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狼は腹の中11
スタッフが手早く機材を片付けている中、俺は放心している学に近付いて少し屈む。
俺が耳元まで顔を近付けると、学は目だけを動かしてこちらを見た。
「俺は忠告したからな?」
学の耳元で一言ぼそりと呟いて、俺は踵を返して部屋を出た。
部屋から出る瞬間微かな嗚咽が聞こえて来たが、俺にはどうでも良いことだ。
「はーい。お疲れ様でーす」
部屋の外では学の元彼くん達へギャラの入った封筒をADらしき男が渡しているところだった。
「着替えが終わったら、最寄り駅まで送るんで皆さん着替えてきてくださいね~」
ADが控え室に使っている部屋に元彼くん達を招き入れたのを見届けてから、俺はのんびり移動をはじめる。
下の階に降りていくと、事務所の奥にある会議スペースでは監督とカメラマンが何やらやり取りをしていた。
「あ、博光さん!お疲れ様です」
「おつかれっす」
俺に気が付いた監督が声をかけて来たので、俺もそちらに近付く。
カメラマンの男も俺を見てペコリと頭をさげたが、はじめて見る顔だった。
「打ち合わせか?」
「さっきは本番からはじまったので、オープニングをどうするかの話し合いです」
俺は近くの椅子を引き寄せて二人の側に腰をおろす。
監督は俺にコピー用紙に走り書きした絵コンテを見せてくれる。
そこには何パターンかのオープニングの候補が書かれていた。
道端で誘拐とか、バーで出会った男の復讐とか、AVにありがちな設定達が並んでいる。
裏ものと言ってもキチンとストーリー仕立てだったりするのだ。
「今回は俺が編集するわ」
「え…博光さんがですか?」
俺が机に肘をついて絵コンテが描かれた紙を取り上げる。
俺が依頼した仕事でもあるし実際問題、家に帰る気分でも無かったので何かしようとの考えだ。
「こいつをここに連れてくる前の映像があるから、適当にしとくよ。それに今日は色々あってね…」
少し言葉を濁すと、二人は一瞬気まずい顔をして目を伏せた。
「だから俺がやっとくし、急に呼び出して悪かった。これで打ち上げでもしてきな」
「ありがとうございます」
俺はポケットから財布を出してそこから一万円札を数枚監督に渡す。
監督は恐縮そうにそれを受け取った。
「もういいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えてお先に失礼します」
俺は入り口に向かって手を振ると、監督は素直に立ち上がってカメラマンと帰っていった。
「はぁ」
大きなため息が口から自然とこぼれ落ちる。
あまり乗り気にはならなかったが、事務所のパソコンを勝手に立ち上げた。
早速カメラを繋いで画像編集のソフトを立ち上げ作業をはじめる。
+
俺は夢を見ていた。
何故夢だと分かるのかと言うと、俺が今見ている風景が昔の実家の庭だったからだ。
「ひろみつ~?何してるんだ?」
俺がぼんやり庭を見ていると、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。
顔を上げると、まだ小学校低学年位の博英がこちらに駆け寄ってきた。
「こんなところで何してるんだ?兄ちゃん帰ってきたからおやつ食べようぜ」
博英は俺に手を差し出しつつ首をかしげる。
俺は無言で頷いて博英の手を取った。
よくある事だが、俺は兄達と血が繋がっていない異母兄弟だった。
俺が産まれてすぐに本当の母親が美世の家に俺を置いていったらしい。
「今日のおやつは何かな?」
弟ができて一番喜んだのは、俺の手を引いている博英だったらしい。
長男である義博と博英の母親は大人しく綺麗な人だった。
突然やって来た俺の事も実の子同然に育ててくれた凄い人だ。
「あ、二人ともただいま」
「兄ちゃん!!」
長い廊下を歩いていると、義博がやって来た。
学ランを着たままなのを見ると中学から帰ってきたばかりなんだろう。
俺達の側に屈むと頭を撫でてくれる。
「さぁ…今日のおやつはババロアだって」
「やった!ひろみつもババロア好きだよな?」
義博の言葉に博英は跳び跳ねて喜んでいる。
俺の顔を覗き込みニコニコと笑う博英に俺はこくんと頷いていた。
昔からどちらかと言うと無口で静かな子供だった俺を兄達は何かと気にかけてくれていて、それが現在に至る。
博英の仕事に駆り出されると、必ず帰り際に酒や食料を渡したがるのは親戚の年寄りのそれだ。
断ると凄く怒るので毎回渋々受け取るのだが、俺の事をまだ子供だと思っているのだろうか。
「しゃわるなブタ!!」
育ての母は大人しく、病弱だった。
俺が小学校にあがった頃、母に癌が見つかり懸命の治療も虚しく帰らぬ人となった。
哀しみにくれる俺達を余所に、父はある日新しい母を連れてきた。
その継母には子供が居て、それが弟の博之だ。
継母は育ての母とは違って明るく活動的な人で表裏がなく、俺達兄弟とも母親と言うよりは姉の様に接してくれていた。
