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159.三人三様
会長。
しかも最上級生。
いや、ダブってんのとか医学部は年上もいるんだけど、ともかく。寮を代表する立場、いっちばんのアタマだ。
会長やれって言われて、分かんねえコト聞きたいときどうすんだ? なんて、まず思ったわけで。いちお尾形さんが
「俺は院生の寮にいるから、なんかあったら質問相談は受け付ける。が、最終手段にしてくれ」
とか言ったから、いざというとき頼りまくるよっ! つって受けたんだけど、相談しないでなんとかなってる。
てかチカラワザでなんとかしてる。つっても俺じゃ無くてみんなのチカラな。
俺はすぐ突っ走っちまう。んだけど、田口がやんわり、仙波が厳しくツッコミ入れてくれて、まとまる筋道をさりげなく橋田が提示して、その流れで俺が纏める、的な感じのチカラワザつうか、皆様のおかげつうか。
例えば今も……
「あ~~もう、イイよこれでっ!」
「え~、マズいんじゃないですか? こことか」
「ダァホ、勢いで誤魔化すな! 考えろ!」
田口とか仙波とかにツッコまれ、あーだこーだ言い合いながら、アタマかきむしってると、淡々とした声が入って。
「……こうすれば」
とか言いつつ橋田がモニター見せてくる。んでそこには、いつのまにかマニュアル的なもの表示してあったりする。
「めっちゃノウハウあんじゃん」
「さすが副会長二年目!」
「てかピンポイントで用意って予言者かおまえ!」
とか言いながら話まとめるよね。そんでついでに逆ギレもするよね。
「いつの間にマニュアル作ってたんだよ!」
「そういうのあんなら早く見せろ!」
とかってみんなで攻撃するわけなんだけど
「今だよ」
橋田はいつもの調子でツラっとしてる。
「は?」
「今作るくらいならくちで言えよっ!」
「だって説明が面倒かなって。きみたちうるさいし、これならいちいち言わなくても済むし」
ほんっと橋田ってぶれないよね!
いつものコトなんで、「あ~、はいはい」「そーだね~」なんて感じで、みんな流すんだけど。
まあ、橋田初体験の田口はさすがに半笑いしてたけど、かなりタフなんだよ、あんな顔してるくせに。なんですぐ慣れたっぽい。
てか俺がやるって時点でカッコつかねーの決定だし、尾形さん非常招集せずに済んでる感じなんで、新体制もまあイイ感じなんじゃね?
それに会長って総括部長よりヒマだった。橋田に任せときゃOKな事多いし、来年残るのは田口だから、あえて色々やらせとけ~、つう仙波大先生のお告げもあるし、かなり楽してる。
その分マーケティング研とか就活とかに余力向けるぞー! 真面目にやるぞーっ!
とかって始めたわけだが、出鼻はくじかれた。
律儀なノックの後、開いた扉から丹生田の声がする。
「藤枝、来てたぞ」
「あ~、うん」
打ち込み続けながら生返事してたら
「……エントリーシートか」
すぐ近くで低い声がしたからビクゥとして
「うあっ」
……ミスタッチした。
「ああ、すまん」
「いやセーフセーフ、だいじょぶ」
一回全部消えたかと思って、どっと汗出たけど、直前作業取り消しで直った。ふー、とか息吐きながら額の汗を手の甲で拭う。たいしたことなくて良かった~。
四年になって、丹生田も一人部屋になった。つっても会長室のめちゃ近くなんだ。そのせいか、丹生田はけっこうしょっちゅう会長室に来る。
「これが来ていた」
PC横に置かれた封筒にチラッと目をやり「サンキュ……えっ」二度見して目が釘付いた。こないだ面接した大手商社の封筒だったからだ。
「あ~、もう来たかあ」
「内定か」
まだ時期じゃねえけど、早い奴は『内々定』とかって事実上の内定出てるのはいる。
「いや~、違うっしょ。むしろダメだったんじゃね?」
ダメだからすぐ来たンだろ。あ~あ、面接もグループディスカッションも、わりとうまく行ったと思ったけどなあ。ま、いきなりこんなデカい会社決まるわけねーし。
「そんなことはないだろう」
「いやいやいや」
一発目で即決なんてするわけねーから、こうやってエントリーシート作ってるわけだし。
