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狼は腹の中03

「悪かったな…」 「いえ…俺も最近運動不足かもです」 目的の店に着いて、店内に入るといい意味で古くさい雰囲気に俺はほっとした気持ちになる。 暫く上がった息を整えていた翔に謝ると、向かい側の席に居た翔は首を横に振った。 俺もここしばらくは運動不足だったので人の事は言えない。 「そう言えば、翔は学校いつから休みなんだ?」 「えっと…来月の中旬にテストなんで…それが終わったら実質休みに入ります」 注文をさっさと済ませた俺達はそれが来るまでの間何気無い話をしていた。 8月のイベントに向けての段取りは済ませてあるが、それが終わったら毎年行っている海外のイベントにも今年は命も翔も連れていこうと考えている。 「テストか…懐かしいな。俺は課題が終わったら仕事ばっかりだったし…」 「え!そんな時から仕事してたんですか!!」 「18で今のショップはじめて、その後色々あって兄さんに言われて大学に行ったからな」 翔は凄く驚いた顔をしているが、命が来る1年ほど前に細々とネットで何かできないかと思いコツコツ貯めた小遣いで今のショップを立ち上げたのだ。 その頃はフィギュアやらゲームソフトも買い漁って居たが、なにぶんうちは普通の家では無いので小遣いもかなり貰って居たからできた話かもしれない。 「え…パパさん大学通ってたんですか?」 「まぁ、通信だったけどね?」 兄の薦めとはいえ、なるべく家からは出たくなくて通信制に入ったのだ。 ショップの経営に、兄さんの仕事の手伝いに勉強と、今思えばあの頃が一番バタバタしていたかもしれない。 「たまに授業を受講しに行ったりはしてたけど、基本は家に居たよ」 「へぇ…そんな大学とかあるんですね!因みに何て大学ですか?」 「ん?W田だよ」 「は?」 俺は普通のトーンで話していたつもりだが、翔が固まってしまったので首を傾げてしまった。 どうしてもボソボソと喋る癖は抜けないので、もしかしたら無意識に声が小さくなってしまったのかもしれない。 横では命がメニューの写真をぼんやりと見ているのが目の端に入る。 「え…W田だけど?」 「めっちゃ有名じゃないですか!!」 「わっ!しょうちゃんおっきい声…」 「あ、ごめん。命くん…」 翔の声に命が思わず驚いて飛び上がる。 幸い他に客は居なかったが、店の女将が何事かと暖簾から顔を出している。 俺はそれに軽く目配せすると、女将はにっこりと微笑んで中に戻っていった。 「翔だって十分凄いよ」 「俺なんて猛勉強して、何とかって感じですよー」 俺が命の頭を撫でながら翔に言うと、翔はがっくりと項垂れながら机に肘をついた。 私立より国立の方が十分凄いし、何より分野が違うのでどちらが上とかの話ではない気がする。 「パパさんってそんなところまで優秀なんですねぇ」 「まぁ、肩書きの為かな…中卒の経営者より大卒の方が信用性高いしな」 「まぁ…そうですよね」 女将がお盆に乗せて注文した品物を持って来たので、一旦会話は中断する。 翔の目の前には生クリームとアンコのどっさり乗ったクリームあんみつが置かれ、翔はポケットからいそいそとスマホを取り出した。 そんな姿を見ると現代っ子だなぁと思う。 「パパさんのも撮っていいですか?」 「いいよ」 俺の前には大きな餅とピンクと白のカマボコ、彩りにワカメとネギの乗った力うどんが湯気を立てている。 命の前には抹茶ときな粉のかかったわらび餅が置かれていた。 それぞれ写真を撮るとスイスイとスマホを操作してそれをポケットに戻す。 「満足した?」 「はい!なかなかこんな渋い店には友達とも来ないので…」 翔は満足げにスプーンを取り上げると、手を合わせた。 命も俺もそれにならって手を合わせて揃って“いただきます”と言う。 「そうだ…忘れてたよ。翔は夏休み予定あるか?」 「いえ。特にはないですけど」 俺はうどんを一口啜った所で先程翔に話そうとしていた事を思い出す。 イベントに連れて行く話をすることすっかり忘れていた。 「今年は命を海外のイベントに連れて行こうと思ってるんだが、翔も来るだろ?」 「え!いいんですか!」 「パスポート持ってるだろ?」 「はい!あ、でも俺そんなにお金貯めてないです」 翔は嬉しそうな顔をした後、すぐに恥ずかしそうな顔に変わった。 バイトをしていると言えど、何かと物入りなのが学生だ。 友達との付き合いがあるのも仕方ない事なので、俺は首を横に振ってやった。 「大丈夫。命のシッターとしてついてきてくれたらいいから、向こうでの小遣いだけ持ってきたらいいよ」 「いつもスミマセン」 「向こうのイベントはこっちと違ってオープンで楽しいぞ」 俺の話に翔は楽しみな様で、再びスマホを取り出してなにやら検索をはじめた。 俺は命の方を向くと、のんびり抹茶を飲んでいるところでわらび餅は少ししか減っていない様にみえる。 