それが気に入らなかった弟は歳の近かった俺を目の敵にしていた様で若い衆に貰ったおやつを取られたり、靴を泥まみれにされるなど数々のイタズラをされたものだ。
「何だよ博光…また博之にやられたのか?」
それは俺が中学にあがってからも続いていた。
弟にやられっぱなしの俺に、博英は呆れた顔をしていたが、この頃の悪戯は度を越していて流石の兄達も手を焼いていたほどだ。
元々の人見知りと、内向的な性格のせいで友達も中々できず俺は自分の殻に閉じ籠るようになっていた。
そのストレスや何やらの暴飲暴食でこの頃から太りはじめたのだ。
「あいつ俺らにもなつかないけど、お前には余計に当たりがキツいな」
弟は俺達兄弟に一切なつかなかった。
俺達異母兄弟に母親が取られたとでも思っていたのかもしれない。
そのイライラを何も言わない俺へ向けて来ていたのだろう。
「おい。博光!」
急に今の博英の声が聞こえて、肩に何か乗っている感覚に意識が浮上する。
目をあけると、博英が仁王立ちで立っていた。
肩に感じたのは俺を起こす為に肩を叩いた衝撃だろう。
「兄さん…どうしてここに?」
「お前がここで仕事してるって聞いて様子見に来たんだよ」
博英の言葉に腕時計を見ると、日付は変わり今は昼に差し掛かろうとしている時間だ。
スタッフに聞いてこっちまできたのだろう。
博英は海辺に住んでいるのに、わざわざこんな山奥まで俺の様子を見に来たのだ。
なんやかんや言ったって俺の事を気にかけてくれている。
「お前メシまだだろ?弁当持ってきたぞ」
「あー。おっ…ねぇさんが作ったのか?」
「もちろん!!」
博英が可愛らしい保冷バックから取り出したのはこれまた可愛らしい弁当箱だった。
強面の博英は、お嬢様学校から間違えて事務所に就職してきた義理の姉に一目惚れして即行でものにするほどベタぼれなのだ。
それは兄のイメージではない海辺にある赤い屋根に白い壁のなんともメルヘンな家に住む位には惚れているらしい。
義姉の胸は驚くほど大きいので俺はこっそりと“おっぱい”と呼んでいるのだが、危うく博英の前で義姉をアダ名で呼びそうになってしまった。
「料理…上達したみたいだな」
「あいつの料理は前からうまいぞ?」
お嬢様学校出身と言うこともあり、育ちも良かった義姉は一切家事をしたことがなかったらしい。
結婚当初に博英が持ってきた弁当は魔界の食べ物の様だった。
その頃に比べると随分とまともな見た目になっている。
しかし、義姉にベタぼれの博英には些細な事らしい。
「それで?どこまで進んでるんだ」
博英は義姉が作ったおにぎりを頬張りながら、俺の後ろにあるモニターをちらりと見やる。
「軽いPVをサイトにアップしてある」
「早いな」
「まだ本編は編集してないけどな」
俺もおにぎりを手に取り、ラップの上から軽く形を整えてから口に運ぶ。
姪が産まれてから料理はだいぶ上達したようだが、まだまだ粗が見える。
「そいつはどうするつもりだ?」
「まだ考えてない。ネットの反応が良ければあと何本か撮ってもいいし、何処かの店で働かせてもいいと思ってる」
博英がタコさんウインナーをピックに刺して口に運びながら、俺の後ろのモニターに映っていた学の今後について話し合う。
弟みたいに公衆便器として設置してもいいし、変態親父に売り付けてもいいなと思っていた。
さっきのボロボロの姿を見たら少し胸の空く思いをしたので、あいつの進退などどうでもいいことだ。
「あ?そんな店うちのシマには…そういや男相手のホストクラブ出したいって言ってる奴がいたな?」
「そりゃ随分と奇特な奴だな」
博英は何か思い出したように少し俯くと、子供用なのかキャラクターの描かれた水筒からお茶を注いで付属のコップでそれをぐいっと飲み干す。
俺はこれまた歪な形に切られた漬け物を口の中に放り込む。
「事業拡大ってやつだな。他には食べ物屋と、泡をしてるが新な顧客を取り込むために新規参入をしたいんだと」
「ふーん」
「そこの敏腕秘書…いや、マネージャーからの猛プッシュがあって営業枠を融通して欲しいと打診があってな」
俺は興味が無かったので適当に相槌を打ちながら2個目のおにぎりに手を伸ばした。
また形を整え口に運ぶと中身はゴマと和えたおかかで、本当に“おっぱい”は料理できるようになったなぁと考えていた。
「それでどうする?」
「は?どうするって何が?」
「そいつ、そこにねじ込んでやろうかって話だよ!」
急に話をこちらに向けられて、驚いた俺は博英の顔をマジマジと見てしまった。
博英の顔は真剣そのもので、経営者と言うよりは弟を心配する兄の顔だった。
「ばぁさんがやってたスナックの後があるだろ。あそこで営業権やればいいんじゃないか?あと、変な気遣いはいらないよ」
「そうか…」
少しがっかりそうにしている博英に、いつまで俺を子供扱いするんだろうかとため息が出そうになったが、俺はそれをぐっと我慢して残りのおにぎりを口の中に放り込んだ。
学の進退など心底どうでも良いことで、俺は早く作業に戻りたいなと考えていた。
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