。手をさしのべられるばかりではダメだ。健朗自身も手を伸ばしていかなければならない。出来ることは限られている。けれど部活で、寮で、保守の仕事の中で、やれる範囲で良いのだ。なぜなら周囲が健朗に向けていたものも、さして深く考えていない、ちょっとした言動に過ぎなかったのだから。
それでも親愛を感じ取れる日常に、健朗は支えられていたのだから。
憑き物が落ちたように、勝利だけを追い求めなくなった健朗の変化を、周囲は受け容れてくれた。
しかし実のところ、手に入れたいと渇望するものが変わっただけなのだということは、誰にも言っていない。
藤枝をこの腕に抱き、自分のものにしたい。そんな強欲を改めて自覚し、至らぬ身で望むべきだろうかと悩みもした。
自分は至らない。それでも周囲に恵まれた。今までずっとそうだった。この上藤枝を望むのは強欲が過ぎるか、むしろ手に入るはずのないモノを求める自分の業の深さを思い、それでも悪あがきのように行動で示し続けた。
ソレのどこが悪い? 未熟なのはいまさら言うまでも無く自覚している。であれば補うよう努力をすれば良いだけではないのか。それでも掴み取れなかったなら、そこでまた考えれば良い。何年かかろうと諦めるものか。良き友人として、では満足しきれない自分がいるけれど、結果叶わず友として年老いても良い。
せめて肩を並べて歩んでゆけるなら。そばにさえいられるなら。
そんな風に考えていた健朗に、信じられない僥倖が訪れ、またも無理だと思っていたものを、この手に掴むことができた。
幸福感に目が眩むような時期を過ぎ、ようやくやるべきコトがはっきりと目の前に見えるようになった。
風聯会で見かける老人達を見ながら、あんな風になるまで共に過ごせたならと願い、それに向けて邁進する日々は非常に充実している。
そんなことを考えつつ、健朗の視線は、誰をも惹きつけるあの笑顔に注がれ続けている。
知らず緩んでいたくちもとに、ようやく気づいた健朗は、ハッとして顔を引き締める。今日は新寮生たちに『怖い先輩』がいると知らしめねばならないのだ。ひたすら睨みをきかせねばならない。
とはいえやることは腕組みして立っているだけなのでヒマである。
顔を引き締めて睨みをきかせつつ、改めて腕組みをした健朗は、当たり障り無いことへ思考を移した。またにやけてはマズイからだ。
今年のオリエンテーションは、今までと雰囲気が違う。集会室がキレイになったこともあるだろうが、新寮生たちから笑いも上がる和やかさで、これは今まで無かったものだ。
毎年ここに立っているからこそ、健朗には分かる。
(さすがは藤枝だ)
無自覚に絶賛モードになりつつ、満足げにそんなことを思っているのであった。
寮の忘年会前、橋田が尾形さんを連れて339へやってきて、「藤枝に会長をやって欲しい」といったとき。
「はぁ?」
もちろん藤枝はビックリして「なんで俺?」と怒鳴ったが、橋田が淡々と「消去法」と言い、頷いた尾形さんも「まず橋田は断った」ぼそっと付け加える。
「いやいやいやいやいや! てか断るなよ橋田!」
「ぼくは忙しいんだ」
尾形さんも「うん、きっぱりお断りされた」と頷いている。
「だからって、なんで俺!? 他に向いてる奴いくらでも」
「その通り」
間髪入れない橋田の返答に、「そんなことはないだろう」思わず健朗が言うと
「いやいやいや、向いてねえよね俺っ!」
必死に言い返す藤枝に「そんなことはない」健朗はまた言ったが、「それ、もういいよ」淡々と橋田が返し、ため息混じりに尾形さんが説明した。
「まず監察と保守と会計からは会長を出さない伝統があるからね。峰と瀬戸は、そもそも無い。姉崎は全ての役職から引くと言った。身辺に変化が起こり多忙なんだそうだ。仙波は裏方志向。それに総括は次の頭やれる奴いるし、だったら藤枝はどうだってことになったんだ」
まさに消去法だった。
「仙波の野郎、裏切りやがって!」
叫んだ藤枝に「落ち着け」と健朗が声をかけると、「う~~~」唸り声を上げた後、すううはああと深呼吸する。
「今年は姉崎がかき回したのもあって落ち着かない感じだったし、いっそ雰囲気変えて藤枝っていうのも良いかなってね。皆の意見が一致したんだよ」
橋田らしい素っ気ない口ぶりに、健朗は疑問を持つ。
「藤枝なら適任だろう。みな賛同するのも当然だ」
なのになぜ消去法などと言い訳を、と考えていると
「いやいやいやいや! ねえよ、ねえって、そんなん!」
藤枝がやたら興奮している。
「他にいないんだ」
「諦めなよ」
二人が追い打ちをかけると「う~~」と唸るが興奮は収まっているのを見て、なるほどと納得した。
藤枝は、こういう言い方なら興奮しない。自分が余計なことを言うべきでは無いと思い、くちを噤んで様子を見ることにした。
そうして入れ替わり立ち替わりやってくる連中に
「いいからやれって」
「他にやる奴いねえし」
「いいじゃん、せっかくだから盛り上げようぜ」
「俺らもフォローするし」
「一人で全部やれなんて思ってねえって」
「そうそう、一緒に頑張ろうぜ」
などとくちぐち言われ、ようやく藤枝は首を縦に振ったのだ。
そして健朗は、皆が藤枝の扱いを熟知していることを知り、学ばねばと考えたのだった。
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