療養中にわかったのだが、命はそこまで甘いものは好きではないらしい。 玲ちゃんの差し入れを一切受け付けなかったし、洋菓子よりは和菓子の方がまだ好きなようだ。 少し年寄りくさいと思ったが、育った環境もあるのかもしれない。 「珍しく今日は天気いいですね」 「梅雨入りしてるから湿気が多いけどな」 「くるくるになっちゃうよね~」 俺の言葉に命が頭に手を置く。 それに俺も翔も笑ってしまう。 命の髪は癖があって、今日は湿気のせいで少し襟足がくるんとしていた。 改めて命を見ると随分と髪が伸びてしまっている。 近々髪を切りに連れて行かねばと思った。 「もう少しぶらぶらして帰ろうか…まだ終わりそうにないし」 「本当に…スミマセン」 会計を済ませたところで、俺は自分のスマホで家の様子を遠隔操作で見る。 まだ寝室でいちゃついている圭介と玲ちゃんに俺は頭を押さえて座り込みたい衝動にかられたので、すぐにスマホの画面を落とした。 翔が申し訳なさそうにしているのを見ると、翔が気の毒に思えてくる。 「まぁ…いいや。たまには毛色の違う動画もありだろ」 「ん?」 「何でもないよ」 ぼそりと呟いた俺の声は聞こえて無かった様で、翔が見上げてくる。 俺は笑顔で誤魔化しつつまた翔の手を握ってやった。 今度は諦めたのか翔は何も言わずに大人しく手を握られている。 「ひろみつさん!ぼくあれ欲しい!止まって!!」 商店街の中をぶらぶら歩いていると、とある店の前で命が珍しく大きな声を出した。 俺が歩みを止めて命をおろすと、店の中にさっと消えていく。 俺と翔が店の看板を見ると時代遅れな字体でブティックと書かれている。 ショーウィンドに並んでいるマネキンに着せられている服もどことなくミセス向けな雰囲気が漂っている。 「命くん何が欲しかったんですかね?」 「俺達には分からない物かもな…」 店に入る気にもならず二人で待っていると、命がスキップでもしそうな程嬉しそうにヨチヨチと出てきた。 しばらく俺に抱かれてしか移動していなかったので、動きがぎこちない。 「何買ってきたんだ?」 「これー」 帰ってきた命は得意気に俺達にビニールのなかの物を見せてくれた。 そこには色とりどりのレースの束が入っていて、命は満足そうだ。 「また、おきょうしつに行けたらティッシュカバーつくるんだぁ」 「あー。マダムたちが好きそうなヤツだな」 俺は命に紹介してもらった洋裁教室のマダム達の事を思い浮かべる。 暇をもて余した良家のマダム達は孫位の歳の命をとても可愛がってくれていた。 しかし、如何せん彼女達は揃ってご年配なので趣味が渋いのだ。 「ぼく、またおきょうしつに行けるよね?」 「命がもっと元気になったらな」 俺は命を抱き上げてやりつつ背中をぽんぽんと叩いてやる。 翔も俺達の事を微笑ましそうに見ていた。 + 「ただいま~」 2時間ほど休憩しながら商店街の中を買い物しながら歩いた。 家に帰ってきて命の靴を脱がせたところで、命がリビングに向かう。 俺と翔はのんびりと靴を脱いでリビングに向かった。 途中、翔の頬へキスしてやると顔を真っ赤にしている。 「お、玲ちゃんおはよう」 「パパさんおかえりなさい」 リビングでは命が買ってきたものを玲ちゃんに広げて見せようとしているところだった。 玲ちゃんはシャワーを浴びたのか頬が少し上気している。 「圭介は?」 「けいちゃんは…おたばこすってる」 「わかった」 玲ちゃんは申し訳なさそうにバルコニーを指差す。 翔はそれを聞いて呆れた顔をしている。 俺は玲ちゃんに笑いかけてバルコニーへ繋がるガラス窓に近付いた。 音もなく扉を開けて握り拳を作る。 「いたっ!」 そのまま圭介の頭に拳を降り下ろしてすぐに扉の鍵をしめた。 圭介は何が起こったのか分からずキョロキョロと周りを見渡している。 やっと俺と目が合ってポカーンとしていた。 俺はわざと渋い顔をつくり、ガラス窓の鍵を指差す。 それに気が付いた圭介は慌てて窓を叩いているが俺はそれを無視してリビングのソファーに戻る。 「パパさん…けいちゃんは?」 「あいつは少し反省させればいいよ。玲ちゃんは開けちゃ駄目だよ?いいね?」 「う、うん…」 俺は玲ちゃんに念を押すと、玲ちゃんはおずおずと頷いた。 俺の部屋は高層階なのでバルコニーは少し冷えるだろう。 ドンドンと小さく窓を叩く音が聞こえるが無視する。 やはり玲ちゃんは気になるのか命の話を聞きつつ、チラチラとそちらを気にしていた。 「大丈夫…圭介には、また今度お仕置きするからね」 「ヒッ!ほ、ほどほどにしてあげてね…」 俺は玲ちゃんにしか聞こえないトーンで告げると、玲ちゃんの肩がぴょんと跳ねる。 配信のネタになったことには感謝するが、限度があるだろう。 翔にはもしかしたら聞こえていたのかもしれないが、興味がなさそうにタブレットを操作していた。

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