「てか丹生田は? 面接とか行った? まだだっけ?」
「まだだ」
「そっか~。SE……じゃなくてプログラマーだっけ?」
「ああ」
丹生田ってば意外にもSEとかシステム関係の会社受けてる。それもそこまでデカくない、じみーなトコばっか。
なんで? って聞いたら
『俺は細かいコトが気になる。だから向いていると思う。大きな会社は転勤があるだろう。それは避けたい。技術を身につけたいのと、さまざまな仕事を経験したいという理由からも中小企業の方が良い』
めっちゃ理路整然と返された。つかなによ、超考えてんじゃん。
俺なんて、営業向きって言われたな~、商社とかなんとか、なんて感じで、なんとなく就活してる俺とは次元が違う。
とかなんとか考えつつ、丹生田が見てるからちゃんとハサミで封筒切って中身を確かめ…………ぶっ飛んだ。
*
橋田雅史は学食でランチを食べながら、解決出来ない問題についてアタマの中を整理するべく会話していた。
同じ学部の水無月奈々と、こうして会話するのは既に日常風景である。内容は日によって違うけれど、話題が尽きない。
今日は永遠と思いたくなるような、深い溝にはまっている問題について、雅史はくちを開く。
「人はどうして人を好きになるのかな」
会話の中にこういう問題を入れられるのは、いまのところ彼女のみである。
「結局、分からないままなんだよ」
なぜなら、誰からもまともな答えが返ってこないからだ。
「みんな、問題を直視していないとしか思えない。いきなり照れだして意味分からなくなるとか、ニヤニヤして偉そうにするだけで、きちんとした答えは返ってこない。そもそも問題提起した藤枝は一人で納得しちゃったまま放置だし」
いつも通り淡々とした口調、無表情なのだが、雅史に慣れている彼女には分かった。
だいぶイライラしているみたいだなあ、なんて思いながら、奈々はフフッと笑う。
「そうかあ」
「そうなんだよ。みんな無自覚すぎると思わないか? 恋愛心理のメカニズムについて。こんなに深遠な問題なのに」
ニコッとしながら、奈々は思う。
深遠って、ソコみんな考えてないよ。
でも真剣なのも分かってる。からかってみるのも楽しいのだけれど、今日は気分が良いので、きちんと聞いてあげる。
「う~ん、でもさあ橋田くん。それって全てクリアにする方法は無いんじゃないかな」
なのだが、つい口元が緩むのは、やっぱり抑えがたい。この話を振られてニヤニヤする人の気持ちは、とても良く理解出来る。
「水無月の言いたいことは分かっているよ。体験するべきだって言うんだろ」
「その通りだよ。分かってるじゃない」
「みんな同じ事を言うからね」
だよね~、とは言わずにくちを閉じ、ニッコリ笑いかける。
「そんなことは理解しているんだよ。けれど残念なことにぼくには適性が無いみたいでね」
「適性? なんてあるのかな」
「ぼくだって努力をしていないわけじゃ無いんだ。試してみてはいるんだけれど、理解には至っていない。そもそもメリットよりデメリットが大きすぎるんだ。あえて恋愛しようというモチベーションがね、なかなか上がらない」
眉根に皺を寄せ始めたのを見ながら、なんとか笑みを抑えてストローでジュースを吸い上げる。
「さあ、これから恋愛しよう、ていう考え自体が違う気がするんだけど。誰かを好きになるぞー、なんてモノじゃ無いんじゃ?」
「そう言うけど、心構えがないままじゃ、なにも始まらないんじゃないのかな」
「……うーん、そうだよね。……きみはなんでも知りたいひとだもんね」
雅史はそれなりに売れている小説家だし、背は奈々より低いけど見た目は悪くない。その気になればモテるだろうと思うけれど、女性と付き合っている様子は見えない。
彼が求めているのが恋愛感情の理解であり、セックスでは無いからだろうな。だから浮ついたノリとか、色仕掛けには引っかからない。
「そういう気持ちも知りたいのは分かるんだけど、方法論がね」
「方法論? つまり適性の問題では無いと言いたいんだね」
「そうだよ。だって適性なんか無いと思うしね。努力でどうにかなるようなことでもないよ。意識的に恋に落ちるってあるのかな、という疑問もあるし」
