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219.引越

 橋田雅史は、珍しい電話を受けていた。 『やっほ~、久しぶり~』  相変わらずの舐めた挨拶。姉崎だ。  三年くらい連絡無かったのに唐突だな、とは思ったが、用件は推測出来た。 「うん、久しぶりだね」 『それでさ、橋田聞いてる? 健朗たちのこと」 「うん」  もちろん聞いている。あの二人が入籍して北海道へ転居する、ということだけだが。 『でさ、僕も開設式に呼ばれてるんだよね。橋田は行くの?』 「開設式?」 『あれ、聞いてない? 一週間後、旭川に藤枝の会社の第二販売部ができるんだって。その開設式に来て、宣伝に協力しろって言ってきたんだけど』 「ふうん」 『なんとか都合つきそうだからさ、行こうかなって思って。橋田もその日に来れば? 久しぶりに会いたいしさ。他にも誰か来ないかな』 「……そうだね。声をかけてみるよ」  もちろん、二人と特に親しい連中にも教えるべきだろう。  だが日程は平日、来られない者も多いだろうな、などと思いつつ。  この情報を丹生田保美にも伝えるべきだ、と雅史は判断した。  そしてさらに伝えるべき対象を考える。賢風寮、風聯会、それから……。   *  健朗は北海道行きに際して、非常に張り切った。  多忙な藤枝を煩わせること無く、遺漏無く引越を終えなければならない。  挨拶に行った剣道の道場主が紹介してくれた新居を納得いくまで掃除し、問題点を挙げて家主へ補修を求めた。要望は穏便に受けてもらえ、完了を見るまで十日ほどかかった。  そして本日、ようやく荷物を運び入れ、そこで初めて表面化した問題に、健朗は困惑した。  一つ目は家具の置き場所だ。  以前住んでいた部屋よりリビングが狭いため、すべてココに詰め込むと身動きが取れなくなるのだ。  食卓テーブルが通常の家庭向けより、かなり大きいのが計算違いのひとつだった。  ソファが置いてあるのはキッチンから見て南側である。大きな掃き出し窓があるのだが、この食卓テーブルと椅子四脚を置くと、ソファとコーヒーテーブルを置いただけでスペースは無くなるのだ。  食卓テーブルの西側にもうひと部屋あり、そこにテレビボードも兼ねたカップボード……実質本棚となっているが、それと純粋な本棚が置いてある。その部屋から玄関へショートカットで出られるようになっているが、キッチン横から繋がる廊下から風呂やトイレに行けて、二階への階段も玄関に通じる廊下沿い。玄関脇には大きめの納戸もある。  ひとまず家具は収まったが、これではソファでくつろぎながらテレビを見ることは出来ない。とはいえ食卓はキッチン近くに置くべきだろう。コレをここに置くことで空間が分断されると分かってはいるが、どうしようも無いのだ。  そして二つ目は寝室の問題である。  一階に廊下から直接入れる部屋があり、そこを寝室として使おうと考えたのだが、だだっ広い割に収納が少なかった。とりあえず使わない物は、段ボールのまま二階に運び込んだのだが、悩んだのはベッドをどうするか、である。  あの部屋はこれからも六田家具で使うことになっているので、家電品も含め、大鳥と照井が作ったもの以外、すべて置いて来たのだ。その中には二人で眠っていたベッドも含まれている。  つまりベッドは新たに購入するのだが、この広い寝室を目の辺りにして悩んだ。  広さはたっぷりあるので、ベッドを二台置くことが可能なのだ。しかし別のベッドで眠るのは。……できれば避けたい事態である。健朗としては、大きいベッドを購入し、今まで通り、同じベッドで眠りたい。  どうするべきか悩んでいたら藤枝が帰って来たので、さっそくカップボードとテレビについて相談すると 「イイよイイよ、どうせそんなテレビ見ねーし最近」  と笑ったので、とりあえずホッとした。 「つうか丹生田こそ、テレビ見れねーと困るんじゃねえの」 「いや、大丈夫だ」 「ならイイんじゃね?」 「それと、藤枝、……」  ベッドについても相談しようと思ったが 「…………」 「ん? どした?」  気恥ずかしくさのあまり声が詰まった。同じベッドで眠りたい、などと言えるものか。 「つうかドコで寝るよ、今日」  いきなり核心を突く質問に、心臓が飛び跳ねた。咄嗟に声を返すなど出来ず、寝室と想定している部屋を指さす。 「ふうん」  ジャケットを脱ぎながらその部屋に入っていき、藤枝は「おお~、広いな」と声を上げた。 「とりあえず布団敷いて寝るか。畳だし、ちょうど良いっしょ」  なるほど! と目から鱗の思いがした。そうだ、布団は今まで使っていた広めベッドに合わせてある一客のみ。つまり同じ布団で眠るしかないのだ。これでベッドの問題は、ひとまず先送り出来た。  素晴らしい。さすがは藤枝だ。  リビングに戻ってソファに座り、藤枝はネクタイを抜きながら「ふぅ~」と息を漏らす。 「つうか、俺らの場合、先に家具ありきだからな~、コレ置ける家じゃねーと」 「……そうだな」  すぐにこの家を購入しようと考えたのは、いかにも早計だったと言わざるを得ない。実際住んでみてから購入を決めるべきと言う藤枝の意見は正しかった。さすがは藤枝だ。  やはりあの時は浮かれていたのだろう。  終の棲家を持つ時のために貯金してきた、それを使う時が来たのだと……思い極めていたのだろう。  