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第5話
俺は変な緊張感でどうも落ち着かなかった。
2日前に届いたメールには詳しい内容などは書かれておらず、詳細を聞こうとメールしてみたのだが返事は返ってこなかった。
俺は一睡もできないまま指定の病院の前へやって来た。
平日の総合病院は受診の患者で賑わっており、自分が浮いた存在であることは一目瞭然だった。
「美世様ですね?」
「は?」
時間の指定が無かったのだが、とりあえず朝窓口が開く頃に来れば間違いないだろうと思い車を停めて入口で少し立っていると黒服の男に声をかけられた。
「こちらです」
黒服の男は躊躇なく歩き出したので、俺は無言でその後に続いた。
病棟に続くエレベーターの前で男が止まると上に行くためのボタンを押す。
「申し遅れました。私、質屋巽の主人の秘書をしております橋羽 です」
「あ、美世で…す」
エレベーターが来るまで少し時間があったからか、男が急に振り返り名前を名乗った。
俺は戸惑いつつ自分も名乗って頭を下げたがよく考えれば相手は自分の名前を知っていたのだと気が付いて少し気まずい。
ポーン♪
エレベーターが到着し、扉が開くと俺達はそれに乗り込む。
橋羽が先にエレベーターに乗り込み、扉を手で押さえているのを見ると、敏腕秘書だと言うことがすぐ分かる。
兄達の秘書もなかなかのやり手だがそれにもひけをとらない鋭さも感じるので、もしかしたらうちの同業者なのではないかと感じていた。
「今回はみことさんには何も伝えておりません。全て主人の計らいです」
ウィーンと言う小さなモーター音が聞こえ、身体に微かな浮遊感を感じつつエレベーターが上昇していく。
橋羽が階数の増えていくパネルを見ながら言うので、俺はまたしても緊張してくる。
みことに会うのは何年ぶりだろうか。
ポーン♪
物思いに耽っていると目的の階に到着したのか軽い音が響き、その音がやけに大きく聞こえた。
「ではご案内いたします」
俺を先導する形で橋羽が歩きだす。
下の喧騒など嘘のように病棟内は静まり返っていた。
朝の筈なのにひとっこ一人居ない廊下を歩く橋羽と俺の足音が廊下に木霊している。
「こちらです」
橋羽が立ち止まった部屋の表札部分には何も書かれておらず、本当にこの部屋にみことが居るのか心配になってくる。
家業のこともあり、これは何かの罠なのではないのかと疑心暗鬼なりかけたところで橋羽が扉をノックすると中から返事が返ってきた。
「ではどうぞ」
扉を明けて中に入るように指示されるので、俺は気付かれないように身構えつつ中に入った。
ベットはカーテンで見えなかったが、窓から入ってくる光でベットの横に誰か座って居るのが影で分かった。
「お待ちしておりましたよ」
俺が入って来たのが分かったのか、カーテンの向こう側から声をかけられる。
一気に心拍数が上がった様に感じたが、俺は意を決してカーテンを少しずらして中に入る。
「みこと…」
ベットには俺がずっと探していたみことが眠っていた。
手には点滴のチューブが繋がっているがそれ以外には大きな怪我などは見えなかった。
「お待ちしておりました」
その声に俺ははっとする。
ベットの横にいる男がにっこりと微笑んでいる。
「お昼頃にいらっしゃるのかと思いましたが、随分この子を大切に思ってらっしゃるのですね」
男はモスグリーンの着物に同じ色の羽織をふわっと肩にかけていた。
「私がメールいたしました巽です。この子も鎮静剤を使ったので、暫くは目を覚まさないでしょう。ここではなんですので外でお話しましょうか」
「えぇ…」
「大丈夫。この子は逃げませんし、そんなことさせませんよ」
巽が立ち上がるとふわっと畳の様な匂いがした。
俺がみことを気にしているのに気が付いたのか巽は笑みを深くした。
人が来ないと言うことで屋上に橋羽を伴って向かう。
風が少しあったが、よく晴れた空が気持ちよかった。
「みことは大丈夫なんですか?」
屋上のベンチに巽が腰掛け懐から携帯用の煙管を出して組立はじめたところで、俺は痺れを切らせて巽に声をかける。
巽は一瞬面食らった様な顔をして、橋羽と顔を見合わせた。
「ふふふ。ええ…足抜けするのに精密検査をさせただけですよ」
「足抜け?」
「ええ…彼には長い間うちの商品として頑張ってもらいましたからね」
煙管からゆっくりと煙を吐き出しながら話す巽の話は驚きの連続だった。
みことは俺から引き離された後、様々な男の間を転々としていたがみことの処理に困った奴が巽の店に持ち込んで来たそうだ。
俺のところに居た時は、よちよち歩きだったが巽の店に来たときは殆ど歩くことも言葉も怪しい状況だったらしい。
俺は言葉を覚えていくみことが可愛くて、絵本を買って一緒に読んだり、子供向けのアニメを見せたりしていたのだが、まさかその時のままだとは思わなかった。
寧ろ俺と住んでいた時よりも状況が悪い。
「今は普通に話すことができてます。検査の結果では成長の遅れはこれから少しは改善するとの事ですよ」
ベットに横たわっていたみことは確かに小さすぎる気がした。
掛け布団のせいでよくは分からなかったが、俺の元から連れ去られた時より少ししか背も伸びていないのではないだろうか。
「彼の検査は私からのサービスですよ」
またふぅと煙を吐き出す巽はまだ呆然と立っている俺を見つつ足を組んだ。
「橋羽。書類をお渡しして」
「はい」
巽が指示を出すと、橋羽が封筒を持って俺に近付いてくる。
それを受け取った俺はすぐに中身を確認する。
「これは?」
封筒の中から出てきたのは数枚の契約書だった。
それを1枚1枚見ていく。
一番上には古い契約書が乗っており少し色が褪せている。
そこには返済金と書かれた相当な額が載っていた。
最後にはミミズの這った様な模様の後に小さな拇印が押してある。
その次の契約書には“花吹玲の売却額を肩代わりするものとする”の一文が加わり額面が違うものがある。
契約書のどれにも赤い色で返済と判が押してある。
最後には戸籍謄本とそれに伴う書類やカードが入っていた。
そこには“加々美 命 ”と書かれた保険証も入っていた。
「それは彼が一番欲しがっていて、一番入手にてこずりました」
「命が?」
「ええ。それが返済と共に交わした契約です。彼は今まで書類上何処にも存在していませんでしたからね」
命は赤子の頃に何処か海外から買われ、密輸されてあの変態な商社マンに飼われていたのだ。
「帰化と言う形で、裏のルートは使わずに正式な戸籍ですよ」
戸籍にクリップで留めてある書類には中東の国名と親の名前らしき物が書いてあった。
それが本当の親なのか、命と同類で書類上の親なのかは判断ができない。
「その書類はあなたの好きにして頂いてかわいませんよ。売るもよし…」
「そんな事しない!俺はずっと命を探していたんだ」
巽の言葉に俺は場所も忘れ大きな声を出した。
巽は相変わらず人の食えない笑みを浮かべて俺を眺めている。
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