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第14話
「はじめまして!加々美 命 です!」
「けいちゃん!みことちゃんが会いにきてくれたよ!」
「は?え…?」
玄関からはそんなそんな会話が聞こえてくる。
数日前に自己紹介の練習をさせた成果が出ているようだ。
これは助け船を兼ねて相手に挨拶をしなければならないなと俺も玄関へ向かう。
「どうも、お邪魔してます」
「え?!若旦那なんでこんな所にいるんですか?」
俺が玄関に向かい、相手に頭をさげると相手から驚いた声があがった。
「はい?」
俺は意味が分からず、相手の顔をまじまじと見るが全く記憶にない。
取引先の社員かと思ったが、こんな奴いただろうかと記憶を探る。
「あぁ…若旦那は俺みたいな下っぱなんて知らないかもしれませんが、以前居たグループが若旦那の組のパシリみたいなことしてたんすよ。若旦那はあまり部屋から出てこなかったですけど、組には色々お世話になりました」
「けいちゃんみことちゃんのパパとお友だちなの?」
玲ちゃんが俺と相手の顔を交互に見る。
男は玲ちゃんの肩を抱き寄せる。
「花吹 圭介 です。玲をありがとうございました」
そう言うと、圭介は深々と頭を下げた。
思いの外綺麗な礼に、兄の教育を見た気がした。
「それは後でゆっくり話しませんか?」
「えっ…あぁ。そうですね」
俺は圭介に、翔がこちらの様子を伺っているのを目配せして知らせると圭介もそれに気が付いたのか小さく頷いた。
「もうお話終わった?けいちゃん手を洗って着替えたらごはんよ。今日はみことちゃんも手伝ってくれたの!」
「そうか…ありがとう」
圭介が屈んで命の手をとって視線を合わせる。
その言葉が、ただ単に料理の手伝いに対しての謝礼だけでないのは事情を知っている俺にはすぐ分かった。
「んーん。けいちゃんと一緒に居ないと玲ちゃんはだめなの…怖いれいちゃんはもう居ない?」
「うん。大丈夫だよ」
「よかった」
圭介の言葉に命は本当に嬉しそうに笑った。
命も長いこと裏の世界でやってきただけのことはある。
俺達の雰囲気を察して返事をしている。
「さぁけいちゃん。ごはんよ手を洗ってきて!」
「へーい」
圭介は軽い返事と共にどこかに消える。
+
「ぼく。もう、ごちそうさま」
「「え?」」
食事がはじまってしばらくして命の言葉に、翔も圭介も驚いている。
それもその筈だ。
俺もはじめは驚いたのだが、命は食事を食べる量が極端に少ない。
今もポテトサラダとその下に敷かれていたレタスの破片を少し食べただけで終ったのだ。
「みことちゃん…あのね…」
「うん」
命の隣に座っていた玲ちゃんは特に驚いた様子もなく、命の耳元で小さな声で何か言っている。
それに命はこくんと頷く。
「はい。あーん♪」
「あーん」
それから玲ちゃんは嬉しそうに命の口許に食べ物を持っていくと、命はそれを素直に口にする。
俺達はそれに安心して食事を再開した。
「玲ちゃんはお料理上手なんだね…」
「うん!」
玲ちゃんの作った唐揚げはしっかり下味がついていて、片栗粉をつけて揚げたのだろう軽い食感で何個でも食べられた。
あの短時間で追加の鶏肉に下味を染み込ませて揚げていたのには感服する。
俺が褒めると凄く嬉しそうな顔をしながら、命の口にまた食べ物を近付けていた。
小さな唐揚げを口に押し込まれる形で食べさせられた命は渋い顔をしていたがそれには俺以外誰も気が付いていない様子だった。
「俺たちまで夕食に呼ばれてしまって申し訳ありません」
「いえ…若旦那気にしないで下さい。玲もあんなに喜んでますし、あんなに嬉しそうなのは久し振りに見ました。なので、沢山召し上がってください」
俺が改めてそう言うと、圭介は玲ちゃんを眺めてそう言った。
「ううう…お腹いっぱい」
「みことちゃんたくさん食べてえらいよ!」
食事が終わって、食後に玲ちゃんが新しくコーヒーを淹れてくれた。