「……どうしてみんな、同じようなことを言うのかな」
ため息混じりに目を伏せつつ、雅史はパンケーキを切り分ける。
「それが真理だからじゃない? だって気がついたら好きになっちゃってるものだし。……これも同じ事を言われた?」
こくんと首を傾げて問うと、橋田は無表情のまま、中指でメガネを押し上げる。思わずクスッと笑ってしまいつつ、「なんか可哀想だな」と彼女が言うと、橋田の眉根にまた皺が寄った。
「哀れまれる意味が分からないな」
「だって本当に素敵なことなんだけどな」
「……それもみんな言うよ。まあもっと頭悪そうな言葉を使ってるけどね」
「サイコーなんだよ、とか?」
「うん。そうだね」
雅史は頷きながらメープルシロップたっぷりのパンケーキをくちに押し込んだ。なにげにかなりの甘党なのだ。
「でもね、大好きな人がいて、その人が私のこと好きになってくれたら、そりゃあとっても幸せなんだろうけど、でもそうじゃなくてもね、その人が幸せならいいやって。そんな風に人を好きになれたこと、そんな風に思えるひとがいるってこと、それ自体が、とても素敵で幸せかもって、私は思ったのね? だから……」
「……つまり」
雅史がメガネの奥から観察の目を向けてくるのを、ニコッと見返す。
「それが藤枝くん……ていうこと?」
「ん~、……まあね」
クスッと笑った彼女を見る目が、なにかを見透そうとするように輝きが増した。
(こういうところなんか、かなり分かりやすいと思うんだけど)
たいていの人が橋田雅史を無表情とか無愛想と評するけれど、自分だけは分かるというこの状態は、彼女に優越感と快感をもたらしていた。
「最初に話しかけられたとき、きみの近くにいたら藤枝くんのこと、なんか分かるかもって思ったのは否定しないよ。少しでも藤枝くんのこと、知りたかったんだよね」
「でもあのときはもう」
「うん。フラれちゃった後だったよね。でも、こういうバカみたいっていうか、非論理的な感情の流れだからさ、恋愛なんていうのは総じて」
メガネの向こうから興味深そうな視線をまっすぐ注ぎながら、またくちに押し込んだパンケーキをモグモグ咀嚼している雅史のくちもとには、ちょっとシロップがついたままだ。指を伸ばして拭って上げたいなあ、なんて思いながら、笑んだ目でまっすぐ見つめる。
「藤枝くんに好きな人がいるってことも、その相手をすごく好きらしいってことも、最初から分かってたんだよね。それでも近くにいたら、いつかこっちを見てくれるかなとか、……そう思ったりもしちゃった」
その頃の自分を思い出して、ちょっと切なくなり、彼女は目を伏せる。
「なんだけど……無理なんだなあって分かったからね。その時はすごく悲しいっていうか悔しいっていうか、端的に言うと辛い気持ちになったよね。でもね、そういうところも、適当に誤魔化さないで頭下げてるまっすぐで馬鹿正直な感じも藤枝くんらしいって気もして……ますます好きになっちゃったところもあって」
「ちょっといい? つまり断られたんだよね? なのに好きになるの?」
「バカみたいでしょ」
「それよりメリットが無いでしょう。フラれてるわけだから。筋が通らないよ」
言葉選びが優しくないなあ、と思って、彼女はクスクス笑ってしまう。
「あのね、論理的では無いけどメリットはあるんだよ。こういう人だったんだ、やっぱりイイなあっていう感情自体は、ちょっと切ないけど悪くないものだしね」
雅史はパンケーキを飲み込み、「悪くないもの、ね」小さく頷きながらグレープフルーツジュースをゴクンと飲んで、ペロッとくち周りを舐める。あ、シロップ取れちゃった、と思い、彼女は微笑んだ。
「きみが話してくれる彼のこと、たとえば思ってたより感情的なんだなとか、きみも含めてみんなに好かれてるんだなとか、そんな色々を知ることが出来るだけで嬉しかったんだよね。どんな表情でそんなこと言ったのかなとか、そういうの想像したりするの楽しかったし。きみの質問に答えるフリして、私も情報引き出してたんだ。ゴメンね?」