さらに、道場の師範の持ち家、親戚が他界したあと名義を引き受けたが、処分に迷っている、まだじゅうぶん住めるし思い出もあるので取り壊すのは惜しい、などと聞いて、人助けになる上、道場と良い関係を作れる、などと思ってもいた。  打算混じりの先走り。藤枝の安らぎとなるべき家を、短慮から不十分なものにしてしまうところだった。  密かに落ち込みながら、料理を食卓に並べる。  浅漬けの瓶を持ってこなかったので、食卓は一品少ない。  浅漬け瓶は何種類かあったが、ハーブ、ショウガ、酢、ゆかりなどと合わせ、塩と酒を適当に混ぜて作った物なので、再現は難しい。藤枝が気に入っていた味の再現が出来ないかも知れない。  しかし液体の瓶を運ぶのはいかにもリスキー、ゆえに断念したのだ。だがなんとしても持ってくるべきだっただろうか。  などと考えていると、着がえた藤枝が戻ってきて、 「お、生姜焼きか? うまそー」  嬉しそうにニカッと笑んで食卓に着いた。自分も食卓に着き、手を合わせて食べ始める。  藤枝はメシを食いながら部屋を見回している。 「なるほどなあ、コッチの部屋に置いてあんのな。台所からだと見えるんだ、テレビ」 「ああ。しかしココに座ってテレビを見るのはどうか。くつろげないのではないか」  ズズッと味噌汁を啜りながら言うと、藤枝は箸を止めて少し考えた。 「う~ん、じゃあさ、リフォームしたらイイんじゃね?」 「……リフォーム?」 「そ、大田原先輩んトコでやってるだろ? 間取りとか内装とか変えたりすんの。キッチンの移動だって出来るはずだよ」 「キッチンを?」 「うん、だから今カップボード置いてるこっちをキッチンにしてさ、食卓もこっちに置くつう事。んで今のキッチンの場所はリビングにしちまうの。どうよ、十分な広さになんじゃねーの?」  ハッとした。  なるほど、それならばココを終の棲家と定めることが出来る。  道場のすぐそばに居を構えることができて、結果的に師範の手助けにもなる。しかも不動産屋などリサーチした結果、ココは相場より安価なのだ。売り主と直接交渉したからだろう。  つまりリフォームで費用が嵩んでも、相場程度ということだ。  さすがは藤枝だ。  無自覚に何度目かの絶賛モードになりつつ、逸る気を抑え、妙に光る目を向けた。 「それを、頼めるか」 「いや、俺はできねーよ」  しかし、あっさり躱された。 「地元の業者探すよ。社に地元の人いるし、聞いてみるな?」 「いや、俺が探そう。良いだろう?」  すでに道場に挨拶を済ませ、通わせて貰うことも決まっている。自分なりの人脈を使えば良いのだ。多忙な藤枝を煩わせてはいけない。 「え、もちろんだけど。いいの? 聞くだけでも聞いてみる?」 「いや、俺はまだ仕事をしていないし、時間はある。藤枝は忙しいだろう」 「そか? んじゃ任せるわ」  そんな会話があり、翌日から活動を開始した。  売り主、つまり師範にリフォームの許可を頂きたいと言うと 「いや、賃貸でってなら無理だけど、買ったらもうそっちのもんだし、好きにしたらいいでしょ」  なるほど、と思い、正式に購入の申し入れをしたい、同居人と話して確認すると伝え、ついでに業者を紹介して貰った。  そして作夜、二人で話し合って購入すると決まったのだが、藤枝がローンを払うと主張し、少々興奮してしまった。 「いや、丹生田が貯金あんのは知ってるよ? それ頭金にするってんだろ? ならローンは俺が払うって。じゃねーとおかしいだろ」 「俺が貯金出来たのは、藤枝と同居していたからだ。ショールーム契約していた時もだ。俺一人で作れた金額じゃない」 「そうかもだけどさ! 二人の共有財産にしてーだろ! 丹生田まだ仕事決まってねーし! だから俺が……」 「藤枝」  ひどく興奮し始めたので、根本的なところを 「俺は、もう丹生田じゃない」  先日、互いの両親に話を通した上で養子縁組の届けを出した。  つまり今現在、俺は藤枝健朗なのだ。 「……あ、うん」 「他人ではない。家族も、友人も、認めてくれた」 「うん。……だな」 「俺たちのどちらが稼いでも、共有財産だ。違うか」 「そっ……れは、庄山先輩とかに聞かねーと」 「伴侶だ、藤枝」 「ばっ、……てかおまえだって、もう……藤枝なんじゃん」  ハッとした。 「……確かにそうだ。では……」  これからは呼び方も変えるべきだろう。つまり 「……たくみ」  少々心臓が騒いだが、声は震えずに済んだ。 「ローンは折半だ。たいした金額じゃない。それくらい払える収入は得るつもりだ」 「な……なんだよ、急に……てかそん」  テーブルごしに真っ直ぐ見つめると、藤枝、いや拓海は誤魔化すようにメシをかっ込んだ。 「……めちゃかっけーじゃん」  飯椀ごしにチラッと見る目を見返すと、少し頬が赤らんだ。 「拓海」  もう一度呼んでみる。今度は落ち着いて言えた。 「おまえも」 「えっ?」 「名前で……」 「え、……」  そうだ、自分はもう丹生田では無い。 「た、……たたたけろ……」 「拓海」 「た、たけろう……」  飯椀は降りたが、耳を赤くして目を逸らす、ふじえ……拓海があまりに美しくて可愛らしくて、辛抱たまらぬ勢いが出そうになり、必死に押し潰した健朗なのだった。   《17.意地っ張りの片想い 完》

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