命は玲ちゃんに乗せられていつもよりは食べたが、やはり普通の人よりは少ない。
玲ちゃんにお腹を擦られながら誉められているのをみると微笑ましく思う。
「ちょっと一服いかがですか?」
「え、あぁ…」
俺がタバコを吸うジェスチャーをすると、圭介は俺が言いたいことを察したのか頷いた。
「翔。俺達ちょっと行ってくるから、二人見てて貰っていいか?」
「あぁ…わかった」
圭介がそう声をかけると、スマホをいじっていた翔が顔をあげて頷いた。
それを確認すると俺達は部屋を後にする。
食後の腹ごなしに近くの公園まで歩くことになり、ベンチに腰を下ろした。
公園に来るなんて何十年ぶりだろうか。
シュボッ
俺は懐から取り出したタバコに火をつけて深く吸い込んだ。
「いやー。すっかりご馳走になってしまって…」
「若旦那昔と随分変わられましたね」
圭介の言葉に俺はもう一度深くタバコを吸い込んで吐き出した。
「昔の若旦那は、この世の全てがゴミみたいな目をしてました。今は随分…その…見た目もまともになったと言うか…あの」
「いや。実際その通りだから」
圭介は言い辛そうに口ごもるので、俺は頷いてきっぱりと肯定した。
「あの頃は、長年部屋に居たから部屋の外は全てが敵にみえてた。命が来て、はじめはペットみたいな感覚だったのに居なくなって俺はあいつに救われてたんだって気がついた。それから命を探すために色々やったから…」
「俺も玲を探すために色々したんです…でも、昔のつるんでた仲間に聞いたところで大した内容も分からなくて…」
圭介は玲ちゃんが居なくなった時の事を思い出しているのか、ぎゅっと手を握りしめていた。
裏の世界の俺にすら情報が掴めなかったのだ一般人なら正に雲をつかむような行為だろう。
「ある日帰ってきた玲は、心身ともにボロボロでした。痩せ細り綺麗だった金色の髪もパサパサで艶がなくなってて、身体には無数の鬱血痕と手足には縛られていたのか圧迫痕がありました」
それは俺も数日前に経験したので気持ちが痛いほどよくわかった。
まぁ、俺は事前に連絡があったからまだましな方なのかもしれない。
「抱き締めようとすると拒むんです。“汚いから”って。それからずっと謝りながら泣くんです。“れいだけ…ごめんなさい”って…」
「それで二人が居ないときにホテルか…」
「玲は元々親に愛されることを知らない子でした。売春の様な事をずっとしていたんです。一時の温もりを求めて…そんな玲を俺は妻にしたんです」
地盤が無かった訳では無かったことに俺は少なからず驚いた。
玲ちゃんを見るに、少し頭はのんびりしているようだが命も似たような物なので気にもしていなかった。
今の幸せそうな様子を見ると、命への罪悪感からの行為かと思ったのだ。
「直ぐに病院に連れて行ったら…筋力も落ちているし、解離性同一性障害と判定されました」
「多重人格ってやつだな」
「そうです。玲の中には二人の人格が居て、俺との指輪を外す事で切り替わるんだそうです」
俺はもう一度タバコをくわえた。
なかなか玲ちゃんの心の傷は深く残ってしまったのだろう。
大きく息を吸い込むと鼻に独特の匂いが上がってくる。
「指輪を外した玲は指輪を着けていた時の記憶があるんですが、指輪を着けた玲はもう一人を知らないんです」
「今はどうなんだ?」
「今のところ安定してます。指輪を外すこともないのできちんと治っているかは分かりませんが…」
俺はそれを聞いて少し安心した。
指輪を外すことが無いというのは幸せな証だ。
「辛い話を聞いて悪かったな…今度は俺の家にでも遊びに来て命を喜ばせて欲しい」
「勿論です!」
「出来れば翔くんも一緒だとありがたいな。カタギの人間と話してると癒されるんだって気がついてね」
俺がタバコを最後に茶化して言うと、圭介がはじめて素なのか楽しそうな笑顔を見せた。
俺はそれに満足して、笑いあった。
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