「別に良いよ。ぼくも女子の考え方とか知りたくてきみに近づいたんだし。お互い様なんじゃないかな」
確かに雅史が水無月奈々に声をかけた当初の動機はそれだった。けれど彼女との会話を楽しいと感じるようになり、今ではほぼ毎日、顔つき合わせてランチするようになっている。
「それより、そうか情報がメリットか。なるほど納得出来るね」
「ははっ、きみのそういうトコいいよね。仲良くなれて良かったって思ってるのもホント。いつまでも話が止まらないっていうか飽きないっていうか。わりとどんな話題でも話が繋がるしね。きみとの会話で想像力がかき立てられたり、知識欲を刺激されたりするし、楽しいんだよね」
「ぼくも水無月と話すのは楽しいよ」
そうなのだ。雅史にとって水無月は、他の誰とも違ったのだ。
興味の根源が近いのにベクトルが違うから、どんな話題でもどんどん話が広がるし心から楽しめる。知識の無かったジャンルについてであっても、彼女がが楽しそうに語るのを聞いていると興味が広がっていく。共通の話題がどんどん増えて、今では何時間でも話し続けられるくらいだ。もっともなにかと忙しい雅史としては時間制限が常にあるので、連続6時間くらいが最高記録であるのだが。
つまり雅史にとって、彼女はメリットのある相手だ。
そして水無月奈々にとっても、彼と話す時間は楽しいものだった。こんな風に色々話しながら、
(たぶん童貞なんだろうなあ)
だとか
(初めてのときもこんな風に無表情なのかなあ)
だとか
(セックスも新しい知識として分析するのかなあ)
などと考えているのは内緒だけれど、彼女は今現在、雅史をはっきりと意識していた。
藤枝拓海のことが好きだった。本当に泣くほど好きだった。
けれど橋田雅史に向いている気持ちは、その時とはまったく違うタイプのものだ。
「きっとさ、きみとだったら一緒に暮らしていけるよね」
なので彼女は、ニコニコしながらぶっ込んでみる。
「暮らす?」
「うん。毎日色んな話をして、お互いに話題を提供し合って、それをお互い掘り下げていって、また二人でそれについて話すんだよ。興味を持てるジャンルがどんどん広がっていくと思わない? それこそ無限大に。きみと私なら、きっと飽きないだろうな」
すると雅史は珍しい顔をした。
少しくちを開いたまま、目が限界近くまで見開かれている。つまり驚いている顔。
「……………………急に話が飛んだような気がするんだけど」
「そんなのいつもじゃない」
二人の会話の中で、話題は常にめまぐるしく変わるのだ。
「そうじゃなくて」
いつも通り淡々とした声だけれど、やたらまばたきしているのがいつもとは違う。
「ん?」
だからコクッと首を傾げ、水無月奈々は確信的にニッコリと笑った。
かなり遠回しな、プロポーズにも取れるだろう言葉を、そうと自覚してぶっこんでみた。
どう返って来るかちょっとドキドキしながら笑顔で待っているんだけれど、悪い反応は無いんじゃないかっていう自信はある。
彼にとって、自分がけっこう重要な存在だろうという自信。
雅史にとって重要なのはセックスすることではないから、顔やスタイルにこだわってない。重要なのは、こんな風に語らうこと。彼の知らない世界を提供する存在。自分はそういう存在の一人だ。
いや、もっとも興味を惹かれている人間だ、という自信がある。
だってほぼ毎日一緒にランチして、ずっと喋ってても話題が尽きない。客観的に見れば、毎日ランチデートしているようなもの。ときには夜食事することもあるし、映画を見に行くことも、博物館を巡りながらずっとしゃべってることもある。付き合ってるんでしょ、なんて言われるのも当然だよね。
キスもセックスもしていないけど、私たちにとって、そこはそれほど重要じゃないんだ。
「なあに? ちゃんと言ってよ」
今好きな相手が藤枝拓海では無いのだということを、頑なに認識を改めようとしない彼に理解させるために、彼女はニッコリ笑んでじっと見つめた。
水無月奈々は笑みを深めた。
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